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32 気付いたのに

 ふ、と目を覚ますと、電話の向こうからガサゴソと音が聞こえてきていた。  スマホの画面には、通話中の表示が出たままだ。ということは。 「ん……朝陽、起きてる……?」  掠れた声を出すと、ガサガサッと何かが擦れるような音がしてすぐ、朝陽の声が聞こえてきた。 『あっ、誉さん、おはようございます! すみません、うるさかったです? 起こしちゃいました?』 「んん……いや、何となく目が覚めただけ……おはよ……」  電話の向こうで、朝陽が小さく笑う。 『まだ早い時間ですから眠いですよね。切った方がいいかなとは思ったんですけど、誉さんの寝息が聞こえてくるからつい』  寝起き早々可愛いことを言うな、うちの大型わんこは。 「ん……俺も昨日は切りたくなかったからおあいこ」 『う……っ寝惚けてる感じの誉さんもまた可愛い……!』  姿は見えないけど、きっと身悶えてるんだろうなと思える朝陽の台詞に、苦笑した。 「お前なあ。可愛い可愛いって」 『だって可愛いですもん』  ……朝陽の俺を見るフィルターは、かなり特殊仕様なのかもしれない。  時計を見ると、朝の五時。起きるにはまだ早い時間だ。 「それはそうと、こんなに早く起きてどうしたんだ……?」 『あ、昨日は支度しないで寝ちゃったんで、誉さんの存在を感じながら支度をしてたんです。そろそろシャワーを浴びないとだったんで、電話を切る前に起きてる誉さんの声を聞けてよかったです』 「ん……俺も、おはようが言えてよかった」 『……寝起きの舌足らずな誉さん、可愛い……!』  朝陽はどんな俺でも可愛く思えるらしい。朝陽の目には俺がどんな姿で映っているのか、一度朝陽フィルターを通して自分の姿を見てみたかった。多分、相当美化されてる。 『実は今日、運転なんです。ペーパーだから緊張しちゃいます』 「え、大丈夫なのかそれ? 気を付けろよ」 『はい! 明日誉さんに会う為にも、安全第一で行ってきます!』  やっぱり俺のわんこは言うことひとつひとつが可愛いな。気が付けば、頬が勝手に緩んでいた。 「ん。夜でもいいから、できる時に電話して」 『はい!』  名残惜しくはあったものの、これ以上朝日を引き止めて慌てさせても拙い。「じゃ、いってらっしゃい」と切なさを覚えながらも伝えると、電話を切った。  暗くなったスマホの画面を、暫し見つめる。朝陽ははっきりとは言わなかったけど、今日のゴルフ接待には副社長も来る、ということは――当然だけど、息子のあのオメガ、福山結弦も一緒に来るんだろうな。  正直言って、物凄く嫌だ。だけど、俺が朝陽にそれを伝えたところで、何も変わらない。下手をすると、朝陽が「自分は信用されてない」と凹んでしまう可能性だってなきにしもあらずだ。  ――なら、なるべく気にしないようにして、待っていよう。  繰り返し「気にしない、忘れておこう」と、自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した。 ◇  ぽっかり空いてしまった時間を、ぼーっと過ごすと考えるのは朝陽と例のオメガのことばかりだ。  ゴルフ接待は明日も続くのに、これじゃ俺の身が保たない。 「よし、大掃除だ!」  朝陽専用の布団一式の置き場所がまだなかったので、いい機会だからきちんとしまえるようにしよう。  思い立ったら、気が楽になった。もう一年以上着てない服も思い切って捨ててみると、ごみ袋三つ分のごみが出る。案外あるもんだ。  はっと気が付けば、外がもう暗くなり始めていた。スマホをタップしてみたけど、朝陽からの連絡は入っていない。 「……先に風呂入っておこうかな」  お風呂に入っている間に朝陽から電話が来て出られないのは、絶対嫌だ。  まだ早い時間なら気兼ねなくゆっくり浸かることもできるし、と考えて、俺は必死で朝陽の電話がある時間まで気を紛らわそうとしている自分に気付いた。  はあ、と溜息を吐いて、畳の上で胡座を掻く。 「朝陽のこと、全然信用できてないじゃないか……」  罪悪感で一杯になった。朝陽はあんなにも俺への愛情を示してくれているっていうのに、ちょっと綺麗なオメガが急接近してきたからってこれじゃ、朝陽だって嫌になるかもしれない。そもそも朝陽は、はじめからモテるアルファなんだ。いちいちヤキモチを妬いていたら、神経が擦り減ってしまう。 「ん?」  と、そこで、俺はとんでもない事実に気が付いた。  ヤキモチ。それはすなわち、俺が朝陽に好意を持っていないと起こり得ない感情じゃないか?  そうだ、よく考えてみたら、朝陽のアソコを口に咥えたのだって、普通の先輩なら絶対にしない。しかも「電話を切りたくない」とか、どんな乙女思考だよ。  例えば瀧があの性格の悪そうなオメガと番になったとしても、きっと俺は「へー、大変そうだけど頑張れ」としか思わなかっただろう。だけど、朝陽は違う。朝陽に色目を使う奴なんて絶対許せないし、近付いても欲しくない。  何故なら。 「俺……もうとっくに朝陽のことが好きなんじゃないか……」  可愛い後輩としては、勿論最初の頃から好きだった。だけど、これはそんなあっさりとしたもんじゃない。  俺は朝陽のことが、ちゃんと恋愛的に好きだったんだ。 「そっか……だから俺はあのオメガのことが最初からムカついてたんだ……」  俺のアルファを盗ろうとする気配を感じたから、そして朝陽と距離が近い俺に対して、あのオメガが露骨に敵対心を覗かせてきたから。 「は、はは……何だ、そうだったのか……」  気が付いてみたら、簡単なことだった。自分の行動を顧みれば、好きじゃないとおかしい反応ばっかりしているじゃないか。 「俺、間抜けだな……嫉妬して初めて気付くなんて」  そうだ、と思い付く。  明日朝陽に会った時、伝えてみたらどうか。考えてみたら、俺は朝陽から何度も好きだと言われている。だけど、朝陽に好きだと伝えたことは一度もなかった。いくら何でも、恋人として冷たすぎやしないか、俺。  ここで改めて、週末も仕事の繋がりで拘束されてしまったお疲れの朝陽にきちんと告白したら、朝陽は喜んで元気を出してくれるかも――。  とてもいい考えに思えて、ひとり幾度も頷いた。 ◇  朝陽からは、日付を超えてから電話がかかってきた。 『――もしもし、誉さん?』 「朝陽、お疲れ」 『誉さんの声、やっと聞けたあ……っ』  決して酒に弱くない筈の朝陽の呂律が、回っていない。第一営業部部長とオメガの顔が脳裏を過り、思わず舌打ちをしそうになった。  あいつら、俺の朝陽に何してんだよ。 「……朝陽、相当飲まされた? ちゃんと飯食ったか?」 『一応食べたは食べたんれすけど、副社長と部長に挟まれて、どんどん飲まされて……』 「朝陽……」  代われるものなら、代わってやりたかった。何で朝も夜も拘束された上に週末まで拘束されて、その上こんなになるまで飲まされないといけないんだよ。  朝陽が、うぷ、と小さなゲップをして、ぼやいた。 『それに、匂いが臭くて、気分が……』 「匂い? ちょっと、本当に大丈夫か? 水は、」  するとその時。  電話の向こうから、一番聞きたくなかった声が聞こえてきたじゃないか。 『あっ、朝陽さんいたー!』 『……福山、さん』  は? どうしてあのオメガが、と混乱する。と、一段低くなった朝陽の言葉が、図らずも状況を伝えてくれた。 『……勝手に人の部屋に入らないでもらえますか』 『ごめんなさいっ怒らないで? 僕、朝陽さんの具合が悪そうだったから心配で、つい』 『鍵、してた筈ですが』 『フロントの人に連れが酔ってるから様子をみたいって言ったら、鍵を貸してもらえたのっ』  なんてこった。この副社長令息は、部屋に戻ったアルファの部屋に勝手に入ってきたっていうのか。常識知らずにも程がある。  氷のように冷たい朝陽の声が、淡々と告げる。 『……すみませんが、電話中なので出て行ってもらえますか。あと、勝手に部屋に入らないで下さい』 『えっ、誰と話してるの? 具合が大丈夫なら出て行くけど……。あ、でも、さっき廊下に酔っ払ってるアルファの集団がいて、くる時怖かったんだ。ねえ、電話って今する必要あるの? 僕を部屋まで送ってくれない?』  おい、具合悪いって様子を見にきた癖に、送らせようとはどういう思考回路だ。あまりの厚顔無恥さに、開いた口が物理的に閉まらない。 『すみませんが、電話中なので』 『じゃあ、僕今夜はここで寝ようかな? ひと晩一緒の部屋で過ごしたら、パパも僕と朝陽さんの仲を……』  ブチッとキレそうになった。何だこいつ!? それってどう考えても脅しじゃないか。  ――だけど、絶対「はい」と言っちゃいけない内容であることは間違いない。  通話相手が俺だと分かったら、こいつは更に助長しそうだ。  だから、小声で囁くように朝陽に伝えた。 「朝陽。送ってやれ。このまま部屋に居させることだけは、絶対認めちゃダメだ」 『でも、』 「フロントに一緒に鍵を返しに行って、注意もしておくんだ。もう渡さないでくれって。周りに証拠を作っておけ」 『……分かり、ました』  渋々、といった雰囲気で、朝陽が短く返す。 「朝陽、信じてるから大丈夫だ」 『! ――はい』  朝陽はそうとだけ答えると、『また連絡します』とだけ言って電話を切った。  暗くなったスマホの画面を、不安と焦燥感がないまぜになった気持ちで見つめる。  その夜、朝陽からの折り返しはなく。  俺が眠りについたのは、空が白ばみ始めてからだった。

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