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39 クソオメガ

 俺たちがあからさまに相手にせずに話しているというのに、福山結弦は自分が無視されることに耐えられないのか、無理やり注意を引く。  瀧が、実に面倒臭そうに応えた。 「……なに? なんか用?」 「なにその言い方っ! 酷い、ね、朝陽さんっ!」  瀧の片方の口角が悪そうに上がる。  朝陽が何も答えないでいると、「もーっ無口なんだからあ」と言った福山結弦が、馬鹿にしたような声色で続けた。 「ていうか、噂は本当だったんだね! 今も堂々と手を繋いじゃって、すっごおい! よくできるね!」  自分はべったり腕を絡ませていた筈だが。あ、ベータな俺とくっついてるのを揶揄してるのか。そうかそうか。……本当、こいつムカつくな。オメガで美人だけど、こいつ相当性格悪いぞ。でも、それでもこいつの方が朝陽はよかったんだな。俺は――あ、駄目だ。落ち込んできた。 「だからなんか用? 俺今、誉と話してるんだけど分かんない? 君さ、本当空気読まないよね」 「ちょっと! 言っていいことと悪いことってあると思う!」 「そっくりそのまま同じセリフを返すよ」  うおう、言うなあ、瀧。でもそれは俺も同意見だし、変に反応してこっちに矛先を向けたくないので黙った。こういう時、事なかれ主義はいい。言い返してやろうって気概がそもそも起きない。  ……それに、どうしたって朝陽の気配を感じてしまうんだ。瀧を挟んだ後ろに、俺のことなどどうでもよくなった短期間恋人だった相手がいる。今一体、どんな顔をしてるんだろうか。唐突に別れを告げられたあの日以降、こんなに近付いたのは初めてだ。  朝陽の表情が気になった。だけど俺に完全に興味を失った顔しかしていないだろうと思ったら、見たくなくて怖くて。  ぎゅ、と俺の手首を掴んでいる瀧の腕を掴むと、瀧が慰めるように反対の手で俺の肩に手を置き、撫でた。  俺は必死で何か別のことを考えようとした。何か、ええとそうだ、午後にやらないといけない仕事の順番はどうしよう、会議は今日は入ってなかったし――。 「誉、晩飯、どんなのがいい?」 「えーっ! 無視って酷くない!? てゆーか晩飯ってなに!? 瀧さん、このOJTの人にそんなに拘束されてるの? えーっ、先輩社員だからって横暴っ! 僕、パパに告げ口しちゃおうかなっ」  瀧は見事に無視する。 「そうだなあ。お肉食べてほしいから、すき焼きとかどう? 温まりそうだし。すき焼きは好き?」  その時、それまでずっと沈黙を貫いていた朝陽の声が聞こえてきた。 「瀧。……匂い、つけすぎなんじゃないか」  は? 匂い? 何のことだ。瀧は口を歪めて笑いながら、後ろを振り返りつつ答えた。 「お前こそ何のつもりだよ。今更あてつけか?」  空気を読まない福山結弦が、高い声を出す。 「えーっ、ねえ、匂いって何のことぉ? 朝陽さんってばあ、僕にも分かるように言ってよ!」 「……少し黙ってくれないか」 「えっ」  朝陽が吐き捨てた。え? なんだこれ、朝陽が――キレてる? 嘘だろ、そんな場面、俺は一度だって見たことがないぞ。  瀧が、馬鹿にしたような笑顔で言い放った。 「あのさあ、この間も言ったけど、あんたたち何なの? 親しくもない無関係の人間がさ、話しかけてくんなよ。俺は誉と話してるの。あんたたちは邪魔でしかないんだよね。社食を利用すんのは自由だけど、静かにしててくんない?」  するとすかさず、福山結弦がぐいぐいくる。 「ええーっ! どうしちゃったの瀧さん! あ、まさかこのベータのOJTの人に何か弱み握られてたりして!?」  ……は?  ピキ、と俺のこめかみが小さく震えた。  福山結弦が、周りに響くような大きな声で囃し立てる。 「あ、そっかそっかあ! だって先輩ってだけでアルファの後輩に偉そうにしてるベータといるなんて、おかしいと思ってたんだ! このOJTの人、朝陽さんにも偉そうにして気持ち悪かったあ! だって朝陽さんのマンションまで来たんだよ? 僕っていう人が一緒にいなかったら、偉ぶって朝陽さんに何を要求してたか分かんないよねっ」 「福山さん、ちょっと――」  さすがに内容がアレだったからか、朝陽が止めに入る。  だけどその前に、瀧が福山結弦の声に負けない声量で、言った。 「あー超うぜえこのオメガ!」 「は……っ」 「俺は好きで誉と一緒にいんの! あんたさあ、人のこと『ハズレアルファ』とか散々言ったこと、あんたの大好きな当たりアルファくんにちゃんと言った?」 「ちょ……っ! 酷いっ! そんなの嘘だもん! 君さ、この僕にそんな口聞いて無事で済むと思ってんの!?」  二人の応酬の激しさに、俺は一切口を挟めないでいた。というか、俺らの周りには空間ができていて、更にその周りには人だかりができてしまっている。うわあ、うわあ……。  すると、瀧が突然俺の後ろから抱きついてきて、そのままくるりと二人に向き直ったじゃないか。  顔を真っ赤にした福山結弦と、――眉間に皴を寄せた朝陽の姿が視界に飛び込んでくる。 「や、」  やっぱり無理だ。無理、逃げたい。だけど、逃げ体勢に入った俺を、瀧は逃がしてはくれなかった。 「別にいいよ。俺と誉、三月一杯で会社辞めて二人でどっかに引っ越そうって話してるし!」  は!? お前はどこの俺とそんな話をしたんだ!? というか、瀧が辞めるなんて聞いてないぞ!  福山結弦が苛立たしげに綺麗な顔を歪め、朝陽が目を大きく見開いた。……清々しいとでも思ってんのかな。はは……。  瀧が、噛みつくように言った。 「だからもう黙っとけよ、クソオメガ。せいぜいそっちの当たりアルファを逃さねえようにしとけば? もう二度と話しかけんな」  瀧が言い捨てて俺ごと前に向き直ると、「な、ひっど! 絶対パパに言いつけてやるからっ!」とキーキー叫びながら、「朝陽さん、いこっ!」とどこかへと去っていった。  それまでシンとしていた社食が、急にざわざわと騒がしくなる。視線が滅茶苦茶痛い。  それでも、これだけは言っておかなくちゃいけない。 「おい瀧。お前まで辞めるなんて聞いてないぞ」  すると、瀧が眉を八の字に垂らす。 「ごめん、誉。喧嘩は買わないつもりだったんだけど、誉のことを酷く言われて腹立っちゃってさ」  売り言葉に買い言葉っていうの? と苦笑する瀧。  にしても、と瀧が半眼で二人が去っていった方向を振り向いた。 「……あんな威嚇フェロモン剥き出しにして、何なんだよ本当」 「え、何のことだ?」 「んー、何でもない」  瀧は言葉を濁すと、俺の手首を再び掴んで、途切れていた列の後ろに引っ張っていったのだった。

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