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51 脅迫

 ベッドの中心、ネクタイの横に大事そうにそっと下ろされる。  まるで、宝物をふたつ並べられているような感覚だった。  朝陽は俺が腕に抱えていたコートと鞄を取ると、ベッド脇に積み重ねる。踵がベッドの足許に突いたことで、一時忘れていた靴の存在を思い出した。 「あっ! 靴!」  慌てて靴を脱ごうと手を伸ばすと。朝陽がギシ、とベッドの足許から膝を乗せ、恭しく俺の靴を脱がせていくじゃないか。次いで、靴下もするりと脱がされる。 「あの、朝……、」  朝陽は当然のように両手に俺の両足を乗せると、足の指先にチュ、チュ、と片方ずつ唇を当てた。うおっ!? 「わっ、朝陽!? それはちょっとっ」  半日靴で過ごした靴下を脱ぎたての足は、水虫はないとはいえさすがに抵抗がある。  と、うっとりとした半眼になった朝陽が、のたまった。 「……誉さんの匂いがする……」 「おい」  そこで俺の匂いを感じるな。  俺の抗議にも目をくれず、朝陽はずりずりと四つん這いで俺の上に跨る。俺の顔の真上まで来た朝陽の顔が、切なそうなものに変わった。……息は荒いものの、急に落ち着いてきたように見える。  その原因は、すぐに判明した。  朝陽が語る話の内容が、朝陽が言う「萎える」ものに変わったからだ。 「福山さんを部屋に送ったあの日……。酔っ払っていたのと、オメガの濃い匂いを吸い込んでしまって。部屋まで連れていったところで我慢できずに吐き気をもよおしたら、あの人の部屋のトイレに引っ張って連れて行かれたんです」 「……ゴルフの日のことか」  朝陽がこくりと頷く。 「吐いてしまって、あっちに行けといってもまとわりつかれて、余計匂いで酔って、吐いて吐いて、いつの間にか便器の上で気絶していて」  朝陽の瞳から、またもや涙がこぼれ落ちていった。子供のようにしゃくり上げる嗚咽に、堪らない気持ちになる。 「起きた時には、朝になっていて……僕と彼が、同意の元寝たことになっていたんです」 「はっ!? そんな馬鹿な!」  なんて滅茶苦茶なことを、と思った。だけど、同じホテルには父親の副社長もいて、福山結弦と朝陽を何故かくっつけようとしていた第一の部長もいた。これまでの、福山結弦の自分本位で強引な喋り方を思い出す。……うん、あの勢いでやられたらなあ。  ひく、ひく、と泣きながら、朝陽がイヤイヤをするように顔を横に振る。 「そんなことしてない、誤解だって、嘘だって言ったんです……! でも、責任を持てとか、オメガを傷物にして逃げるのかとか言われて……っ! 彼を捕まえて、嘘だって言ってくれって頭を下げて頼んだ……! でも『番になるって約束したの、忘れたの?』って……! 僕がオメガに反応するなんて、絶対有り得ないのに!」  朝陽にしてみれば、酒に酔った勢いなんて有り得なくて相手が嘘を吐いていることは最初から明白だったんだ。なのに、状況証拠とオメガ側からの主張があると、アルファの立場は俄然弱くなる。 「だけど……」と、朝陽が悲しそうに続けた。 「僕の話、誰も信じてくれなくて……っ! 僕には誉さんっていう恋人がいるってちゃんと言ったんです! でも、別れないなら誉さんに罪をなすりつけて首にしてやるって、部長と彼が……!」 「……マジか」  いやいやいや。それはもう犯罪だぞ? 大丈夫かあの二人。いや、大丈夫じゃないんだろうけど。  朝陽が泣きじゃくりながら、絞り出す。 「それだけじゃない……! 僕が彼と番わないなら、誉さんが二度とこの辺を彷徨けないよう社会的に抹殺してやるって……っ、男と寝られるなら、男専門の風俗に沈めてやってもいいんだぞ、そうしたら僕は誉さんに憎まれるなって部長に笑いながら言われて、僕、僕……!」 「は……」  なんてこった。まるきり反社会的勢力の脅迫じゃないか。完全にアウトだぞ、それ。何だってあの部長は福山結弦の肩をそんなにも持とうとしたんだ。謎すぎる。  唖然としていると、朝陽が更に吐露した。 「そうしたら、部長が『アルファはオメガと番えば自分の番しか目に入らなくなるから、とにかく番えばいい』って言い出したんです……! こんなの犯罪だって頑張って抵抗しました……! でも、誉さんが知らない間に襲われていてもいいんだな、冷たい恋人だなって笑われて……。そうしたら、彼が『ベータの義実家とか、付き合い面倒くさいよね』って言い出して」 「嘘だろ」  ふるふると首を横に振る朝陽。あのオメガ、やりたい放題にもほどがあるぞ……。 「ちょっと黙らせちゃう? とか笑いながら言うのが理解できなくて……! 怖くて、嫌で、僕の大切な人たちを失うの、絶対に嫌で……!」 「そりゃそうだよ……酷すぎる」  あまりにもあんまりだ。朝陽と連絡がつかなくてヤキモキしている間、まさかそんな地獄のような時間を過ごしていたなんて。  朝陽が咽び泣く。 「誉さん、ごめんなさい、ごめんなさい……! 僕、どうしていいか分からなくて、誉さんを傷つけられたくなくて、誉さんの心を傷つけた……!」 「朝陽……」  ゴルフからマンションに帰ってきた時はもうすでに、完膚なきまでに脅され切った後だったんだろう。俺が言うのも何だけど、俺という存在は朝陽にとってあいつらが考えるよりも遥かに重かった。それだけ、脅しの効果は覿面(てきめん)だったってことだ。  福山結弦は何故、そこまで朝陽に執着したんだろう。朝陽に惚れていたからだったとしても、これじゃ自ら嫌われにいくようなものだ。やっていることが、あまりにも異常すぎる。  その答えを、朝陽が語った。 「何故僕なんだって、彼に聞きました……! そうしたら、瀧の時はちゃんと調べないで近付いたらとんだハズレアルファだった、僕の時は伯父の会社を事前に部長が調べていて、『丁度ぴったり条件が合うのがいた』って……」 「条件? なんだそりゃ」  朝日が首を横に振る。 「分かりません……! でもこれだけは間違いないです! 彼は、僕のことは条件の合うアルファっていう記号としか考えてないって!」 「嘘だろ……」  絶句、というのはこういうことを言うのかもしれない。朝陽の意思も人格も全て無視して、自分の都合で好きでもない朝陽をあそこまで振り回したのか。心底理解できない。  朝陽の涙声での告白は続く。 「毎日臭いし吐き気がするし、誉さんに付いてる瀧の匂いが濃くなっていく度、嫌で嫌で、全部捨てて誉さんを攫って逃げたかった……! 苦しくて、感情を抑えて抑えて、必死で僕を嵌めて脅している証拠を集めて、まとめて……!」 「朝陽……」  俺がひとり傷ついて朝陽から目を背けようとしていた時、朝陽は必死に抗おうとしていたのか。誰にも相談できず、元は外に出ることすら恐れていた朝陽が。  顔中涙だらけの朝陽が、祈るような目で俺を見つめてきた。 「誉さん。僕、初めて会った時から誉さんだけが好きです……今でも誉さんだけです。お願い、信じて下さい……っ!」  俺の、俺だけの可愛い大型系わんこな朝陽。  俺は無言のまま、ぷち、ぷち、と自分のネクタイを緩めてシャツのボタンを外していく。  不思議そうな顔で俺を見ている朝陽に微笑みかけながら、見えやすいように首を傾けてみせた。  ……沢山辛い思いをしてきた朝陽でも、きっとこれなら疑わずに信じて安心できる筈だから。 「ああ、信じてる――だから、俺のうなじ……もう噛んでいいぞ」 「――ッ!」  朝陽の目の色が、完全に変わる。  通常に近い様子に戻っていた瞳孔が、再び開き始めていく。  は、は、と短い荒い息が繰り返された後、朝陽は急にピタリと息を止め。 「ツ――ッ」  鋭いアルファの牙が俺のうなじに突き刺さり、ズブ、と沈んでいった。

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