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53 愛社精神

 完全にラット状態になった朝陽は、俺が快感が過ぎて降りてきていない時も、疲れ切って挿れられながら意識が落ちている時もお構いなしに、抱いて抱いて抱きまくった。  恐るべし、アルファのラット。  いつの間にか落ちていた意識がフッと戻ったのは、カーテンの向こうに夜景が映し出されている頃だった。  前回朝陽がラットになった時は丸一日抱かれていたけど、昼過ぎから抱かれ始めたことを考えると、今回は半日で収まったらしい。それだって、普通と比べると十分長いんだろうが。  腰から下がもう感覚がろくにないことを考えると、これでも軽く済んだと言えないところが恐ろしい。  腕枕をされていて、背中にはぴったりと貼りついている肌の感触がある。皮膚がベタついていないところをみると、朝陽が拭いてくれたのかもしれない。 「あさ……、んん、朝陽、起きてるか……?」  声を出そうとしたら、喉がしゃがれて痛い。しかもカラカラになっていて、あれ? と嫌な既視感を覚えた。……いや、まさかなあ。  と、後ろでハッと身動ぎする音がした直後、朝陽が顔を覗き込んでくる。 「誉さん! ご、ごめんなさい!」  涙目の朝陽が、唐突に謝ってきた。 「え? 何が?」 「僕、またやっちゃいました……!」  またやったとはどれのことだろう。まだぼんやりとする頭で考えた。 「あ、ラットを起こしたことか? それともうなじを噛んだことか? あれはまあ分かってたし、俺がやれって言ったんだから大丈夫だよ」 「そうじゃなくて……っ」  ん? と思って朝陽の言葉の続きを待つと、朝陽が口角を子供みたいに下げながらボソリと言う。 「僕、また丸一日誉さんを抱き潰しちゃいました……」 「は? 丸一日?」 「正確には、前回より長めに」 「え」  再び外を見た。会社を出たのは昼間。今は夜だ。ということは――まさか、一日半経ってる? 「全て出し切って、ようやく我に返った時にはもう次の日の夕方になっていまして……。僕のを挿れたままの誉さんが気絶したように寝ていて、これは起こさない方がいいと思って寝かせてたんですけど……」  怒られたわんこのように凹んでいる朝陽。……可愛いな。  朝陽がパッと顔を上げる。 「あ、僕のものは掻き出しましたから安心して下さい! 寝ながら悶えてる誉さん、滅茶苦茶可愛かったです!」 「おい」 「あ、あと、掻き出した後、会社にはすぐに連絡しました!」  掻き出したを連呼するな。 「そうしたら、僕たちの休みは元々昨日の午後から明日まで申請されてたらしくて」 「へ、そうなのか?」 「はい。その……瀧が『それくらい必要だろう』と言っていたそうで」 「それくらい……」  何が、とここで聞くのはやめておいた。  と、朝陽が何故か急に申し訳なさそうに目を逸らす。その殊勝な態度を、掻き出し発言の時にこそ見せてほしい。 「……どうした? だったら別に無断欠勤した訳でもないし問題は、」  仕事は溜まるが、この際仕方ないと思おう。寝てる間に掻き出したのも、まあ……うん。  朝陽がもじもじした。 「いや、でもあの、それともうひとつ……。実は会社で、誉さんは僕と元サヤになって仲直りエッチして抱き潰されてるって認識されてるそうです」 「ちょっと待て、何がどうしてそういう話になってる」  朝陽は済まなそうな顔をしているものの、隠しきれない嬉しさがニヤけになって現れている。ちょっと待て、勘弁してくれ。 「元々、僕がイントラに上げた証拠の中に、僕が誉さんにベタ惚れしていると分かる内容がかなり含まれているんですけど……」 「なんだって?」  そういや、俺はイントラに上げられたっていう投稿内容を把握していない。一体どんなのを上げたんだ? 「ヒートトラップだけじゃなくて、他の時の状況も僕たち以外では一番詳細を知っている瀧が、人事に事情聴取されたんですよ。その時に、副社長と第一の部長からのパワハラで、僕が番と認識している誉さんから無理やり引き離されて、番を奪われるという過度なストレスからラット化したと説明したそうです。イントラの証拠もあって、信憑性がかなり高いと認められたとか」  事情聴取。かなり大事になってそうで、今更ながらにヒヤヒヤしてきた。 「誉さんが退職するつもりだったのは、社食の事件で知れ渡ってたじゃないですか。それで瀧は、ヒートトラップを起こした犯罪者オメガの尻拭いを、辞職を考えるほど追い詰められた被害者である誉さんが今まさに身体を張ってやってくれているんだと伝えたそうです」 「身体を張って……」  瀧よ、言い方ってもんがあるだろうが。  朝陽があくまで真面目な表情で続ける。 「ヒートトラップ、それにパワハラからの辞職が成功していたら、会社としては相当拙いですよね。第一、外部にリークされでもしたら業績にも大きく影響しますしね。なのに、こんなにもパワハラと脅迫を受けて身の危険があった誉さん本人が未然に防いでくれたのに、このまま有耶無耶にして誉さんの愛社精神を無下にしていいのかと、涙ぐんだ演技も交えながら訴えたらしいです」 「俺はどこかの聖人にでもなったのか」  俺の行動が、愛社精神ありきになっているぞ。どこの世界線の俺の話だ。そりゃ、俺だって会社はちっとも嫌いじゃなかったけど、そこまで愛社精神に満ちあふれてはいない。 「それでも消極的だった人事に、アルファのラットをベータが相手にするのがどれだけ大変か分かりますかって訴えたら、みんな同情したらしくて」 「それは余計だ」 「少なくとも丸一日は抱かれっ放しだと説明したそうです」 「なんつーことを」 「渋る人事部長を説得してくれたそうですよ、人事の人たち」 「あう……」  事実であるだけに、勘弁してほしかった。俺は次からどんな顔をして出社すればいいんだ。道理で、朝陽が嬉しそうながらも俺に済まさそうな顔をしてくる訳だ。 「あ、ちなみに、第一の部長と副社長は自宅謹慎になったらしいですよ」 「そっか……それはちょっと安心した」  会社に戻ったら、何事もなかったかのようにされる可能性だって十分にあった。以前までの流れだったらきっとそうなっていただろうし、もし今回も誰も動かなければ、それがまかり通ってたかもしれない。 「瀧の訴えだけでなく、下からの押し上げもあって、ここで一気に脱昭和ブラック企業を目指すことになったそうです」 「そりゃまた大掛かりな」 「これからプロジェクトを組んだ上で、未曾有の大人事になるっぽいです」 「そっか……でも、よかった」 「はい」  会社がよくなっていくのは嬉しい限りだけど、きっかけが俺の身体を張っての頑張りだと思われるのは正直複雑だけどな……。 「この流れの事の発端は、第三の部長がこれを機にテコ入れしたいからみんな手伝えって言ったことらしいですね。瀧の演技もそれが元の理由だって、さっき安西さんが電話で言ってました。営業部のみんなも改革に燃えてるそうですよ」  営業部のみんな。どの程度のみんなかは分からないけど、あの時確かに、俺たちの元に駆けつけてくれた仲間はいた。  そうか、と気付く。中には俺と一緒で、事なかれ主義を貫いていた人がいたっておかしくなかったんだ。あと一歩、少しきっかけと勇気があれば、踏み出せる人もちゃんといたんだ。  ――俺ばっかりじゃなかった。俺だけがうまくできていない訳じゃなかったんだ。  朝陽が微笑む。 「うちの会社、かなりパワハラが横行してましたからね。みんないい加減、我慢の限界がきてたのかもしれないですよ」 「ん……そうかもな」 「だから誉さん」と朝陽が真剣な顔になると、真っ直ぐに俺を見つめてきた。 「……うん?」 「お願いです。会社、辞めないで下さい」  朝陽の懇願に、俺は。 「――仕方ないな。可愛い後輩兼番の頼みだから、聞いてやるしかないじゃないか」  と答えると、安堵したように頬を緩ませる朝陽の唇に、自分のそれを重ねたのだった。

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