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54 賭けと賞品
朝陽はその夜、甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれた。
最初朝陽は、「本当は彼の声を聞くこともストレスなんですが」と渋った。だけど、騒動に大いに巻き込まれた俺が肝心なことを何も知らないのはさすがに拙いだろうと言うと、渋々だけど了承してくれた。
ということで、朝陽の足の間にぴったりと収まりながら、イントラに載せたという朝陽の告発を一緒に見始める。
内容は、はっきり言って酷いのひと言だった。
何がって、福山結弦と第一の部長の傍若無人ぶりが、だ。
投稿内容は、まずは時系列に何が起きたかを簡素に並べた文章から始まっていた。
副社長が自分の息子である福山結弦を会社の特別枠で捩じ込んできたこと。
第一営業部に所属が決まってすぐに、まだ一年目で自身もOJTを受ける身であったアルファの瀧を急遽福山結弦のOJTに抜擢したこと。この指示は部長から下されていたことも明記されている。
早い段階で、瀧が仕事の説明をしても福山結弦にやる気がないことが判明していた。これは第一営業部の他の社員からも裏が取れていて、事細かにどういう発言や行動があったのかがリスト化されている。
他の社員も見聞きしていた、社食での瀧と福山結弦の「番がいるか」の確認。福山結弦が瀧の家族構成や学歴などを熱心に聞き出していたことも、周りの社員が記憶していた。
そして、突然の瀧と朝陽の交換。これは人事から下りてきた指示だ。でも実際は副社長命令であることは、第三営業部部長が人事から仄めかされている。通常ではあり得ない人事に第三営業部部長は反発したけど、第一営業部部長がむしろ賛同したことからそのまま押し通されたのは、俺も聞かされた通り。
その後始まった、朝陽に対する第一営業部部長との毎朝の早朝ランニングに、毎晩の拘束。週末に至っては、強制的に接待ゴルフへと行くように指示される。合間合間に、福山結弦と番えばいいと繰り返し言われ、不快感を示したが相手にされなかったことも書いてあった。
その晩に起きた、朝陽の嘔吐と福山結弦の突然の虚言からの、朝陽に対する責任を取れという責め。恋人である俺と別れることを強要したことに加え、詳細な恐喝内容も書かれていた。
淡々と書かれた内容は、静かに感情を省いて書かれているだけに、余計に薄ら寒いものを感じてしまった。
朝陽は自分の無罪を証明する為、医師の診断書を添付していた。オメガのフェロモンを嗅ぎ分ける際に「不快な臭い」と脳が判断してしまう、『フェロモン感知異常』と書かれたものだ。症状として、匂いに対する過敏反応、頭痛、嘔吐、目眩、更にオメガに対する勃起不全に強迫観念も記載されている。こんな個人情報も晒さないとなのかと愕然としたら、「僕にとってオメガと番えないのはどうでもいいことなので」とこめかみにキスをされた。
その後に付けられていたのは、複数の音声データだ。早朝マラソン時のものが多く、彼らが会社でボロを出さないようにしていたことも窺わせるものだった。
この音声データが、これまたとんでもない内容だった。
脅しているものは以前からのものもあったけど、言い逃れできない決定的なものは、あの騒動の前に俺と瀧が「二人で会社を辞める」と宣言した後の会話にあった。
『福山さん。貴方がたが罪をでっち上げて首にできるんだと言っていた誉さんは、自主退職するそうですよ。満足ですか? でも、これでもう貴方の脅しは効きませんよ』
『はあ? 何言ってんの? 僕が言ったこと、もう忘れたの? 部長さんの知り合いに何でも代行してくれる人がいるって言ってたでしょ! そいつに言って、今すぐあのベータを襲わせることもできるんだからねっ! だから僕たちが番になることは決定事項~!』
『誉さんに指一本触れたら、僕は一生貴方を許さない……!』
『ふふん、知らないの? 番っちゃえば、アルファはオメガの言いなりなんだよ! 僕の親だって、最初は仲が悪かったけど番ったらパパがベタ惚れしたんだよって部長さんが言ってたもんね! 朝陽さんだって、僕と番えばあんなベータのことなんてどうでもよくなるんだからっ!』
朝陽が絶句している沈黙の後、福山結弦が楽しそうに言い放つ。
『あのねえ、いーい? 僕はね、僕に従順なアルファがほしいの! 僕だけを崇めてくれる、僕の信者! あ、うち、創業者一族なの知ってるでしょ? 朝陽さんの実家が割と太めなのも好条件なんだよね』
『僕は貴方の信者になんか絶対にならない……!』
『そう言っていられるのも、今の内だよ? 血統書が付いてない我が強そうなハズレアルファの瀧さんは扱いづらいから、さっさと切っちゃって正解だったあ。あっちは母親ひとりだし、アルファの男が母親を囲ってるから面倒だけどお。朝陽さんはほら、大事だけど自分の身も守れないベータが三人もいるから、扱いが楽でいいよね! ひとりじゃ守るのも大変だもんねえ? ふふふ』
『僕の家族に手を出すな……!』
『んふふ、だからあ。朝陽さんが僕と番って僕を崇めたら手は出さないってぇ。ちょっとでも反抗したら、どうなるか分かってるでしょ?』
『く……っ』
そして、次の音声データには、第一営業部の部長の声と福山結弦の声が入っていた。
「これは福山さんにこっそり仕込んでおいた盗聴器が拾った音声なんですけど」と朝陽が前置きする。
『部長さあん。これなあに?』
『おはようございます、福山さん。昨日の騒動、聞きましたよ。使えたネタがひとつ減ってしまいそうなんですよね。その為に用意したんですよ。是非使ってみて下さい』
『えー、部長さんもう知ってるの? すごーい。でもそうなの、昨日朝陽さんてば、僕を脅してきて。怖かったあ』
甘えたような声を出す福山結弦。何が脅してきて、だ。過去の声だと分かっているのに、腹が立ってきた。
『はは、彼は典型的な堅物アルファですからね。上に上がるには多少は汚いことも許容しないといけないんですが、青臭い彼にはまだハードルが高いようですね』
『ふうん? まあいいや。で、これなあに?』
第一営業部の部長が、声を潜めた。
『オメガ用の発情剤です。ベータの駒に逃げられる前に、番ってしまえばいいんですよ』
『あ、確かにそれいい! 僕の発情期、まだ来月だし困ってたんだよねえ。でも、いつ使えばいいの?』
『飲んで三十分ほどで効いてきますので、お昼になった頃に飲むといいかと思いますよ。丁度食事が終わるくらいに発情が始まれば、そのまま二人で午後消えても目立ちませんし』
『えっ、そうするー! 正直毎日会社に来るのも疲れちゃってたんだよね! 番ったらもう会社に用ないし! わあ、楽しみ!』
仕事もしてない癖に、何言ってんだこいつ。心底腸が煮えくり返る。
イントラに上げられた音声は、これで終わりだった。最後に、朝陽からこれを見た社員へのメッセージで締め括られている。
『一企業として、こんな横暴が許されるでしょうか。僕は僕の命にも等しい恋人や、どんな僕でも見守り支えてくれた大切な家族の命を危険に晒したくはないのです。どうかこれを見たら、声を上げて僕らを助けて下さい。ひとりの声は小さくとも、それが沢山集まれば、きっと不正は正せると僕は信じています。高井朝陽』
……一体どんな気持ちでこれを書いたんだろうか。朝陽の孤独を考えると辛くて苦しくて、気付かない間に唇をきつく噛み締めていた。
「この最後の音声データなんですけど、何か仕掛けてくるなら誉さんが辞めると言った翌日からだろうと推測して、あの人の胸ポケットにペンタイプの盗聴器を仕込んでいたんです。すぐには回収できなくて、昼前にようやく回収したら、昼休みにヒートトラップを仕掛けられるって分かって、さすがに焦りました。ラットにならない自信はありましたけど、オメガのヒートはあの時以来嗅いでませんでしたから、万が一の保証はなくて」
「そうか……知ってたのか」
「はい」
朝陽が苦しそうな声で返す。
「タイミング的に、二人きりになった時にヒートを起こされるとまた何を仕組まれるか分かったもんじゃない。だから、彼が発情剤を服用したらしいことを確認した後、これだけ片付けたいと社食に行く時間をできるだけ引き伸ばしたんです。その間に、この資料をイントラと人事に送りました」
正に綱渡り状態だった訳だ。
社内イントラには、部活動などの募集や活動報告を社員が上げられるページがある。今回朝陽は、そこに直前に記事を立てておき、一気に投稿したのだ。
「彼は焦っていたと思います。僕の最後の賭けが勝つか、彼の悪運が勝つか。……勝負に勝てて、本当に……っ」
朝陽が鼻を啜る。きっと、物凄く怖かったことだろう。絶望の中、大切な人たちを守る為に、朝陽はひとり、必死で足掻いたんだ。
こてん、と朝陽の肩に頭を寄せる。
「頑張ったな、朝陽。勝負は朝陽の勝ちだ」
「はい……っ」
「勝者には、賞品として俺が進呈されるぞ。もうこの先、俺はお前だけのものだ」
朝陽が息を呑む音が聞こえた。
ガクガクと、朝陽の身体が小刻みに震えているのが分かる。
「ほ、誉さん……っ」
「おう」
「ぼ、僕と、け、結婚……してもらえますか……?」
不安そうに問う朝陽の声。
ああ、可愛くて仕方がない。
「勿論。これからよろしくな、俺の旦那様」
顎を上げて朝陽を仰ぎ見ると、またもや瞳を潤ませた朝陽と目が合い。
どちらからともなく、もう何度目になるか分からなくなったキスをしたのだった。
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