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55 遺恨
会社を揺るがす大事件の中心にいた朝陽と俺は、休暇明け早々人事に会議室に呼び出された。
瀧と第三営業部部長が先に着席していて、何故か副社長秘書の飯島さんまで同席している。
全員が着席したところで、飯島さんが深々と頭を下げてきた。
「まずは、この度は福山結弦が多大なご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした」
飯島さんは副社長秘書ではあるけど、正直この人が頭を下げるのは違うんじゃないか。そうは思ったけど、他でもない被害者の朝陽や瀧、それにムスッとした表情を隠しもしない部長が何も言わないので、俺も右に倣うことにする。俺の事なかれ主義は健在だ。
と、顔をゆっくり上げた飯島さんが爆弾発言をする。
「これ以上彼を野放しにしておいても、会社にメリットは一切ございません。つきましては、先日のヒートの際私が彼のうなじを噛みましたので、もう二度とアルファの方々にご迷惑をおかけすることはないでしょう」
「は?」
そもそも飯島さんてアルファだったのか。細身でインテリ風なおじさまではあるけど、アルファのような雄味は感じられなかったので、てっきりベータかと思っていた。
「私には番がおりましたが、二十年前に死別しておりまして。結弦さんの特徴をよく知るアルファは私しかおらず、この対応になりました」
「ええ……?」
飯島さんは涼しげな表情だ。
「私のことでしたらご心配なく。結弦さんには慣れておりますから」
目をパチクリさせて驚いている俺たちの為に、飯島さんが説明してくれたところによると。
実はこの飯島さんは、副社長の大学時代からの友人だった。飯島さんは生真面目で規律を守るタイプ。副社長は常に人に囲まれているような明るくてちょっと緩いタイプ。性格は正反対だけど、お互いアルファで二人とも中流階級の一般家庭出身で価値観が似通っていたこともあり、とても気が合った。
ベータである第一営業部部長――山崎さんは、元々飯島さんのゼミの知り合いだった。自分にストイックで、効率を重視するあたりは今と一緒らしい。
チャラチャラした雰囲気の副社長のことは苦手な様子で、飯島さんといる時に副社長がニコニコ寄ってくると、サーッと逃げていっていた。
「副社長は常に人の中心にいて自分が好かれるのは当然と思っていたので。自分を避ける山崎が気になり始め、次第に絡んでいくようになりました」
まさか。俺の推測が顔に出ていたんだろう。飯島さんが、肯定するように頷いた。
「副社長は、山崎の心を手に入れようと躍起になりました。最初は山崎は全く相手にしていなかったんですが、次第に惹かれ始め。大学を卒業する頃には、二人は相思相愛の恋人同士になっていました」
「そうだったんですか……」
「はい。大学を卒業すると、私と副社長はこの会社に、彼は別の会社に就職しました。実は私は学生時代に番って学生結婚をしていた為、対象から外れたのかと思いますが……」
飯島さんの眉間に、微かだけど皴が寄る。嫌な予感に、俺は静かに次の言葉を待った。
「当時の社長は現在の会長なのですが、創立記念祝賀会の際、副社長はオメガである会長のお嬢様に引き合わされまして」
そういえば、福山結弦が録音された音声の中で言っていたじゃないか。自分は創業者一族なんだって。なるほど、副社長は婿養子なのか。
「断れないまま、副社長とお嬢様の結婚話がどんどん進んでいきました」
飯島さんの話だと、副社長は恋人がいるとちゃんと説明して断った。だけど――。
「副社長に惚れたお嬢様は、ヒートトラップを仕掛けて副社長と番ってしまわれたのです」
「酷え……」
瀧から、掠れた声が漏れる。
飯島さんが、複雑そうな表情を浮かべた。
「一度番ってしまえば、もう後戻りはできません。副社長は泣いて山崎に頭を下げて許しを乞いました。当時、私は二人から話を聞いていましたが……お二人とも、とても辛そうでした。副社長は会えなくなるなんて生きていけない、でも山崎の方はもう二度と会わないの一点張りでしてね。あのままだと、副社長が彼を拉致監禁しそうな勢いでした」
さすがはアルファ。例え相手がベータであろうと、自分の番と決めた相手に対する執着は物凄い。
「このままでは、二人とも駄目になる。壊れていく副社長を見ていられなかったのかもしれません。最終的に、山崎が折れた形になったのです」
「折れた?」
「はい。恋人関係を解消し、以後は友人としての距離を保つなら、傍にいてやると。副社長はそれでもいいと喜び、会社に彼の居場所を用意させました。当時はさすがに部長の肩書は与えられませんでしたが、引き抜きという形で、副部長に抜擢されたのです」
それが第一営業部だった訳か。
「副社長は、オメガの妻を愛してはおりませんでした。相手にするのは、ヒートの時だけ。ただの性欲処理の相手と見做し、会長の望むまま、子供を三人もうけました。結弦さんが生まれた時は、これでもう何も言われないと肩の荷を下ろしておりました」
聞いているだけでも辛くて仕方ない。こんなの、誰ひとり幸せにならないじゃないか。
「ようやく少し自由になった副社長は、山崎に復縁を迫りました。ですが、彼はどうしても許せなかった。元々潔癖なところがありましたから。子供がいるのに何を言っているんだと、突き放しました」
「気持ち……分かります」
アルファの恋慕の苛烈さは、朝陽のものを向けられている今ならよく理解できる。それと同時に、どうしても許容できない境界線が自分の中に存在することも。
「そこで副社長も素直にもう一度引くことができたらよかったのでしょう。ですが、長年追い詰められてきた副社長には、限界が訪れていました」
「どういうことです……?」
朝陽が怪訝そうに尋ねた。
深い息を吐いた後、飯島さんが語ったこと。それは、聞いているこちらが泣きたくなるほど悲しい内容だった。
「理性の糸が切れたように彼に襲いかかり、犯してしまったのです」
「……!」
「何年もお預け状態だった副社長は、山崎を抱くとラット状態になり、彼が泣き叫ぼうが気絶しようがお構いなしに抱き続けました。以降、毎回ラット状態で抱かれ続けた彼は、思ったのです。このままでは、どちらも修復できないほどに壊れてしまうと」
それから、山崎さんはパワハラを繰り返し、部下に無茶振りをするようになったという。飯島さんが問い正したところ、「評判が悪くなれば首にしてもらえないかと思ったんだ」と泣きながら吐露したそうだ。
副社長は、絶対に彼を離さない。だから彼は、周りを利用することにしたのだ。
だけど、周囲からの訴えを副社長は片っ端から握り潰した。その上で、「自分から離れるつもりなら許さない」と手酷く抱いた。
どうしようもない、アルファの呪いのような執着。二人の間に障害がなければ、今も幸せでいられただろうに。
「副社長は、子供たちの前ではよき父親を演じておりました。ですが、愛情が向けられていないことに子供は気付くものです。結弦さんは非常にお嬢様……奥様似であることもありましたので、余計でした」
「……だからって、あの人がやったことは許されないことです」
朝陽が厳しい表情をしながら、ボソリと呟く。
これに対し、飯島さんはあっさりと頷いた。
「勿論です。あの方は、奥様が『育ちのよくないアルファと番ったのは失敗だった』と嘆くのを聞いて育ち、父親の愛情を求めてどんどん我儘をエスカレートさせていきました。今回結弦さんが特別枠に充てがわれたのも、結弦さんの素行の悪さに頭を抱えた会長が、社会経験を積ませればまともになるだろうかと考えたことからでした」
「一切働かなかったっすけどね」
「返す言葉もございません」
瀧のツッコミに、飯島さんが深々と頭を下げる。
「会長は、彼と副社長の関係が復活していることを察していたのかもしれません。あえて第一営業部を指定してきたのです。おそらくは、子供がいるんだぞと見せつけて山崎から身を引かせる為に」
「……酷えな」
部長が呟いた。これまでぶつかり合いながらも同じ営業の部長職の仲間として働いてきたのだ。人一倍思うところはあるのかもしれない。
「ですが、彼はこれを好機と取ったのです」
「好機、ですか?」
眉を顰めながら尋ねると、飯島さんが深く頷いた。
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