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56 大型わんこ系恋人はベータな番のうなじを噛み続けたい

 飯島さんの淡々とした説明は続く。 「いくら愛情を持っていないとはいえ、結弦さんは副社長の実の息子です。そんな彼を引き受けて、失敗したらさすがに引き止められないのでは? 山崎はそう考え、策を練った。操りやすい結弦さんを焚き付けて、滅茶苦茶に行動させることを」 「確かに滅茶苦茶だったっすよね」  すかさずツッコんだ瀧にも、飯島さんはあっさりと頷いた。 「その通りですね。本来は勤務態度を正すべき立場にいる山崎は、結弦さんにやりたい放題にさせました。彼が問題を起こし取り返しが付かない状態になることを望んだのです。単純な結弦さんは、扱い易かった。山崎がアルファの貴方たちを推すと、すぐにその気になったそうです。彼は言っていました。奥様によく似られた結弦さんを騙すことで、長年の恨みが晴れていく気がしたと」  山崎さんはずっと独り身だった。今も自分に執着するアルファが常に見張っているから、恋人なんてもっての外。なのに相手には妻も子供もいて――。それはどれだけの孤独と苦痛だっただろう。想像では図り得ない。 「副社長の前でアルファの高井さんを勧めると、副社長は自分のことを思い出すのか、実に嫌そうな顔をしていました。山崎は、その顔を見てスカッとしたとも言っていました」 「そりゃそうだよ……がんじがらめじゃねえか。でもまあ、どうしてあいつが途中からおかしくなっていったのか、これで理由が分かったよ。スッキリはしないがな」  部長が苦々しげに言った。  飯島さんが続ける。 「山崎は、今度こそ自由になりたかった。何もかも忘れて、ひとり静かに暮らしたかったそうです。だからそれまでの間、結弦さんを助長させ、滅茶苦茶な人事を力で押し通し、高井さんに訴えられてもおかしくないパワハラを行い十分に恨みを買ったところで、結弦さんを唆してヒートトラップへ誘導しました。職場であんなことをさせたら、当然問題になりますからね。どう考えても責任者の有責になります。もし失敗しても誰かが山崎を糾弾するよう四方に種を撒き、山崎は待ちました」  つまり、朝陽が放った告発を、彼はずっと待ち望んでいたということだ。 「……僕は彼の復讐に利用されたってことですか」  憮然とした表情で朝陽が尋ねた。  ここで初めて、飯島さんが非常に申し訳なさそうな人間味のある顔になる。 「申し訳ありません。山崎は、瀧さんのことはかなり買っていたそうです。なので瀧さんを利用するのはさすがに良心が痛み、大して知らない貴方を利用しようとしました。理由がどうであれ、免罪符にはなりませんが」  朝陽は絶句したのか、口を開いた後、閉じて唇を白くなるまで噛み締めた。 「自宅謹慎中の山崎ですが、本日退職願が提出され、受理されました」 「え、それじゃ副社長は諦め――、」  俺の質問に、飯島さんは首を横に振る。え? どういうことだ? 「それが、副社長までもが退職願を出したのです。問題を起こしたのが副社長の息子と大学からの友人ということで、責任を取って辞めると」 「え、でもそれじゃ」 「奥様には離婚を申し出て、以後一切一族に関わらないとの条件で今朝区役所に離婚届が提出されました」 「で、でも、番って別れると問題があるんじゃ?」  俺のうろ覚えな知識によれば、番のアルファと別れるとオメガの心身に問題が起きるらしいけど、大丈夫なんだろうか。  飯島さんは軽く肩を竦める。 「多少は影響はあるでしょうが、私も含めもう五十代ですからね。第二性の特性も、加齢と共に減少していきますから、まあ何とかなるでしょう」 「そういうものなんですね……」  まあでも確かに、年を取ってもギンギンとは聞かない。なるほどなあと思った。 「ですね。奥様は抵抗はされましたが、会長の鶴の一声で決まったそうです。これ以上副社長を縛り付ければ、早々に犯罪すら犯しかねない。一族から犯罪者を出したいのかと」 「え」  ぎょっとして思わず朝陽を見ると、朝陽は納得したように深く頷いた。 「まあそうですよね。拉致監禁事件だけならまだしも、邪魔をされたら無理心中もありえますからね」  何を物騒なことを言ってるんだ!? と目を見開いていると、瀧までもが朝陽の言葉に賛同したじゃないか。 「だなー。俺だったら、邪魔する相手を偶然を装って殺しちゃうかも。その上で番を監禁して世話する。もう二度と外に出さない」 「まあ外に出さないは基本ですよね」  飯島さんまで賛同しないでほしい。アルファ怖いよ、と助けを求めて部長を見ると、遠い目をしていた。……ああ。  飯島さんが、向き直る。 「実は、山崎の退職願も副社長が自分のものと一緒に提出されましてね。もう既に捕まっているとみていますが、離婚も成立したことですし、暫くはそっとしておこうかと思っております」  第一の部長山崎さんのことは直接は知らないし当然嫌な印象しかなかったけど、アルファに番認定されたベータの大変さは身を以て知っているだけに――健闘を祈る。  飯島さんが、姿勢を正した。 「私と結弦さんのことになりますが。結弦さんが幼い頃から、両親の代わりに細々と面倒をみていたのが私なのですよ」 「そうだったんですか……」 「はい。本来はとても可愛らしいお方なのですが、甘やかしすぎたと反省しております。私の所に落ちてくるのをのんびりと待っていましたが、私に隠れて他のアルファに色目を使うなど、少々おいたが過ぎましたね」 「は? え?」  いやちょっと待て、飯島さん、今なんて言った――?  目を見開いて飯島さんを見ると、目が合った。飯島さんが、晴れやかに笑う。 「番の調教は、アルファの夢でもありますよね。しっかりと躾けますので、ご安心を」  横で朝陽と瀧が当然のように頷く中、俺と部長は横目で視線を交わし。  アルファ、怖え――。  と死んだ魚の目になったのだった。 ◇  飯島さんが退出すると、改めて人事から話があった。  瀧と朝陽の入れ替わりを再び元の状態に戻すこと。第三営業部部長を統括部長に引き上げ、営業部全体の再編成を行うこと。  ――それと。 「え、人事部に異動ですか?」 「はい。勿論安田さんの意思を尊重しますので、このまま営業部に残りたいというのであればそれも仕方ないのですが」  人事部長の代わりに俺に異動の話を持ちかけてきたのは、課長だという優しげな顔をした中年男性だった。 「高井さんのOJTについては元々評判もよく、瀧さんの急な異動の際も非常にスムーズに受け入れを調整されていましたよね」 「え? でもあれは二人が優秀で、」 「今回、第三営業部のみなさんからもお話を聞く機会があったのですが、みなさん口を揃えて言うんですよ。安田さんは面倒見がよく、相手をよく見てトラブルを起こすことなく調整するのに長けていると」  おっと、俺の事なかれ主義がまさかそんな評価を受けるとは。  人事課長が、微笑みながら朝陽を見る。 「実は今年の入社の際、高井さんに安田さんの話を伺った時からずっと、いつか人事に欲しいと思っていたんですよね」 「あ」  そうか。絶対第三営業部がいいと主張した朝陽の話を、当然人事は相談を受けていた。それがこの人だったってことか。 「その節はありがとうございました」  朝陽が丁寧に頭を下げた。穏やかに「いえいえ」と答える人事課長。  人事課長が、俺に向き直る。 「この先、暫くは人事の混乱が続くと見ています。そんな時、安田さんのような調整力があり親身になれる方の力が、是非ほしいのです」  どうしよう、と朝陽の方を見た。朝陽はどこか寂しそうな表情で、「誉さんの望むままに」と言ってくれた。  ――自分では駄目だと思っていた、この性格。親父のことは、決して嫌いじゃなかった。だけど、親父がいなくなって、もっと理想な息子になれたんじゃないかと後悔して、悩んでも結局俺は変われなくて。  でも。  こんな俺でも、好きだと言ってくれる人がいる。必要だと求めてくれる人がいる。だったら俺も、朝陽にきっかけを与えられたように、少しでも誰かのきっかけになることができるとしたら。 「……はい、やります。是非やらせてください」 「安田さん……! ありがとうございます」  人事課長が笑顔になったことで、固かった俺の表情も笑顔に変わる。  ――やればできるじゃないか。  親父の声が、聞こえた気がした。 ◇  その日の帰り道。  朝陽と並んで歩きながら今日の夕飯について意見交換をしていると、突然朝陽が黙り込んでしまった。 「朝陽?」  横顔を見上げる。思い詰めたような表情だ。 「……誉さん」 「うん?」 「今日の、副社長たちの話を聞いても、まだ僕といていいって思ってくれていますか……?」 「は? どうした突然」 「――だって!」  泣きそうな顔の朝陽が、俺の二の腕を掴んで引き止めた。 「アルファの執着の強さ、分かりましたよね……!」 「ま、まあな」  大分凄いな、と思ったのは確かに事実だ。 「副社長たちと僕らは、条件が一緒なんです……」 「……アルファとベータの組み合わせってことか?」 「はい……男同士で、うなじを噛んで僕に縛り付けておくこともできなければ、子供を作って僕に縛り付けておくこともできないじゃないですか」  縛り付けておく前提なのがあれだが、言いたいことはまあ分かる。 「まあなあ。でもそれがどうした?」 「だ、だから! オメガや男女で番うのとは違って、僕らアルファはベータの相手がいつか自分の元を去ってしまうんじゃないかと不安になって、凄く、物凄く縛り付けちゃうと思うんです……」 「なるほどな?」  要は、朝陽は自分の愛が重すぎて、俺が嫌気が差すんじゃないかと不安になっている訳か。  可愛いが過ぎるんだが。  そんな俺の気持ちには気付かないのか、朝陽はどこか子供っぽく下唇を突き出しながら、ボソボソと続ける。 「僕、誉さんがいないのなんてもう二度と耐えられないので、逃げられそうになったら絶対閉じ込めちゃうと思うんです……」  俺が退職すると言ったあれが、相当ショックだったらしい。  愛おしさが募ってきた。こんな可愛い俺のアルファを手放すなんて絶対にあり得ないのを、どうやったら分かってもらえるのか。  ――だったらここは、あれしかないだろう。 「あのな、朝陽」 「は、はい……」  涙目の朝陽にもよく見えるように、ネクタイを緩めてシャツのボタンをふたつ外していく。二日前に深く噛まれたうなじには、まだくっきりと歯型の痣が残ったままだ。  でこぼこのそこを、指でつるりと撫でる。 「そもそも俺はお前の隣から一生離れないし、まさかお前、この痕が消えてももう噛まないつもりか?」  ニ、と笑って見上げた。ぽかんとしていた朝陽の顔が、みるみる内に赤くなってくる。 「か……っ、噛みたいですっ! うなじ、ずっと僕の噛み跡を付けておきたいです……!」 「おう。忙しくても、喧嘩してても、絶対消すんじゃないぞ。約束だからな」 「は、はい! 約束します!」  俺はようやく笑顔になった俺の大型わんこ系恋人の襟元を掴んで屈ませると、背伸びをして唇を重ねたのだった。

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