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光の雫 p10
「ゲキチキなくなった」
最後の一つを客に渡してしまうと、保温器のゲキチキの段は空になった。
「うん。分かってる、もうすぐ揚がるから、大丈夫」
戸川は慣れた手つきでフライヤーに向かい、「そろそろいっか」と篭を上昇させ、揚げたてのキチンをトングでひょいひょいと取りだす。ぼくならば深い油の底にぼしゃんと落としかねない作業だ。
「相変わらずだけど、すごく手慣れてる感じだな」
高温の油が大嫌いなぼくは、それこそ距離を置きつつしみじみと感心してしまう。これは宗太とどっこいどっこいの器用さではないか?
「独り暮らしだから。自炊もしてるし」
「揚げ物なんかもするの?」
なんとまあ酔狂なと、ぼくは素っ頓狂な声をあげた。少年の身でそんなことをするのは、料理を趣味とする宗太くんくらいかと思っていた。
「自分で作った方がおいしいじゃん?」
これもまた、まるで宗太の口から出たような模範解答だ。
「コンビニ店員が言うセリフじゃないか」
小さく笑って付け足して、戸川は奥の部屋にいる店長の様子をちらりと窺う。
ふとっちょの店長はこちらに背を向けてパソコンとにらめっこしているように見えるが、たぶん眠っているのだ。毎日のように夜勤に入っている彼は基本、昼間は眠い。
ちょうど客足が途絶えたので、ぼくたちは軽口を続けた。
「例えば、どんなもの作るの」
戸川とは同学年なので、こんなふうに気負わずにしゃべることができる。バイトを始めたのも同時期だから、まったく気の置けない仲だった。
ぼくはほぼほぼ不登校だった高校をようやく卒業すると同時にこのバイトを始めた。戸川は浪人生だ。この春、新潟の奥の方から有名予備校に通うために東京に出てきたという。
「オーソドックスだよ。鶏のから揚げとか、とんかつとか。ああ、アジの南蛮漬けなんかも作っちゃうけど」
アジの南蛮漬け。
そのくすぐったいワードに、ぼくの胸のうちが自然とほころぶ。ぼくがまだ女郎だったころ、宗太に初めてご馳走になったメニューだ。
「アジの南蛮漬けはオーソドックスじゃないだろ。手間暇かかるし」
「まあね。もし好きなら一度食いにくるか? なんなら今日でもいいけど。このあとスーパーに寄って、食材、買えばいいし」
「今日は予定があるから駄目。でも、いつか食べたい」
戸川のアパートはこの近くらしいから、たまにはそういうのもいいなと思ってそれとなく予約を入れておいた。
今夜はこれから宗太と待ち合せて、池袋で映画を観る予定だ。
ぼくがずっと公開を待ちわびていたフランス映画で、恋人を亡くしたゲイがビアンと偽装結婚をし亡き恋人の子どもを育てるという、ヒューマンドラマストーリーだ。児童福祉に興味のある宗太も楽しみにしていた映画だった。
「いつでも食いに来いよ」
戸川が軽く請け負う。
「でも勉強の邪魔にならない?」
「一晩くらい大丈夫」
以前聞いた話では、戸川は午前中に予備校の授業、午後は自習室に移動して勉強、夕方にバイトという、浪人生としてはかなりハードな毎日を送っているという。ぼくなんかと違って志がたいそう高いのだ。
夕方になり、近くの工事現場で働いているらしきおじさんたちがぞろぞろと入店してくる。仕事あがりに、酒だのつまみだのタバコだの夕メシだのを買って帰るのだ。そんな毎日のルーティンにぼくと戸川はおしゃべりをやめ、「いらっしゃいませー、こんにちはぁ」と営業スマイルを浮かべて声を合わせた。
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