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光の雫 p18
「できたぞ」
戸川が皿を持ってくる。ぼくも手伝い、ベッドの横のローテーブルを使って向かい合って食べた。とてもおいしかった。
「お前、お米に塩、入れるんだな」
なんとはなしに訊いてみただけなんだけど、「あ…」と、戸川はちょっとだけ目を泳がせて頬を染める。
「ごめん。しょっぱいか?」
「いや、すごくうまい」
なにも恥ずかしがることはないのにと怪訝に思いながら、ぼくは首を振った。それで戸川が安心したような顔になる。
「俺、もともと塩むすが好物でさ。運動会とか遠足とか、よく母親が握ってくれたんだ。だから一人でご飯を食べるときも、おむすびじゃなくてこうやって茶碗で食うときもさ、癖で入れちゃうんだよ。この味で、母親とか、新潟のこととか、思い出せるから」
ゆっくりとかみしめるように出てきた言葉の一つ一つから、母親からそれこそ手塩にかけて育てられたことが温かく伝わってきた。
受験のため頑張っているとはいえ、戸川は故郷が恋しいのだろう。もしかしたらここでの一人暮らしは寂しいのかもしれない。
それでも普段はそんな素振りをおくびにも出さず、そそっかしいぼくをそれとなく助けてくれたり親切にフォローを入れてくれたりする。
宗太に接していても感じることだけど、子どもの頃にしっかりと愛情を受けて育った人間というのは、穏やかで優しいとぼくは思う。
無理をしなくても心の栄養がたっぷりと貯蓄されていて、枯渇することがない。それは道徳の授業とか宗教の教えなどではとうてい賄いきれない、優れた気立てとしかいいようがない。戸川にもそういうところが多分にある。
「ペットボトルのしかないけど、緑茶かコーラ、どっちがいい?」
食後の飲み物を訊ねられたので緑茶と答えた。おばあさんがいる宗太の家ではお茶を嗜むことが多くて、すっかりぼくもお茶好きになっている。
「さっきのことだけど――」
お茶をコップに注ぎながら戸川が口を開く。ここにはぼくと戸川しかいないのに、なぜか声を潜めていた。
「さっき?」
「ほら。バイト先によく迎えに来ていた男のこと…」
「ああ」
また、その話か。なぜそんなに気にするのだろう。
「もしかして、あの男…。――なあ、宮代、お前って…」
少しばかり口ごもったのちに、思いきったように続ける。
「あの男って、お前の恋人だったりするのか?」
びっくりした。えらく狼狽して、戸川に視線を置いたままぼくは動けなくなった。
「ごめん。不躾なこと訊いて」
慌てたように戸川が小さく頭を下げる。
「一回だけ見ちゃったんだ。お前が彼にキスするところ」
再び仰天する。そんなことあったっけ?と、ぼくは記憶をフル回転させた。
戸川は見もしなかったことで嘘を言うような人間じゃないから、ぼくが忘れているだけなんだろう。
「車に乗って、さ?」
「あ」
そのヒントで思い出した。
宗太は数回、家の車で迎えに来てくれたことがある。店から少し離れた路地裏だったし、人通りもないと思い込んでいたので、車に入ってからお礼の気持ちも込めてぼくはほんの短く、ちゅっと唇を吸ったのだ。
塩むすの話のときよりも戸川が赤面している。なんだか、そんなふうにリアクションされるとぼくまでがこっぱずかしくなった。
「そう。彼は、恋人なんだよ。生活の世話にもなってて。…ごめん、ぼくみたいの、戸川、苦手?」
隠すつもりはなかったけれど、話す理由もなかろうと黙っていただけなんだけど。
耳まで赤く染めながらも、戸川は真面目な顔つきになって首を振る。
「違う。――俺も、なんだ。俺も、好きな同性の子、新潟においてきちゃって…」
またまたひっくり返りそうになる。ってことはご同類か?
「そうなのか。そりゃ、おいてくるのは、寂しかったろ」
「ああ。といっても、そんなに付き合っていないんだ。高校の同級生で、同じ部活の仲間でさ。俺はずっと親友だと思っていたんだけど、卒業のあと、二人で遊びに出掛けた時に告白を受けたんだ。一度は断ったんだけど、でもよく考えたら、俺もあいつのこと、そういう意味で好きだったんだなって気付いて…。ただ四月にはもう俺、こっちに来ないといけなかったし、」
もごもごと言葉を切る感じが可愛くて、ぼくはつい、悪戯っ子みたいにからかいたくなった。
「その人と寝た?」
今度は首まで真っ赤になる。
「二度だけ。こっち来る直前と、盆に帰った時に…」
「そうか」
「すごく不安なんだ。俺はこっちの大学に進学するつもりだし、あいつはもう地元で公務員になってて。これからずっと、こんなふうに離れ離れになるのかって――。もし俺がこっちで就職したら、こんな関係、すぐに壊れるんじゃないか…ってさ」
沈んだ声になる。
そんなカップルもいるのだな。
ぼくは自分の胸がたまらなく切なく震えていることに気付いた。
むろん、ぼくが簡単に励ませられるような話じゃない。
いまのぼくは恵まれすぎた環境にいるのだから。…宗太のおかげで。
「頑張ってほしいな――」
だから精一杯の自分の気持ちを伝えるにとどめた。
だって、こんなにいい男なんだ。幸せになってほしい。
俯いていた戸川は、弾かれたように顔をあげる。
「せっかく想いが通じ合ったんだもの、頑張ってほしいよ。お前に惚れたんならきっとその人、ずっとお前に惚れ続けると思う。もっと自信を持っていいよ、戸川。だからさ、お前も相手の人、ずっと愛し返してあげて欲しいな…」
言いながらふと、これは自分にこそ告げるべき言葉なんじゃないかと思えた。
だって、宗太ほどぼくを愛してくれた人はいない。
宗太ほどぼくのすべてを許し、かえって自分のすべてを与えてくれた人はいない。
ならば、ぼくだって精一杯の自分を宗太に捧げたい。
「ぼく、帰るね」
体が熱くなっていた。ぼくはいつのまにか、すっかり宗太に欲情していた。きっと戸川の恋物語が、悟さんの死によってぼくの心を塞いでいた重い蓋を、新風のように突き動かして外してくれたからだろう。
「気を悪くさせたか?」
戸川が心配そうな顔をする。ぼくは笑い返した。
「まさか。でももう遅いから。お前だって勉強があるだろ?」
宗太とセックスしたい。彼に抱かれたい。
理由なんかいらない。ただ、純粋にでいい。
この身いっぱいで彼を愛したい。
その願いだけで心を一杯にして、ぼくは煌めく星空の下の道を、宗太の許へと急いだ。
(了)
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