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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p24
でも、ここでそうしてしまっては三上さんを困らせるだけだから、ぼくは涙のかわりに湧きあがる甘じょっぱい唾を飲みながら、震える胸のうちをなんとか落ち着かせた。
「あんた、今でも宗太を好きだったりする…?」
おそるおそる訊ねると三上さんがあっけらかんと答えた。
「友人としてな。今は他のやつが好きだから」
そうなのか。
他のやつ、か。両思いなのかな。両想いであって欲しい。うん。だって三上さんはいい人だもの。
コーヒーを飲み終えた三上さんは空になっていた缶をぼくの手から抜き取って「じゃあな」と立ちあがる。ぼくの分まで捨ててくれる気遣いようだ。
「ありがとう。三上さん」
三上さんがまじまじとぼくを眺める。
「コーヒー一つで感謝されると、落ち着かないな」
あら? そんなに普段のぼくは愛想がないかしら。
「おいしかったから」
「こっちこそな。課題やってるとこ付き合ってくれて、サンキュー」
そして、こういうまめな返事がさらりと出てくるところもやっぱり宗太に似ていて、「たらし」なところだ。
三上さんはそのまま正門のほうへ歩いて行った。
ぼくが本当に三上さんにお礼を言いたかったのはコーヒーに対してじゃなくて、宗太の気持ちを伝えてくれたからだ。
おくてなぼくにとって、甘い言葉をさらりと口にできる宗太はかなりキザな男なんだけど、「命より大事」なんて言葉はおいそれと口にしてくれるものじゃない。ほかの人にそんなふうにぼくのことを伝えてくれていたことが、かえって嬉しかった。
だから体育館のほうからボストントートを肩に引っ掛けて急ぎ足でやってくる宗太の姿が見えたときには、ぼくは愛しさのあまり、導火線に火がついたみたいにリュックを背負うのももどかしく、荷物を腕に抱えてばたばたと駆け出した。
息せききってたどりついたぼくの顔を、宗太は驚いたようにまじまじと見おろす。その首に飛びついて抱きしめたいのをぼくはなんとかこらえた。
宗太が目を細めて苦笑する。
「なにも、そう焦ってくることはないだろう。そんなにハラ減ったのか。遅くなってごめんな」
おなかをすかせたぼくが「おうち焼肉」を待ちきれなくて走り寄ってきたのだと勘違いしている宗太に、ぼくは真剣に答えた。
「違う。ぼく、あんたを待ちわびてたんだよ」
その反応を確かめる余裕もなく、ことんと、宗太の首の付け根におでこをつけた。
髪も濡れたままの宗太からは、プールとシャンプーの混じった夏の匂いがしてくる。嗅ぎ慣れた飼い主の匂いにぼくは、甘い心地よさがじんと体に染みわたってゆくのを感じた。本当なら、今すぐこの腕を彼の体へと回したい。そうして思う存分、抱きしめたい。
そうだよ、ぼくは。
この人が大好きで、大好きで、しょうがないんだ。
全世界と引き換えにしたっていい。
ぼくだって宗太は、「命より大事な存在」なんだから。
「どうした…佳樹?」
低い声に我に返った。ああ、まずい、と思って体を離す。
暗がりとはいえ、まわりには下校する学生がちらほらと通り過ぎている。男同士でこんなことをしていては変に思われてしまう。
宗太は将来、児童福祉関係の仕事に就くことを目指している。そういう固い職種を希望する彼にとって、家族に後ろ暗い事情のあるぼくと恋人として付き合っていることは、できるだけ隠しておいたほうがいい。そのほうが将来なにかと安全だろうと、この一年くらい、ぼくはそんなふうに考えるようになっていた。
世の中、どんなことで足を引っ張られるか分からないのだ。隙は見せないほうがいい。ぼくが宗太から提案されたあの夜、カミングアウトを選ばなかった理由もたぶん、それだった。
(だって。今でも、もったいないくらいに幸せだろう?)
自分に問いかける。
ああ、幸せだとも。
これ以上を望んでは罰当たりなくらい。
誰に知られなくても、この幸せが続くならそれで充分なんだと。
それ以上を望んで、この関係が壊れるほうがよっぽど怖いと、自分で自分に言いきかせられるくらいには、とても幸せだ。
「早く帰ろうよ。二人きりになりたい」
今夜はたっぷりサービスするって、決めているしさ。
「ああ、そうだな」
あたたかな声の響きに、ぼくは満足する。宗太の小指に自分のを添え、えもいわれぬ切ない気持ちに後押しさせれて、その指を深く絡めた。
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