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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p26
妖精の傍らに膝をつくと、宗太は指先で妖精の前髪をそっとはらった。髪がこめかみへと流れ、現れ出た眉と睫も見事なプラチナブロンドだった。
陽差しの下、宗太と妖精が化学反応を起こして響きあっているみたいに二人は綺麗だった。「絵になる」とはこういうことなのだと、ぼくはうすらぼんやり思った。そう感じたのはぼくだけじゃないらしく、スマホのシャッター音が周りからいくつか聞こえた。
「唯輔 。お前、唯輔だろ」
寝ている人間を起こす用の、少し大きな声を出す。妖精の名前を宗太が知っていることにぼくは仰天した。妖精の名前が普通の和名であることにも、よく分からない衝撃を受けていた。
「宗太、知り合いなの? これ、社会学科の学生? それとも、水泳部?」
名前を知っていてしかも呼び捨てにするということは、仲の良い同級生か、サークルの仲間なのだろうと推測した。「いや…」と、宗太はあいまいな返事をする。相手を起こすのにそれどころじゃないという感じだった。
「唯輔、風邪ひくぞ」
何度か声をかけられると、「う~ん」と妖精が顔をしかめる。口元が歪むと同時に生身の人間らしさがその表情に出現して、ぼくは心なしかほっとした。本当の人間なのだ。そして死んでもいなかった。
「大丈夫か。起きられそうか」
――「大丈夫か」…。
思いがけず、ぼくの心臓のあたりがきゅんと鳴った。
懐かしい言葉――――。大好きな言葉。
ああ、そうなんだ。ぼくは知っている。
ぼくの胸は、宗太のこの言葉を聞くとこんなふうに鳴いてしまうんだ。
ぼくが悟さんから虐待を受けていたころ、ぼくを救い出してくれた言葉。
――「大丈夫か」…。
ぼくが、宝物のように心にしまっている大事な言葉だった。
ぼくはときどき、こう呟く宗太を、むしょうに独り占めしたくなる。ぼく以外の誰にも言っちゃイヤだと、切実に願うときがある。
だけれど宗太の目指している職業を考えるたび、それは願ってはならない、わがままな願望なのだと思い直し、そっと諦めるのだ。
たくさんの子供たちを励まし、労わるために、彼はこれから幾度となくこの言葉を口にするだろう。ぼくの知らないところで、ぼくの知らない顔で、この上なく優しく、包み込むように声をかけてゆくことだろう。この声に助けられ、救われる子たちもたくさんいるのだから、ぼくはけしてその邪魔をしてはならない。
白い妖精は寝起きが悪いらしく、しばらくウンウンと唸っていたが、やがてうっすらと目を開けた。その瞳は驚くほど澄んだ淡いブルーだった。
「俺…? ――なんだ、眩し…!」
日本語が飛び出してきた。そのことにも軽い驚きを覚えた。
眠いところを起こされて、不機嫌そうに眉根を寄せる。なまじ美しい顔立ちだけにいっそうけだるげで妖艶な雰囲気が強まった。…なんか、不良の妖精味が増した気がするぞ。
なんとか起き上がろうとする上体はゆらりと不安定で頼りなげだ。支える腕も、いつ肘がかっくんといくか、ぼくはひやひやして見ていた。
宗太が背後から支えてやる。
妖精はようやく興味を覚えたかのように宗太に視線を走らせる。二人の目線が重なると、宗太が小さく口角をあげた。
「久しぶりだな」
ふと、ぼくはその声に特別な感じを覚えた。
たぶんぼくにしか分からない、聞き取れない、微妙な声の変化だった。
妖精は、これは誰だろうというまなざしから、まもなく思い当たった表情になる。
「あ――! お前…!」
…うあ?と、ぐるんと目を回したかと思うと、妖精はかっくんと首を落として、再びすうすうと寝始めた。…は? なんだ、こいつ。
「宗太、どんな知り合いなの」
ぼくはいよいよ不気味になって訊ねた。困惑顔した宗太が答える。
「中三のときの同級生だ。年度の途中で転校しちまったんだけどな」
そんなに前の知り合い。
ぼくはその奇遇にすっかり驚いてしまった。
宗太は中学高校と伝統校の私立に通っていて、一方でこの男も高貴な感じがする。お嬢様やお坊ちゃんが通うことで有名なあの学校で同級生だったのも、分かる気がした。
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