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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p29

「うん。そうだな。鍵を探して外からかけよう」 玄関ドアはポストが付いてるタイプだから、鍵はそこから中に入れればいいだろう。 「でも、起きたらパニクるかもしれないからな。メモでも残しておくか」  唯輔を見つめる。その宗太の瞳に、親切心が滲むやさしい陰翳が加わった。  ぼくもそれを心配していた。大学の芝生に寝ていた自分がいつ部屋に戻ったのだろうと、雄介は目覚めたときに不安になるかもしれない。ぼく達の残すメモに気付かなかったら、鍵が見当たらないことにもひどく動揺するだろう。 「じゃあ、起きるまで待ってあげよう。直接説明してから、帰ればいいじゃない?」  ローデスクでメモを書きかけていた宗太が視線をあげた。 「…いいのか?」  その返事で、宗太もそうしたかったんだと分かった。 「もちろん。放っておけないじゃん?」  …宗太はさ。という卑屈な台詞は利口に飲み込むことにする。 「早く帰らなきゃならない理由もないし」  普段も、何やかや帰りがまちまちのぼくたちのことは待たずに、おばあさんは先に食事をとって就寝する。だから今も急ぐ必要はなかった。  日が沈んで部屋も暗くなったので、明かりをつけた。ぼくは壁にもたれて三角座りでスマホゲームに没頭し、宗太はローデスクを借りて論文片手に課題のレポートに手を付けていた。 「――誰…?」  やがてベッドから低い声がして顔をあげると、怯えきったまなざしがぼくに注がれている。おおかたぼくのゲームの音がうるさかったのかもしれない。ただでさえ顔色が悪いうえに、見知らぬぼくの存在に驚いて、唯輔の顔面は気の毒なくらいに蒼白だった。 「おはよう」  とりあえず自分が危険人物ではないことを示そうと、ぼくは愛想笑いを浮かべた。どれだけ効果があったかしらないが、悪魔に会ったみたいな血の気の引いた顔で、唯輔は小さく頷いた。  人差し指でスイと宗太を指した。唯輔の視線がそちらに向かう。  唯輔は宗太を認めて目を丸くした。しばらく逡巡を見せたあとで「宗太――?」と呟く。  おや。どうやらファーストネームで呼び合う仲らしい。ぼくのやきもちボルテージがキンとあがった。 「さっきの、夢じゃなかったんだ…」  安堵が混じる声。よく通る低めのテノールだった。 「久しぶりだな。六年ぶりか」  宗太の柔らかなバリトンが響くように答えた。 「ん…。すげえ、ほんと、久しぶり」  ゆっくりと起きあがり、枕もとの壁にどさっともたれかかる。座るだけでも一苦労とばかりの、つらそうな様子だった。 「変わってないな、宗太」  口元にほほえみを浮かべる。あまりに屈託ない言い方にぼくは笑ってしまった。 「ずいぶんノンビリしてるけど。あんた、どうして自分が家に戻っているか不思議じゃないの? ヒトんとこの大学に勝手に入って堂々と昼寝してたくせに」  手加減知らずのぼくの台詞に、唯輔は笑いをひっこめて目を白黒させる。 「しかもパジャマ姿で。めだってしょうがなかったよ。下手すれば警察か救急車の世話になってたとこ」 「…警察?」  怯えた声を出す。既視感に似たものをぼくは覚えた。  ――違う。  かつてのぼくが多分、こうだったのだ。警察なんて大嫌いだった、ぼくが。 「そうだろ? 起こそうとしても起きないしさ。宗太が負ぶってここへ連れてきたはいいけど、今度はドアに鍵がかかってないし。どんだけ不用心なの、あんた」  丸い目でぼくを見つめていた唯輔が、コトンと視線を手元に落とす。 「そうなんだ、俺、またやっちゃったのか」  こめかみをひきつらせ、今にも泣き出しそうな顔になる。

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