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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p37
宗太が帰ってきたときは真夜中を過ぎていた。
ぼくはまんじりともせず、ベッドでぱちくりと目を開けていた。
ゲームも課題もする気が起きず、さっさと布団に入って、宗太と唯輔の陰影が網膜にちらちらと残像を刻むのを、ぼんやりと感じていた。
宗太とぼくの部屋は隣り合っていて、おばあさんの部屋などがまとまっている母屋の一角からはずいぶんと離れている。
事実、昭和初期に宗太の曽祖父の手によって作られたというこの高橋家の屋敷は、とても広い。大平屋のうえにぼくたちの部屋は母屋から短い通路で隔てられた「離れ」のような場所にあるから、台所やお風呂場からは近いけれど、玄関や客間からは遠いのだ。
だから玄関の開閉音は聞こえなかった。
ぼくは宗太がそろりそろりと足音を忍ばせて、ぼくの部屋の前を通りすぎ、自室のドアをぱた…と閉める音で、ようやく彼の帰宅に気付いたのだった。
宗太の顔が見たかった。
でも、時間が時間だけに宗太は疲れているだろう。すぐにシャワーを浴びて眠りたいかもしれない。
それに今、ぼくが宗太の部屋を訪れたとして、ぼくは宗太とどんな話ができるだろう。
きっと唯輔の様子を訊ねて、そして、どうしてこんなに遅くなったのかをぼくは問い詰める。やっかみを忍ばせつつ、帰りの遅いことに恨み言の一つも出てしまうかもしれない。
間違いないことに、宗太はぼくが不必要に悋気を起こすことを快く思っていない。相手が唯輔だとなおさらだった。
疚しいことがないなら隠さずに教えろと自分から迫ったくせに、ぼくは唯輔が宗太の初恋の相手だと知るや、もう宗太を信じられなくなっている。宗太はなんの邪念もなしに教えてくれたのに、だ。
たぶん、ぼく自身が一人の人間として唯輔に惹かれたからかもしれない。初対面のときに衝撃ですらあった、綺麗な外見と純粋で愛らしい人柄に心惹かれていることに、自分自身で動揺している。宗太だって同じだろう、そう考えてしまう。
ぼくと宗太が逆の立場だったら「どこまで信用しないつもりだ」と怒るところだ。
だから今は話さないほうがいい。明日、少し気持ちが落ち着いてから顔を合わせよう。そう思い、目を閉じた。ところが、こつ…とドアが控えめに鳴り、瞼を開く。
「佳樹…、起きてる?」
低く深い声が、小さくぼくを呼ぶ。
聞き分けの良い決心とは裏腹に、ぼくは飛び起きてしまいそうになった。その衝動を懸命に押しとどめた。
返事をしなければ寝ているものと諦めるだろうと思っていたのに、ドアがそっと開く。ぼくはドキドキしながら寝たふりを決めこんだ。
宗太が静かに近づき、ぼくのベッドにそっと腰掛ける。暗闇の中で、顔を覗き込む気配がする。根負けしたのはぼくだった。
「――今、眠りかけてたんだよ…」
非難がましく宗太を見あげた。狸寝入りを見破っていたのか、クスっと宗太が笑う。
「顔を見たかったから」
そして上体をかがめて唇にキスをくれる。軽いスタンプキスで、このままコトに流れるようなものではなかった。それがぼくにはちょっと残念だった。
「夕食は?」
「唯輔の家で食ってきた」
「二人? 三上さんと一緒?」
「三上は、バイトで先に帰った」
じゃあ、二人きりでか。
正直に伝えてもらえるのはありがたいけれど、二人きりで食事と聞いては、やっぱり面白くない。
これ以上話をしても厭味ったらしいやきもちが露出するだけの気がして、ぼくはもう寝てしまいたかった。
それでも、宗太が何かを話したがっているように感じられて、仕方なく起きあがった。宗太の手がぼくの前髪を優しく梳く。
「起こしちまって悪い」
「どうかしたの?」
ぼくは訝しんで首を傾げた。宗太の表情はさっきから沈んでいる。
「佳樹、俺のこと信じてる?」
呟きまじりの問いに、ぼくは固まる。いきなり、なんだ?
「いや、言い方を変える。どんなことがあっても、俺を信じてほしい」
今度こそ、ぼくは眉をひそめた。
「どういうことよ?」
「返事が欲しい。佳樹」
低く、どこか峻厳たる響きでそう加えられて、心臓が跳ねた。
困る。返事がすぐに出てこなくて、唇が変な具合にひくっと痙攣した。返事をするのに、数秒かかった。
「…信じてるよ」
ぼくの反応のすべてを見ていた宗太は、不意に、慈しむような仕草でぼくの頬を手で覆った。
「ごめんな、言わせて。でも、本当に信じてほしいんだ。俺はおまえ以外は、絶対に好きにならないから。もちろん抱いたりもしない」
なんで今、こんなことを聞かされるのだろう。
きっといまから、なにか嫌なことが起きる。
不意に、ぼくは悟った。
ぼくはこの先、この言葉を頼りに生きねばならない状況に陥る。こういう確信は、悲しいことにたいがい現実となってしまう。
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