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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p38

「唯輔に何かあったの?」 「何かあったというか…」  宗太の返事は煮え切らない。それでも否定しないから、この会話には唯輔が関係しているのだ。 「しばらくの間、唯輔の部屋で暮らす」  滑り出た言葉に、ぼくは眩暈を覚えた。 (唯輔の部屋で、暮らす?)  どこをどうしたら、そんな決意に至るんだ? 「なんで――――?」  思考がおぼつかず、理由を訊ねる言葉もうまく出てこない。 「唯輔は不眠症だって言ってたろ」  重く真剣な声が続く。ぼくは懸命にうなづいた。 「それ、精神的な後遺症によるものらしいんだ。いわゆるPTSDだ。あいつは一人だと眠れないんだよ。だから俺たちの大学に入り込んだんだ。無意識に、人の気配のするところに。そうすることで眠れるから」  ぼくは言葉を失った。 それは、つらいだろう。 いったい何が、唯輔をそうさせてしまっているのか。  息苦しさに胸が詰まった。嫉妬とも違う、諦念や絶望に似た感情に襲われた。 「一緒にいて欲しいって、唯輔から頼まれたんだね?」  ぼくはなんとなく察して訊ねた。宗太が無言で頷く。唯輔からの頼みと聞いて、またもぼくは穏やかでいられなくなった。 「なんで、彼の家族は彼を一人にしてんの。なんで、よりによってあんたがそれを助けなきゃならないの」  困らせるのを分かっていて、こんな聞き分けのない言葉を吐いてしまう。宗太は俯き、頬にかかった髪がその重い表情を隠した。 「詳しくは言えない」 「どうして? 唯輔からは聞いてるんだろう? 知ってるのに、どうしてぼくに教えてくれないんだ」 「唯輔の秘密だからだ」 はっきりと拒絶され、ぼくは目の前が暗くなる感じがした。 「そんなの、」  ひどい。  ずるいすぎるよ。ぼくだけが蚊帳の外? ぼくは、あんたの恋人なのに。  でも、頭の片隅では分かっていた。唯輔は宗太だから事情を話したのだ。宗太を信用してるから。  唯輔の事情を聞いた宗太は、それで彼と暮らす決心をした。でもその事情を宗太の口からぼくに伝えられるのは、唯輔の本意ではないのだ。 「症状が治まるまで、うちに来ないかとも言ってみた。俺も佳樹と離れないですむしな。でも、あのアパートに住むことによって、あいつは家族と繋がっていられるんだ。だからあのアパートは絶対に離れたくないって言い張った」  どういうことだ、それ。  そんな訳の分からないことを言う奴なんか、ほっとけよ。そう喉元まで出かかる。  顔をあげた宗太が悲壮なまなざしでぼくを見つめた。 「俺だって佳樹と離れたくないんだ。一緒に過ごしたい」 「万が一だけど、唯輔があんたに友情以上の感情を持っていたら、どうするの?」  少しの間、思案したらしい宗太が、強い口調で答えた。 「それはない」 「本当?」 「ああ。そんな余裕は今の唯輔にない。俺、自分を好きな奴と一緒に暮らしたりしないぜ。佳樹だけだ。他のやつは断る」  難なく示された誠意に、ぼくはすがりつきたくなった。 「本当? そんなこと、本当にあんた、しない?」 「ああ、しない」  宣誓の言葉が、まっすぐ胸に刺さった。 「かつての同級生として、あいつの力になりたいだけだ」  宗太の意志ははっきりしていた。これが今の宗太の正直な気持ちなのだろう。  優しい宗太。  困った者を放っておけない宗太。  ぼくは、小さく溜め息をつく。  この優しさを、本当ならば自分だけのものにしたい。それにこそぼくは助られ、生きながらえることができたのだから。でも実際に独り占めしちゃならない。この人の将来の夢まで、壊すことになるから。 「分かったよ…。仕方ないな。あいつと暮らすったって、大学では会えるしね。お昼ご飯を一緒に食べることだって、できるし。ずっと顔が見られないわけじゃないから」  自分に言い聞かせるつもりで、ぼくは言葉を重ねた。 「ああ。俺も、あいつの調子が良さそうな時は、帰ってくるから」  宗太はいくぶん、ほっとしたような口調になった。 (嫌だ) (絶対に嫌だ) (唯輔との付き合いなんか、すぐにやめろよ)  口にすることができれば、どれほど楽か。  でもぼくは、もっともっと成長しなくてはならない。唯輔のような人間を前にしたら宗太はこのような行動をとるのだ。そんなのは分かりきっていたことで、だからこそ、彼はぼくを助け、また将来、児童福祉という道を選ぼうとしている。 「ぼく、我慢するよ。唯輔が早く良くなるように祈る」  精一杯の虚勢だった。 「俺と唯輔がどうこうなるとか、絶対に考えるな。そんな心配して勝手に凹んだりしないでくれよな」  ぼくのしそうなことをすっかりお見通しの宗太が、念を押す。ぼくは胸の痛みを誤魔化すように笑った。 「これ、あんたが将来、可愛い男の子を担当した時に、やきもちをやかないようにする訓練になるね」  宗太は笑うどころか、いっそうつらそうに顔を歪めた。 「佳樹――――」  かすれた声だった。子供の泣き声に似ていた。  そして、ぼくをきつく、きつく、抱きしめたのだった。

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