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第5話 蘇る記憶

 どこか寂しそうに聞こえる声で、ミソラは呟いた。  ミソラの言う通り、蘇芳は「思い出して」いた。  ただの悪夢ではない。夢に見たその光景は実際に起こったことなのだと直感的に分かっていた。  蘇芳は呆然としていた。自分がこの目で見たということそのものが、あまりに受け止めがたかった。  けれど、自分が今いるこの不思議な場所も、目の前にいる明らかに人ではないものも、幻覚で済ませることはできそうにない。今自分に見えているものは現実であるとしか思えず、それならこの出来事だけが幻覚だと言い切れなくなる。  浮かんだ記憶はそれに紐づく記憶を呼び起こし、蘇芳は自分がここに来た理由も本当は知っていたような気がしてきていた。  ——化け物!……  恐怖の滲むその叫びは、何度も繰り返し夢で耳にしていた。  断片的な夢の中では何のことか全く分からなかったその叫びが、全てがつながった今、何を指していたのか、分かってしまう。  けれど、どうしてそんなことになったのか、自分が何をしたというのか。  蘇芳には、何かを〝した〟という意識はなかった。  とにかくそこから逃れたくて、怖くて、男たちにどこかに行って欲しかった。  それだけだ。  それなのに、なぜ、あんなことになってしまったのか。 「俺、は……」  化け物、なのか。ミソラさまは、何か知っているのか。  頭が追いつかない。喉がひきつれて、言葉が出なかった。  夢で見た光景が蘇芳の頭の中で何度も繰り返し浮かぶ。  往来へ大挙した鬼の群れは村中を悲鳴と混乱のるつぼに叩き込んだ。腰を抜かしてへたり込んでしまうもの、逃げようとして足がもつれて転ぶもの、転んだものを押し退け我先に駆け出そうとするもの……さながらそれは地獄絵図だ。その光景に、蘇芳は呆然と立ち竦む。  しかし、蘇芳の視界に、一人の男が映る。その男だけは悲鳴もあげず、怯えた様子もなく、ただ蘇芳を見ていた。その目に蘇芳は一瞬抗いようもなく惹きつけられ——次の瞬間、我に返った。  止めなければ、と思った。  止まれ、と絶叫した蘇芳の声に、鬼の群れは霧のように掻き消える。後に残されたのは、どう見ても鬼を操っていたとしか思えない、一人の少年。その場にいた村人たちが蘇芳に向ける目は、一様に怯えと拒絶を湛えていた。  一連の出来事が、やがておぞましい尾ひれがついて人々の口に上るようになる。  きょうだいに、両親に、村の人々が猜疑の目を向け始める。まさかあの母親が? いやあるいは父親の方か、そうなるとあの子達ももしやと、聞きたくないのにそこここでひそひそと交わされる声と視線にさらされる日々が続いた。  それまで当たり前に思っていたものが次第に綻び、ばらばらに壊れていく。最後の記憶は、浅い眠りの波間に、父母が起きて何かを話している低い声を聞いていたことだった。  そこから自分が意識を取り戻すまでに何が起きたのか、考えなくてももう分かる。蘇芳は、帰りたいと思わなかったのではない。帰る場所を喪っていたのだ。 「ミソラさま、教えてください」  最初に蘇芳が目を覚ました時、なぜミソラが何も語らなかったのか、その理由が今なら分かる気がした。  きっと、自分が忘れたままいるなら、それでいいと思っていたのだろう。お前にはこんな辛いことが起きたのだよと、自分がミソラでもわざわざ伝えることはしない。  しかし、蘇芳は「思い出して」しまった。それなら、いっそ全てを知っておきたい。  自分は一体何者なのか。  きっと山の中かどこかに置き去りにされ、放っておけばのたれ死んだはずの自分を、なぜミソラはわざわざ手元に置くことにしたのか。 「そうだね……明日、起きたら話そう。今はまだ夜中だ。眠りなさい」  こんなに頭が冴えているのになんて無茶なことを、と思った蘇芳だったが、いつものようにミソラの手が額に触れると、脳がほどけるような眠気を覚え、そのままふつりと意識が途切れた。

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