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第6話 こちら側の世界

 朝。目が覚めて束の間、蘇芳は何か今日大事なことがあったような気がして、まだ眠い目をこする。 「……!!」  一瞬ののち、目を見開いて喘ぐように息を吸った。心臓が破けそうに脈打っている。  忘れてしまえたらよかった。でも、もうそういうわけにはいかない。 「……」  もつれる手で身支度をし、襖を開けて目に入るのは、恐ろしいほどいつもと変わらぬ日差し、いつもと同じ柔和な表情の主だった。なんと切り出せばいいか分からず、蘇芳は部屋の隅に小さく正座をした。 「帰りたいか」  静かな問いかけに、蘇芳は言葉に詰まって俯いた。 「……わかり、ません」  本心だった。帰りたいと思う気持ちがあっても、帰る場所はもうない。自分が何を感じているのかさえ、まだ自分ではっきりと分かっていなかった。  沈黙が降りる。 「……この場所のことから、話そうか」  ミソラはゆっくりと話し始めた。そこには、蘇芳に分かることも、分からないこともあった。  蘇芳が元いた、人の暮らす世界と重なるように、ミソラたちの住まう、こちらの世界があること。人が作った祠や社などを界の接点として、ミソラたちはこちらの世界から人の世界へ行き来することはできても、人が自らの意思でこちらへは来られないこと。  蘇芳が暮らしていた村から少し離れた場所に、その祠はあった。ほとんど忘れ去られかけ、たまに思い出したように村人たちが雑草を抜いたり壊れた箇所を修繕しているおかげで、なんとか役目を果たせている、小さな稲荷神社。その向こうに、人が立ち入ることのできないもう一つの世界が広がっていることを、ほとんどの人は知らない。その向こうの世界に生きるものたちに選ばれ、連れてこられたもの以外は。  そしてその祠の鳥居のそばに置き去りにされた蘇芳は、眠ったままその境界線を、越えた。 「どうして、俺を……」  おずおずと蘇芳が問うと、ミソラが不思議そうに笑う。 「お前が、我々の血を引くものだからだよ」  蘇芳は言葉を失った。頭が真っ白になる。  おそらく、ミソラにとっては当たり前のことで、それが蘇芳にそれほどの衝撃をもたらしているとは思いもしていない様子だった。まるで天気の話をするのと同じ調子で、淡々とミソラは続ける。 「お前の中に流れる我々の血は極々薄いものだ。両親、祖父母、その何代も前まで遡っても、おそらく皆人としてごく当たり前に生きて、死んだだろう。自分が我々の血を引いているとは夢にも思わずにね。しかし、そうしたものの中で、ごく稀に、我々の性質を強く持って生まれていくるものがいる。それがお前だった」  あまりの事実についていけず、呆けた顔でミソラを見つめる蘇芳に、ミソラは薄く微笑んだ。 「……ゆっくり、考えるといい。焦らなくても、お前は間違いなく、わたしに連なるもの。わたしの庇護下にある限り、お前のことはわたしが守ろう」  ミソラは蘇芳の頭を労るように撫で、それからすっと立ち上がると、何処へともなく出て行った。残された蘇芳は、ただ茫然と座っていることしかできなかった。

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