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第11話 深まる溝

 次の日から、蘇芳は暇を見つけては、屋敷の外を出歩くようになった。時間はたくさんあったし、ミソラにも特に止められることはなかった。  蘇芳はそうして出かけた先で、森に棲むあやかしたちを時に遠目に、時に間近で見つめた。  自分と同じ言葉で意思疎通をする、獣の姿の彼等と直接話をすることこそなくとも、集落の近くの木の根元に座り込んで、そこここで交わされる彼らの会話を聞いて過ごす。 「どうだった、あちらの様子は」 「ああ、皆元気そうだ。この春は雨が少なかったから少し注意した方がいいかもしれない」 「そうだな、後で伝えておこう」  他愛ない気候や動物たちの様子から、不審な出来事や異常を知らせる緊迫したものまで彼らの話題は多岐に渡った。  あやかしたちの方も、最初は警戒していた様子だったが、蘇芳が彼らにとって脅威ではないと分かるとその辺の草木や小動物と同等の扱いになり、蘇芳がいても声を潜めるようなことはなくなっていった。  蘇芳は決して彼らに馴染もうとしてそうしていたわけではない。  むしろ、彼らの価値観を知れば知るほど、感じる溝は深まっていった。ミソラの話から受けた情の薄い印象が、彼らを見ているとますます強くなっていく。ミソラはむしろ、あれでも蘇芳に気を遣って話していたのだと分かった。  その日も、蘇芳は屋敷の中と庭先の掃除を終えて、最近気に入っている木の枝から遠くを眺めていた。  そこは集落も程近く、急な雨でも密集している枝葉に遮られて濡れない、快適な場所だった。  ここはどこまで行っても人の住んでいない、あやかしだけの世界なのだと、まだ半分信じられない心地で、蘇芳は青々とした山を眺めていた。  そこへ、風に乗って、声が聞こえてきた。 「どうだ、その後の様子は」  声の主は、大きな白銀の毛の狐の姿をしていた。この辺りで姿を見ることが多く、ミソラほどではないがそれなりの地位にあるようだった。  会話の相手は、ひと回り小さい、まだ若いものであるようで、淡い小麦色の毛をした狐だ。 「どうもだめですね、何名かで変わるがわる脅しましたが、止める気はないようで。明日にも、いよいよ村人総出で木を切り倒す相談をしています」  聞こえてくるのは、彼らが治めている村の一つで、人が山を開拓しようとしている、という話のようだ。 「そうか……それなら、仕方がない。あそこは昔から、この辺りの水脈が集まっている。木がなくなれば、山は崩れ、獣も魚も棲家を失う」 「はい。では、先日仰せられた通りに」 「ああ。山に入ったところで捕まえればいい。そのままその場で半数も減らすか、魂抜きにしてやれば分かりやすいだろう。何度か繰り返せば、さすがに諦める。そうでないと面倒だが」 「は」  ——え……?  突然聞こえてきた言葉に、蘇芳は身体を強張らせた。  数を減らす。魂抜きにする。蘇芳はそれが何をすることを意味するか分からないほどの子どもではもうなかった。  幼い頃、罰当たりなことをすると神様に魂を持って行かれてしまうよ、とよく祖母に言われていたのを思い出す。それがただの大人の脅かしではなかったということを、今まさに目の前で行われた会話で、蘇芳は知ってしまった。  指先が冷えていく。すぐに屋敷へ戻って、ミソラに話さなければと、蘇芳は思った。告げ口になってしまうのは承知の上だ。  あまりのことに、とても黙っていられなかった。その村がどこなのか蘇芳には分からなかったが、自分の生まれ育った故郷の人たちの顔が思い浮かんだ。  もし、彼らだとしたら。自分を化け物と罵った人たち、だけど、だからって、そんな。走りながら、蘇芳は泣いていた。 「お前が、いつかそう言い出すと思っていた」  蘇芳が泣きながら訴えたのに対し、ミソラは意外なほど落ち着き払った態度だった。  思っていたのとはなんだか異なる空気に、蘇芳は黙って続きを待つ。  ミソラは少しだけ言葉を探すように顎に手を当てて思案していたが、やがて話し始めた。 「人の血が流れ、人の元で育てられたお前には、飲み込むのが難しい話かもしれないが……我々は、人とその他の命を区別していない。もちろん、お前にとって人は自分の同胞で、大切に思うのは自然なことだよ。だが我々はそうではない。人も、獣も、草木も、全てが平等だ。同じ地に生きるものたちを脅かし、命の均衡を狂わせるものは、それが何であっても、排除しなければならない。人だけを例外にすることはできないのだよ」  ゆっくりと、言い含めるようにミソラは語る。  ミソラの言っていることは、頭では分かる。生きとし生けるもの、全てが平等で、人だけを特別扱いはできない。それはそうなのだろう。  けれど、だからと言って今蘇芳が感じている悲しみと焦りは消えなかった。一歩間違えば、消されるのは自分や自分のよく知っている人たちだったかもしれないのだ。  それを、「そういうものだ」と割り切ることは、蘇芳にはできそうになかった。どうしても、自分の中にある「人」の部分が、理屈では割り切れない何かを心に強く訴えかけてくる。特別扱いをしてほしいと、思ってしまう。  その晩、蘇芳の心の中に小さな曇りが生まれ、それは次第に大きくなっていった。

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