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第3話(胸糞表現有り)

【注意】少年の過去背景に、因習村染みた性的虐待他胸糞表現があります。具体的な描写はありません。  少年の生まれは、山間部にある貧しい村だった。  痩せた土地は作物が育ちづらく、餌になる飼葉も殆ど作れないため畜産が出来るのは村長だけの特権だった。  村人の多くは女子供に畑で芋を作らせ、男は鉱山で石を掘る。  稼ぎは少なく、村長が提供する畜産品を買う余裕のある家はないに等しかった。  だがどういうわけか、周囲の家の人間は時折牛乳やチーズや卵を分け与えられていた。  同年代の子供が、「昨日はチーズの入ったオムレツを食べた」と自慢気に話すのを、それらを食べたことのない少年は羨ましがることもなく、ただ何故だろうなと思って聞いていた。  少年には、ひとつ下の妹がいた。  体が弱く日がな一日泣くことしかしない母も、そんな母を毎日のように殴る父も嫌いだが、妹のことは好きだった。  妹だけが、特別だった。  妹も少年の後をついて回り、少年にはそれがかわいくてしかたがなかった。  殆ど遊んでやれないのに、文句も言わす、少年の仕事を手伝う妹を守ってやらなくてはと思っていた。  そんな妹が、ある日ひどく体調を崩した。  少年は村長の家に卵を分けて貰いに行った。  あれは滋養にいいのだと聞いたことがあったからだ。ひとつでいいから譲って欲しいと訴えたが、無駄だった。  村長は、家から出てくることさえしなかった。  そこで少年は、夜中に村長の家に忍び込むことにする。体を動かすのは得意だ。  見張りはいたが、ろくに仕事をしていない。侵入は容易かった。  屋根裏を這い回り台所を目指したが、その途中、恐らくは、村長の部屋だろう場所に差し掛かった時、そこから漏れる明かりを見るとはなしに見てしまった。  そして少年はすべてを察する。  部屋の中には裸の男女がいた。  男は村長だ。  そして女は、隣家の子供の母親だった。  何をしているのかわからない程、少年は無知でも純朴でもなかった。  少年は目的も果たさず家を飛び出し、枯れた地面に胃の内容物をぶちまける。  ああ、そういうことか。  父は母を殴る時、「お前がそんなだから、お呼びがかからねえんだろうが」と怒鳴り散らす。  隣家の母親には「お呼び」がかかったのだ。  きっと明日、隣家の食卓にはチーズ入りのオムレツが出るのだろう。  クソッタレが。  この村を出るべきだ。  妹を連れて、出来る限り早く。妹はまだ十二になったばかりだが、いつ「お呼び」がかかるかわからない。  村の外の世界のことはわからない。わからないが、この村にいるより最悪なことが、この時の少年には思い至らなかった。  妹の体調が回復したら、すぐにでも出よう。  そう決意した少年を嘲笑うように、その翌日、妹は父とともに姿を消した。  もぬけの殻の寝床。  どうして、少年は呟く。あの子はまだ、熱が引いていないのに。  いつもより機嫌がいい様子の母にどういうことなのかと詰め寄れば、「あの子はおとうさんが連れて行ったわ」と笑う。「旦那様からお呼びがかかったのよ」と。  何を。  何を言っているんだ、この女は。  嬉しそうに、一体何を。  ふざけるのも大概にしろ、胸ぐらに掴みかかった手に、か細い指が添えられる。  ぞっとする程、冷たかった。 「旦那様、昨日あなたを見たのですって。あなたを見て、あなたの妹なら助けてやってもいいって言ってくださったの。その代わり看病は旦那様の家でするって」  ひゅ、と。少年は息を飲む。  自分を見て? 昨日、姿を現しもしなかった村長は、どこかから、少年の姿を見ていた?  女を値踏みするように少年を見て、妹を、呼んだ。  なら。  なら、妹は、自分のせいで。 「おとうさん、怒ってしまってね。これにそんな価値があるなら、あの爺の手垢がつく前に他に売りにいくって、あの子を連れて出て行ってしまったの」  多分、もう戻らないわ。  くすくすと笑う女の声が、遠くに聞こえる。  絶望と罪悪感が、少年の体を雁字搦めに締め付けていた。 「おとうさんは、旦那様には貴方を送ればいいと言ったけれど、そんなことはしないわ。だって私にはあなたしかいないもの。あなたは私のものだもの。ねえ、あなたは私を見捨てないでしょう? あなたにももう、私しかいないものね。たったひとりの家族だものね。ふふ、ふふふ、すてきね、これからはふたりきりで、私たち、あいしあっていきましょうね?」  滑稽だ。少年は自分の体に、パキリとヒビが入った錯覚を覚えた。  そうか、と思う。  そうか、こんな母親でも、自分はまだどこかで信じていたのか。自分たちは愛されている筈だと、思いたかったのか。  ────笑える。  がらがら。  がらがら。  何かが壊れていく音が聞こえる。  滑稽だ。息子を男として求める母も。こんなにも醜悪な女に、希望を見出だそうとしていた自分も。  意識は、白く塗り潰され。  気付いた時には足元に、血だらけの女が横たわっていた。ひゅうひゅうと、喉が鳴り、胸が苦しげに上下している。  それを見ていたら、可笑しくて、可笑しくて、堪らなくなった。笑おうと思ったが、声が出なかった。けほっ、咳き込めば、カラカラの喉が裂けて、血が出た。  ふらふらと外へ出て、水瓶を覗き込む。少年も血だらけだった。そして首には、女の指の跡がくっきりと浮かんでいる。  ははっ、今度はちゃんと笑えた。また咳が出て、血も出た。  少年は、弾かれたように走り出す。  笑いながら、血を吐きながら、何度も転びそうになりながら、行く当てもなく走った。  あのおぞましい場所から、一刻も早く離れたかった。 「────っ!」  声の限り叫んだ妹の名は血の味がして、誰に届くこともなく、夕暮れの山肌にとけて消えた。  ◇ ◇ ◇  少年の額に浮いた汗を拭っていた男は、魘された彼の声にならない悲鳴に仮面の下の眉をしかめる。 「大丈夫、大丈夫だ……ここは安全だから」  この少年は、他人を信じない。  罪の許しを乞うことも、情に訴えることもしなかったのは、そうして許された経験がないからだろう。  許される、という発想自体がないのかもしれない。  目に写るものは全て敵。  そう思わなければ、生きていけなかったのだ。  まだ、大人の庇護下にいるべきこどもが、全身を針のような警戒心で覆って生きる道程は、どれ程過酷だったことだろう。 「せめてここにいる間は、君の眠りは、私が守ろう」  冬は、まだ始まったばかりだ。

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