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第17話

「………………十四……?」 「そうだよ、それがどうかした」  振り仰げば、明らかに動揺したアクロが顔ごと視線を泳がせている。そこまで意外だっただろうか。  アクロは動揺が残る腕でルカを持ち上げ体の上から下ろすと、改めて額を押さえて項垂れてしまった。 「…………発育不良、すぎでは……」 「余計なお世話、おれのいた村じゃみんなこんなだ」  少し盛った。自分と妹は特に小さかった。それでも誤差だと信じたい。 「十くらいだと思っていたんだが!?」 「さすがに舐めすぎだろ!」 「うちのカウルが十五だぞ!?」 「アンタらがでかすぎんの!」  カウルという名には聞き覚えがあった。最初の夜。極限の飢餓、疲労、恐怖と憤り、それ故に記憶は曖昧だが、そう呼ばれていたノマがいた。  確かに他のノマたちに比べ若いかもしれないとは思ったが、体格は個人差程度の違いしかなかったように思う。もとよりノマの民自体が男女問わず恵まれた体躯なのだろう。羨ましいことだ。 「いや、それにしても……十四……」  アクロはいまだ衝撃から立ち直れないようで頭を抱えて呻いているが、そんなに衝撃を受けられるなんてこちらの方が衝撃である。  異常に過保護だと思っていたが、十やそこらだと思われていたなら納得出来なくもない。距離が近かったのもそのせいか。もしかするルカに気を遣っただけで、実際はもっと幼く見ていた可能性すらある。甚だ遺憾ではあるが。 「ノマならもう成人だぞ……」 「十四で成人? それはそれで早いな」 「特に儀があるわけではないが、単独狩猟の許可が出るのが十四だ。結婚も可能になるから、もう子供とは見なされない」  結婚も出来るのであれば、確かに子供扱いは不釣り合いだ。実年齢を知った途端膝から下ろされたのも頷ける。  頷けるのだが、何となく、面白くなかった。 「そこまで凹まれるとおれとしても複雑なんだけど」 「……こちらの基準ではあるが、成人してる者を子供のように扱うのは、侮辱と取られても仕方がないからな……だが、君を前にすると、こう、庇護欲が……」 「アンタのそれ、一歩間違うと子供趣味の変態みたいだから気を付けた方がいいよ」 「君、そんな風に思ってたのか!?」  本日一の声が出た。常に落ち着いた声音で話すアクロは、声を高めること自体珍しい。そのアクロが先程から聞いたことのない声を連発しているのがどうにも可笑しかった。 「まあ、大人だったら見捨てられてたらしいし、アンタがそういう趣味でおれは助かったけど」 「…………趣味と、言うな……」 「ははっ」  可笑しかったから笑ったのだが、その瞬間がばりと上げられたアクロの顔に驚いて肩が跳ねる。仮面の奥の瞳がルカを凝視していた。居心地が悪い。 「なに」 「君が笑うところを、初めて見た」  そうだったろうか。そうだったかもしれない。妹がいなくなった時から、笑う理由も必要もなくなった。確かに声を出して笑うなんて、随分と久し振りだ。 「その貴重な笑顔を、こんな話題で目にすることになるとは……もう少し何かなかったか……」  苦々しい溜め息とともにそんなことを言われても、意識して笑ったわけではないのだから、どうしようもない。 「ともかく、すまなかったな。子供にするような扱いは、今後改めることにする」 「……まあ、好きにすればいいけどさ……」  別段、本当に嫌だったわけではないのだ。真っ直ぐに与えられる情や温もりは、ルカにとっては未知のもので、ただ戸惑った。照れ臭かっただけだ。もうそれらは与えられないのだろうかと考えたら、腹の奥がしくりと痛んだ、気がした。きっと気のせいだ。 「なあ、アンタはいくつなの」 「二十四だ」 「ええっと、ちょうど、十、上?」 「そうなるな」  十年前に、アクロは今のルカと同じ年だったのかと考えたが、ルカにとっての十年は気が遠くなる程長い時間で、想像するのはひどく難しい。  大人は、大人という生き物だと思っていた。漠然とだ。何も本当にそのままの姿で生まれてきたとは思っていない。ただ自分たちとはあまりにも違いすぎて、別の生き物のように思っていたのだ。  自分も現在の延長で大人になるのだということを、まるで思い描けなかった。 「アンタが十四の時はどんなだった?」 「どう……だったかな、単独狩猟を許可されて、狩りばかりしていた気がする」  旅の途中だというのに、狩りに熱中するあまりルードに帰らなくなることもしばしばで、旅程を狂わせてしまうこともあったとアクロは苦笑した。向こう見ずな時期だったのだと。 「ある時から成人前の狩人に狩りを教えるようにと言われ単独で動くことは減ったが、今思うとあれは私が無茶をしないよう、私のために同行させられていたのだろうな」  ノマの基準では、十四歳はもう子供ではない。だが、大人であるとも言い切れない、とアクロは言う。 「大人になるのって、難しい?」 「年を重ねるだけなら容易いことだが、実が伴うにはまた、様々な視野や経験が必要だろう。正直、十四では到底大人にはなりきれん……当時の自分を思い返しても恥じ入ることの方が多いからな」 「今のアンタは、ちゃんとした大人?」 「そうであれたら、と思うよ」  ルカから見たらアクロは大人にしか見えないのだが、本人に自信はないらしい。小首を傾げているルカが考えていることを察したのか、アクロは苦笑とも自嘲とも取れる曖昧な笑みを口元に浮かべた。 「内面までは、どうにもな。後に続く者たちもいる、しっかりせねばと大人の振りをしているだけかもしれん」 「……そう?」  大人というものがよくわからなくなってきた。年を取るだけではなれないらしい。視野とは、経験とは、ルカにはわからなかった。大人になれば、わかるのだろうか。 「君は、早く大人になりたいのか?」 「……わかんない」  大人になれば何でも出来る、妹だってすぐに見つけられる、なんて夢を見られる程純粋でもない。だが今よりは出来ることは増えるだろう。  それでも早くそうなりたいかと言われると、わからなかった。  ルカが真っ先に思い浮かべる大人は、あのろくでもない父と、最悪な母、そしてあの貧しい村の中で異質な程肥えた村長。  あれらは例外なくけだものだった。醜悪な生き物だ。あんなものには、なりたくない。  ルカは足を抱えてぎゅっと縮こまる。それはルカが自分を守りたい時の無意識の行動だったが、ここ最近はこうしているとアクロが隣にやって来ることが多かった。隣へ来て、そっと肩を抱く。そうされると、まるでその腕の中が世界で一番安全な場所なのだと錯覚してしまうので、ルカは少し困っていた。  だが、今回はそうはならなかった。 「ルカ」  硬い声に呼ばれて、顔を上げる。  アクロはこちらを見ていなかった。背筋を伸ばし、耳をそばだてる狼獣のような仕草で、採光窓を凝視している。 「召集がかかった。すまないが、ルードに帰る」 「え」  外は吹雪いてはいないものの、雪は今なお深く降り続いている。ルカには外の雪明かりしか見えないそこから、何か見えたのだろうか。それとも聞こえたのか。  不安そうにしているルカに気付いたアクロは、ルカの頬に手を伸ばしかけ、しかし逡巡したのち肩を軽く叩くに留まる。 「こちらの都合だ。君が気を揉むことは何もない、なるべく早く戻るよ」  言い置いて、アクロはあっという間に通路の向こうに消えていった。  残されたルカは、アクロが触れた肩を掴む。  もう頭や頬を撫でられることはないのだろう。肩を抱かれて困ることも、きっとない。  よかったじゃないか。  近頃は吹雪くことも少なくなった。春が近付いているのだ。春が来れば、ルカもアクロも、それぞれの道を行く。よすがは切れて、消えてなくなる。  準備をしなくては。  ひとりで立つ準備だ。それくらいの気力は貰っている。充分過ぎる程、貰った筈だ。いつまでもアクロに心配をかけてはいられない。戦い方を覚えるのは、いい切欠になるだろう。  生きる手段さえ確立出来れば、この苦しさを温かく思うことは出来なくても、きっと大丈夫だ。  採光窓の外で、風がびょうと音を立てた。  その日アクロは、ルカの待つ雪洞に戻って来なかった。  次の日も。また次の日も。  ルカはひとりで加護飾りを編みながら、時折採光窓を見上げる。  外を吹きすさぶ風の中に、別の音を聞き拾おうとしたが、ルカにはわからなかった。  この冷たい冬の中に、今ひとりでいるということしか、わからなかった。

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