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第2話

 本邸宅のあるメドウスリー村に向かう汽車の中、エースは自分のことを簡単に俺に説明した。イオトリア王国獣種騎士団の狼種班長を務めているのだと。  軍について詳しくない俺に騎士団のことを話した。  イオトリア王国の騎士団は全部で十ある。その中のひとつ獣種騎士団は、戦争ではよく前衛に駆り出される戦意の高い集団で、ライオンのL種、猫のC種などがまばらにいて、中でもW種は多いのだそうだ。  エースの養父母のいるアディシア一族は学者や研究者がよく出るから、息子のエースが騎士団を受験すると聞いた時は渋い様子でいた。それが今では自慢の種にしていると誇らしげに俺に話した。  エースは去年、ガリオト大陸のスケイルで起きたナウドの戦いで勲章を二つも貰った英雄だった。地元の街を歩けば色目を使う女が多く、婚約の話も次々と舞い込んでくるのだとか。  でも、エースはそれを全て断ったという。 「オレにはお前と言うつがいがいるからな」  誠実な台詞なのに、軽薄な笑みを浮かべて言われる。エースが言うと本当に軽々しく不真面目に聞こえるし、ピアスだけじゃなく左手にごつめの指輪をつけているのが俺の勘に触った。  警戒する思いがあり、もし俺が狼種なら耳を伏せている事だろう。  俺の態度が固いのを義父がとりなすように言った。 「レイド、家に帰ってからアディシア君のことを話すつもりだったのは本当だよ」 「はい」 「うちはアディシア家から何度か贈り物もされている。よく使っているサモワールや、お前の愛用の万年筆もその一つだ」 「え……あれが。知りませんでした」 「話していないのだから、知るわけがない。アディシア家とはちゃんと親交があるよ」 「そうだったんですか?でも、少しくらい俺に話してくれても……」 「そう思ったことは何度かあった。だが、お前とアディシア君の間には複雑な事情がある。元々、お前が大人になってから話すことに決めていたんだよ。それもこれもお前を守るためだ。分かっておくれ」 「ええ、はい」  俺と父のやり取りを横で眺めながら、隣に座ったエースはオレの膝の上にある手を勝手に握る。固い大きな手の平で、俺の手を弄んでいた。 「ローラシウスさん、家督はレイドが?」 「ああ、そのつもりだよ」  義父が心配そうな目で俺を見るのは、エースが恐らく番として振る舞っているのが義父にわかるからだろう。俺とエースは番だとしても男同士だから子供が作れない。将来的に養子を貰う必要がある。  手を好きに遊ばれるのに飽き、いい加減にしろとエースの手を避けて顔を睨んだ。それでも嬉しそうな顔をする彼の好意なのか好奇心なのか、に俺は苛立った声を上げた。 「やめて下さい」 「なんで?」 「ここは汽車の中で、義父の前だからです」 「なんだよ、手を握るくらいで。オレ達はつがいだよ?」 「つがいになるなんて言ってない!」 「なんだレイ、覚えてないのか?それなら仕方ないけれど……二回目はオレから口説く?」  懐かしい。昔は俺をレイと呼んでいた。今みたいな軽々しさではなく、真剣に俺を呼んだ顔を思い出す。ああ、時は無情に人を変えていく、あの頃の兄はいなかった。  俺はエースをほとんど無視して窓外に流れていく景色を眺めていた。  実を言うと、兄が生きていたと聞いて本当は嬉しい。けれど、こんなに軽薄な英雄なのは間違っている気がした。それに番ってどういうことなのか、意味が分からない。  狼種の番の意味は重い。生涯のほとんどを連れ添い、片割れが死んだ後で新しいつがいを欲する者は少ないと言う。だから狼種は結婚するとすぐ子供をつくる。それは種が戦いに特化されている性質もあるだろう。アディシア家の学者体質は狼種の間では珍しい。  エースを睨むと、にっこり笑う。睨んでも意味がないなら無視してやる。  俺は在学中にイオトリア王国獣種三級顧問官の資格を取っている。ローラシウス家の家督を継ぎたい者が俺の他に居るのかどうか聞かされていないが、どの道俺のすることは獣種との交渉事で、しばらくは義父と行動を共にする予定だった。  そこにエースが現れて、これは恐らく俺が思っていたよりも予定がずれ込むことだろう。義父は獣種に弱く、特に肉食系が駄目だった。そこにイオトリア王国獣種騎士団の狼種班長が来たのだから、押されればそのまま言う事を聞いてしまう様が目に浮かぶようだった。そういう義父の性格だから、このまま番になるのは決定だ。義父と同じように結婚せずに養子を迎えようと思っていたのに。  やがて汽車は駅に着き、俺たちは赤帽に荷物を運ばせた。 「ローラシウスさんはメドウスリーにずっとお住まいなんですか?」 「ああ、本邸宅はずっとそこだよ。屋敷の手入れはしてある、だが普段は王都(イブリン)にアパートを借りて、そこで仕事をしている。君は部隊は?」 「今はノーサムに」 「ほう、あそこには知り合いの鹿種が住んでいるよ」 「牧場の多いのどかな街ですよ。それに、王都も近い」 「メドウスリーよりはそうだろうね」  馬車が待っていた。乗り込んで、目の前にエースの顔がある。俺を見てにっこり笑った、心底嬉しそうに話しかけてくる。 「これからレイドはローラシウスさんと一緒に行動する?」 「そのつもりです」 「そうか。今は熊種が問題になっているようだけど」 「あれは熊種の貴族が土地の問題を国と話し合っているんです。調停がうまく行きつつあると聞いていますが……」 「そうか。まあ、狼種としても興味深く見守っているよ」  エースが応じた。  獣種たちは国を統治する人種に対して気を使っている。獣種は基本的に自分の種にしか興味がない。国に自分達種族のことをどう理解させればいいか、他種のとる手段を観察している。それは狼種も例外ではなく、騎士団の班長をしているエースが意識していないわけがなかった。  獣種と関わる時の間合いについて俺は考える。義父は草食系獣種たちと距離を置いた付き合いを幾つも続けて来た。イオトリア王国獣種一級顧問官として、問題ないように振る舞ってきた。俺も父のように、できれば全ての獣種と等間隔に距離を取りたかった。  だからエースにはがっかりだった。俺の中で兄の記憶はそれは美しい物語だった。それが軽薄な男として人生に再登場するとは。狼種の婚約者だって?冗談じゃない。 「義父さん、今日の予定は?」 「ああ、お前に黙っていたことを話すよ。大事なことだから」 「そうですか」 「オレも居ていいですよね?」  すかさずエースが聞いて、義父が頷いた。 「ああ、いいよ。レイドの傍についていてやって欲しい」  いきなり現れた兄に、俺の何が分かると言うのだろう。エースは快く義父に返事をして、左手の指輪を閃かせ、目の前の空間に現れたのは魔術写真だった。六歳ころの俺がよそ行きのネクタイをして笑っている。こんな写真残っていたのかと、俺はしげしげとその写真を見た。 「写真を新しいのに交換したいから協力してくれる?」 「なんで俺が……」 「いいだろ?兄弟でつがいなんて最強じゃないか。レイドの笑った顔、欲しい」 「兄弟なのは分かった。だけどつがい?……」 「二人とも、その話は家の中でしよう。アディシア君もそれでいいかい?」 「はい」  エースは余裕のある表情で浮かび上がった写真を消した。彼と俺の間柄が兄弟である以上、番にはなり得ない。彼の中で俺は一体どうなっている。  兄と言うけれど覚えている人柄とはまるで別人だし、彼にどう対応していいか分からない。エース一人だけがにこやかでいる馬車内で、義父は気兼ねした様子でいたし、俺は自分の知らない秘密があることに少しいらつき、義父から大人の話をされるのはいいけれど、エースがついて来るのが余計な荷物のように感じられていた。  俺は人種、エースは狼種。この違いでどうやって兄弟だと見分けている?俺達の過去には一体何があったのか。  俺たちを乗せた馬車は滑らかに本邸宅前に到着した。

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