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第3話

 滅多に使わない応接間に紅茶の香りが漂っていた。地元のケーキ屋の作った素晴らしいクッキーが添えられていて、エースは大人しく紅茶を少し飲んだ。  義父は彼を少し気にしてから、俺を見直して目元をじわりと微笑ませた。 「レイド。大人になったな」 「はい」 「家に来た時はあんなに小さかったお前が、こんなに立派になるとはな」  義父の感慨深さのまま、みんなで時が流れるのを待った。俺の隣に座ったエースは大人しく、義父と俺の間の話しに割り込む気もなさそうだ。 「思えば、時とは案外短いものだな」 「義父さん、俺に話していないことってなんですか?」 「それは、ある狼種の女性に関する話だ」  義父の顔を俺はじっと見ていた。 「十八年前。お前は、狼種の女性から生まれた」 「はい?」 「お前は狼種の血が流れている」  余りにも驚いた顔をしたからか、義父は痛ましそうな表情をした。 「嘘をついてもはじまらないから正直に言おう。お前の母は産んですぐにお前を捨てた。そのお前を拾って育てたのが、神獣教の教会付属の孤児院だ。狼族の孤児はすぐに貰われて行くが、なかなか貰い手がつかなかった。同じ母から捨てられたエースは、お前と一緒じゃないと養い親の元には行かないと駄々をこねた。数年後、二人まとめて面倒を見ようと言う狼種の貴族があらわれたのだ」 「義父さんじゃないんですか?」 「私ではないよ。私は後から呼ばれて行った」 「それで?」 「その貴族家で、事件が起きた……どういう事件かは、アディシア君もよく知っている。そうだね?」 「ええ、覚えています……初めての獣化をしたので」  獣化。一部の獣種だけができる、自分たちの原種に先祖返りできるギフトだ。獣種はその時が現れる者と現れない者に分けられる、と授業で習ったことがある。  原種に戻る条件は、危機的状況になった時だ。でも、それは戦争とか仕事の上の話しではなく、家族や一族としての危機についてだったはず。 「何があったんです?」 「その貴族家の親類が、お前に手を出したのだ」  何を言われたか分からずに、俺は何度か瞬きをした。義父とエースが、俺を心配そうに見つめていた。  え、俺?俺なのか、何一つ覚えてない。 「だから俺は獣化して、ちっちゃな犬歯で噛み付いてお前を守った。相手は喚き散らし、俺も獣化をどう解けばいいか分からなかったから、ずっと狼のままお前の傍にいたよ」 「狼のままで、どうやって当主に説明できたの?」 「しなかった」 「え?」 「獣化の解き方が分からないって言ったろ?貴族の主も、その狼がオレだってことは分かったらしい。でも獣化した原因は分からないし、お前は幼過ぎてわけがわかっていなかった」 「それで、どうなったの?」 「狼のままお前に付き添って、例の男が近付いた時だけ物凄い唸り声を上げた。それでやっと事件だと貴族が気が付いて。言葉が通じないって不便だったな~」  のほほんとした様子でエースが言う。こいつ、小さかった俺を助けてくれた恩人だったのか。 「お前のことについて話し合いがもたれ、そこに私が駆けつけた。家にお前を置いておけないというから私が引き取り、エースも狼化が解けないままだ。これも貴族が受け入れを拒否したので伝手を辿って、W・アディシアという立派な家を見つけ、エースはそこに行った。お前の生活にこの事件が影響してはいけないと私は考えていた。だからエースと約束をした。十八になるまでは一般人として暮らし、十八になってから、狼種か人種か本人に決めさせようと」  俺は溜息をついて、眉のあたりを手で押さえた。  まさか自分が獣種、それも狼種とのハーフだったなんて知らなかった。ずっと義父と同じ人種だと思っていた。 「義父さん、俺は狼種なの?」 「それが難しい問題なんだ……狼種は、ハーフを仲間とは認めていない。だから、彼らから見たお前は人種になる」 「じゃあ、人種は俺をどう思うの?」 「狼種だと思うだろうな」 「……」  つまり、俺は種族として頼りになるような相手はいない、ということか。 「……俺がハーフだってこと、知ってる人は?」 「アディシアの一族が」  エースが言った。俺は隣に座っている彼を見た。 「オレたちを引き取ろうとした貴族は今はもう妻も子供もいる、オレとお前のことは忘れたな、あれは」 「アディシアの一族には、俺のこと忘れて欲しい」 「無理だ」  間を置かずに断られ、俺は眉根を寄せてエースを見た。いつのまにかエースは、俺の目の前に指輪を構えていた。パチ、と音がした。 「できた。今のお前の顔、魔術写真に貰ったから」 「……つまり、エース・W・アディシアが俺をあきらめない限り、俺はずっと狼種のハーフってことか?」 「ハーフじゃない、一人の狼種だ。オレ達はお前を受け入れる、オレの兄弟として、つがいとして……」 「つがいってのはどういう意味?」 「神獣教会で約束したんだ、つがいになると」  子供の頃の約束。狼種は早ければ五歳頃に番を決める。エースは当時何才だろう、ハーフの俺を番にするとその時に決めた?そんな子供の頃に。  彼は笑みを口の端に閃かせ、利き手で俺の手の甲に手を重ねて来た。 「というか、オレ達はもうつがいなんだけどな」 「俺は義父さんと同じ、獣種一級顧問官になろうと思っているんだけど」 「なればいい。俺のつがいである勤めを果たしてから」  手を甲の上から固く握られ、アイスブルーの目が俺の戸惑いを楽し気に見ていた。 「そろそろオレを好きだったの思い出さない?」 「そんな昔のこと無理だ」 「そっか、しょうがないよな。じゃあこれからのオレを見て好きにならない?」  軽薄そのものの台詞を俺は睨みつけた。  俺を庇って自分の運命まで変えた。それは子供だったから大人の事情は分からなかったかもしれないが、俺の身に危機が迫った時に庇ってくれた心のあり方が変わってないのは嬉しかった。  義父が俺とエースをにまだ何か言いたそうにしていたが、やがて溜息をついた。 「よく考えなさい、レイド。どの道、ローラシウス家の家督はお前のものだ。連れ添いがいるにせよ、養子を取ることになるのは変わらないからな」 「はい、義父さん」  今すぐ決めなくてもいいことに安堵して、隣のエースを見ると俺を見ていたらしい、目が合うと微笑み、表情の出方が軽薄でどこか嘘くさい。 「オレ達は兄弟だって言っただろ」 「赤の他人だ」 「アディシアでは兄弟で通した。オレ達は兄弟でつがいだ」 「お前の我儘を聞かされたアディシア家が可哀想だ」 「とんでもない。これから狼種になるお前のために、俺は精一杯努力してる」 「俺は人だ。狼種とのハーフであることは隠せばいい」 「すぐばれる」 「なぜ?」 「お前が狼種だとオレが広める。まずはオレの部隊内に」 「やめろよ!」 「なんで?せっかく弟と婚約するのに、広めない手はないだろ?」 「その弟って言うのをどうにかしてくれ!」 「なんで?オレはアディシアに浸透させている、お前はオレの弟で、オレのつがいだ」 「だから、なんでそうなるんだよ……!」 「お前がハーフで、オレのつがいだからだよ」  軽率な口調で、エースはオレの前でつらつらと事情を述べ始めた。 「ローラシウス家に引き取られた弟とのつがい契約は済ませていると言ったことが、とどめだったな」 「つがい契約?」 「覚えてないんだな。まだ幼かったから仕方ないけれど……オレ達はもうつがいだよ、レイド」  困惑する俺に、エースはぱちりと指を鳴らした。  ふわ、と何かが変化したのが分かる。 「あっは。かーわいー!」 「えっ?」 「十二年ぶりの解呪だから、しばらくこのままでいようか?尻尾をズボンの外に出したいだろう」 「え?え?」 「頭。触って」  何のことだか分からず、オレは自分の頭に触れた。ふわ、と優しい感触がした。耳に感がある。耳?手を降ろし、自分の耳に触れる。ある。じゃあ頭の上にあるのは?頭の上を触ると、   ふわふわした触感でわかる、獣耳がある。  エースが満足そうな顔をしていた。 「お前のふつうの状態はそれだよ」 「え!?」  やわらかい感触の耳に触れ、尻のあたりがなんだか窮屈だった。もそもそするものが、尻に触れている。エースが傍に来て、トラウザースの前を寛げて来た。 「うわ!何するんだよ!」 「見せろよ」 「は?やめろ」 「出して」 「あっ、ちょっ!」  騎士団員の腕力に敵わない。オレはトラウザースを半分下ろされて、すると尻に触れていた妙な感覚がふっと楽になった。 「あ……?」 「ほら、これが今の、本当のレイドの姿だよ」  尻でふわふわするものを、エースが優しく触れている。右に、左に、俺の意志で動く。  ふわふわの尻尾がある。 「っ!?」 「ハーフブラッドは純血と違って自力で本性を隠せない」 「え!え!消し方教えて!」 「人種に戻るなら教えてあげられないよ?」 「そんな!どうにかしてくれよ!兄さんなんだろ?」 「オレ達も兄弟の時は耳も尻尾も出ていたよ」 「そうなのか?」 「つがいになるって言うから、秘密のやり方で消したけど」  まずい。このままだと、普段の生活に支障が出る。ハーフだと人目に明らかになると、獣種三級顧問官の仕事にも影響が出る。この仕事は獣種には無理だと言われているのに、見た目がハーフのままだと信用が得られない。 「お願いだから、消してくれよ」 「だめ」 「お金で頼んでも?」  エースは楽し気に軽薄そうな笑みを浮かべた。 「金とか。つがいにならないと消せない。どうする?その格好で外に出る?」 「そんなことできるわけないだろ!恥ずかしい!」 「だよな。オレも外に出る時は耳や尻尾は仕舞っている。それが他獣種と会う時の約束だし……そのままだと多分、獣種顧問官の仕事ができないよな?」  俺の事情はよく分かっているようで、憎らしい。思い切り睨みつけても笑っているだけだった。 「ならレイドはどうすればいいと思う?」 「くうっ、わざとか!俺の耳と尻尾を出したのは……」 「それは違う、子供の頃の約束と魔術を今まで守って来たから、一度解呪しないと魔術もほころびるからだよ。オレ達は大人になったんだ。これからの約束を新しくしたい」  うれしそうな表情で見下ろされる。エースにして貰わないと耳も尻尾も仕舞えないのか?今までどうやってたか分からず、耳を伏せたり尻尾を巻いてみたけれど、どれも違う。  エースは嬉しそうな笑みを浮かべて俺を見ていた。 「どうする?レイド。オレを選ぶか。それとも、耳と尻尾を出しっぱなしで生きてくか?」 「そういうわけだ。獣種三級顧問官になるなら、アディシア君を連れ添いに選ばないと、この先はない」 「義父さんまで!?」  追い詰められて、耳と尻尾はどうあっても隠せない。エースは笑みを浮かべ、俺に近付いてきて触れはせず、犬耳の出ている俺の姿をまた指輪の中にぱちりと収めた。こんなの屈辱だと思いながら、けれど自力ではどうすることもできない。 「わかりました。俺はエースを……エース・W・アディシアをつがいだと認めます」

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