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第4話
悔しいけれど仕方なかった、俺一人ではどうやっても耳も尻尾もなくならない。俺の耳が頭に沿ってぴったりと寝ているのを、エースが笑って見ていた。
「つがいだっていうのがそんなに嫌?」
「兄さんだって分かったのは嬉しいけど……」
「そのうち慣れるよ。オレは秋まで休暇だから、それまでレイドと一緒」
「え、休暇?」
「勲章を貰った一つは将軍を庇ってできた傷にでさ。オレ怪我人なんだよ~」
へらへら笑っているが、それは凄いことだ。つまり休暇とは臨時休暇なのか。見た感じ、普段と何も変わっていないように見えるけれど。いいや、俺はエースの普段なんか知らない。
彼は満足そうな表情を浮かべて俺の耳と頭を撫でた。頭の上に耳があるって、変な感じ。だけどそれは確かに俺の体の一部だった。
「昔みたいだ」
「覚えてない」
エースの手は大きかった。剣や銃を握る戦う手。俺は体育はそこそこできたけれど、騎士科ほどじゃない。騎士科では銃や剣、戦術や戦略について講習を受けて、学園を卒業したら騎士として配属される。
エースはきっと学園は騎士科を卒業して立派な騎士になった。軽薄なのがどうにかならないかと思い、じゃあ俺は軽薄じゃなければエースがいいのか?
わからない。男相手に番を欲する気持ちは、俺がオメガならそういう気持ちも分かるのかも知れないけれど、あいにく俺はベータだしナチュラルだ。
番として俺を欲しがっている。人に欲される経験がなくはない。俺は義父に内緒で二人の女子と付き合ったことがある。女の子のふんわり柔らかな感触とか抱き心地とか、けっこう好きだったけれど経験としては薄味で終わっている。性交ってこんなものなのかと童貞を捨てて感じた。相手を変えても薄味の経験であることに変わりはなかった。
そんな俺に、男のそれも騎士の番がいるのは違和感がある。
エースは狼色の頭髪を短く刈り込んだアイスブルーの目をしていて、いかにもな狼種だった。
「でもさ、いくらつがいと言ったって。うまく行かなかったらどうする?」
「大丈夫だよ。神獣教会で正しく誓ったんだ」
「そんなの覚えてない」
「これから覚えていけばいい」
「なんで俺のこと、そんなに信用してるんだ」
「つがいだから」
「俺がろくでなしだったら?」
「ああ、レイドの生活態度についてローラシウスさんから聞いてたし、変な男に引っかからなくて良かったよ」
「男って、どうして男」
「変なにおいをつけられたら、さすがに俺も考える」
ぎくりとした。俺は学園で女子と関係を持っていた、過去形なのはもう済んだことだからだ。卒業してさよならしたシェリーとサナ、俺に番がいるなんて、学園にいる間に済ませられてよかった。
性に奔放な兎種や鼠種で初めてを済ませるのも考えたけれど、折よく年下の女子から声を掛けられ、それに乗った。経験した子はどちらも初めてじゃなく慣れていて、俺はつまみ食いされた側だろう。二年間で両手の指の数ほどお世話になった。その女子たちのことをエースが知ったらどんな顔をするだろう。
とりあえず黙っておくことにしたのは、まだそんなにお互いを知り合っていないからだ。鼻のきくエースなら、俺が学園でなにをしてきたか分かっているのかも知れないし。
「男の変な匂いって……」
「男は臭いからすぐわかる」
恋愛については話さないでおこうと決め、目の前で俺を見て笑んでいるエースを見上げた。彼は怪我人だから、優しくした方がいいだろう。それと、耳と尻尾。
ちょっと屈んで、俺の前髪の辺りをふわっと嗅いだ。
「レイドの匂いはきれいだな」
「あのさ……耳と尻尾、どうやってしまうの」
「キスで」
「冗談じゃなくて」
「本当だよ。呪文を唱える手順をショートカットして、キスにした。そういう狼種は多い」
「え、え~……キス、なの?」
「いつまでもズボンを下げっぱなしでいられないだろ?どうするか決めて」
嬉しそうに笑いながら選択肢を預けてくる。俺がそうするしかないのを分かって俺に預ける。絶対にわざとだ。俺が困惑しているのを楽しんでいる、悪趣味だ。
「レイ。どうしてほしいか言って」
微笑みながら見下ろされ、俺は恥ずかしさと同時にままならなさに怒りを感じていた。それを押し殺して、エースに願い事を言った。
「キスして、耳と尻尾をしまってほしい」
「いいよ」
あっさりと頷いて、エースは俺の顎を指先で軽く上向け、啄むような唇に触れるだけのキスを一回。それから俺の顔をじっと見だ。
頭に触ってみると、耳がないし尻尾も消えている。ほっとして、トラウザースを元に戻した。
「耳を出してみてどうだった?」
「変な感じ」
「狼種は耳を出している方が本性だ。忘れないように、家にいる時は出すんだ、本当は」
「俺は仕舞ってる方が楽」
「そう?」
「……仕舞っていられる期限とか、あるの?」
「俺の機嫌次第」
「は?」
「レイドが毎朝俺にキスしてくれたら、ずっと」
冗談じゃない、立派な騎士にどうしてキスなんか。でもエースは心底嬉しそうな顔をしている。
まったく見知らぬ騎士から、親戚の世話になった騎士のお兄さんになった距離感で、毎日キスを耐えなくちゃならないのか。耳と尻尾の為に。
俺が俯いたのを見て、エースは多分苦笑した。
「キスは嫌?」
「すごく抵抗がある」
「じゃあオレは手にキスをしよう。それでもだめ?」
「それは、それならいいけど」
「よし。約束だ」
エースはオレの肩を掴んで引き寄せ、軽くハグをした。その態度も本当は嫌じゃない。親しい兄ができたようで、俺は男を恋愛対象だと思って見たことが一度もない。クラスメイトだって皆友達だった。まさか、キスなんてするわけがない。
見た目軽薄なのに、していることは嫌いじゃない。第一兄が生きていたなんて知らなかったし。
「……その。エース、さん」
口の中が乾いていて、うまく言葉にならない。
「何?」
「兄さんが生きてたのを聞いたのは今日が初めてだから……その。嬉しい、です」
「そっか。オレも浮かれてた。恐くなかった?」
「ちっとも」
「よかった。これからよろしく、オレは当分お前と行動を共にしたいけれど……」
「ほどほどならいいですよ」
「よかった」
「俺も狼種のこと、詳しくは知らないし……」
「これから覚えていけばいい。時間はあるんだから」
「教えてくれる?」
「当たり前だろ。色々教えるよ、とりあえず、毎朝のキスが課題だけど」
「エースさんのこと、……努力してみます」
それまでじっと佇んで俺たちを見守っていた義父が、軽い咳払いをして注目を集めた。
「仲は良いようだな。私はそろそろ夕食を取ろうと思う。明日の朝が早いので、早めに寝たい。二人とも、屋敷の中は自由に使っていい、ハーモンドにも二人の事は言ってあるから」
「わかりました」
「レイドのことを頼んだよ、アディシア君」
「はい」
「レイド、アディシア君と仲良くするんだぞ」
「頑張ります」
「うん」
義父は少し心配そうな表情を浮かべたけれど、すぐ俺達のいる応接間を出て行った。
義父が出て行くや否や、エースがオレの肩を掴み抱きしめるまでの間が素早く、抵抗できなかった。唖然として、俺はエースに抱きしめられてうなじの匂いを嗅がれた。
「レイド……レイド。レイの匂いがする」
「っ、エースさん!ちょっと……」
「レイド。オレのつがい。夢にまで見た」
俺を固く抱き締める声が震えている。狼種のつがいを欲する気持ちを俺は初めて知った。俺は騎士の早さと力の強さを知り、そのまま彼の好きにさせていた。
俺の何も知らなかった十二年間、エースがどんな思いでいたのか。女子二人と寝たこと、絶対に教えたらだめだ。それと、明日からどんな過ごし方をすればいいだろう?エースと二人で。
「すまないレイド」
「いえ、その……」
「すまない」
口先で謝りながら、エースはまだ暫く俺を開放しそうになかった。
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