5 / 29
第5話
朝、エースと一緒に食堂で食事を取りながら、今日一日をどう過ごすか考え物だった。
二人で家に居続けるのに俺は慣れなかった。しかも相手は年上の騎士で、戦場での武勲について話すでもなく、俺を見るとにこっと笑い、あとは沈黙して満足している。
食堂で朝の挨拶をして、特に話はしなかった。何を話していいか、俺は分からなかった。
ラジオを聞く気にもなれずに、家を出て散歩に行くことにした。当然、エースもついて来る。 二人で田舎道を歩きながら、俺はエースを気にしていた。
「この村はどんな所?」
聞かれて、まあ、普通の質問。
「どこにでもあるような、ふつうの村だよ」
「そう?」
「エースさんはどんな所にいたの?」
「俺は町育ち。グラントン」
「ああ、大学のある町?」
「そう。レイドは大学に進学しなかったんだ」
「しても良い成績だったけど、早く現場に出たかったんだ」
「ローラシウスさんは何て言ってた?」
「義父さんも三級から始めたって聞いたからだよ」
「へえ。オレは騎士を志す時、周りからやめとけってばかり言われたな」
「どうして?」
「やせっぽっちだったから」
エースの体を見上げる。やせっぽっち?
「学者家系で、勉強はよくさせられた。だから街の教室行ってる間に勉強に飽きたんだ」
「そんな理由で?オレは義父さんがよく鹿種の人と交渉してるの見てたから、義父さんを尊敬していたな」
「オレも義父を尊敬しているよ、オレにはできないことをしている。でもオレは、狼種らしい狼種になりたかったから」
「そうなんだ」
「レイドはローラシウスさんを手本にしているんだな」
「うん」
「義父さんと、どんな風に過ごしてたんだ?」
「え?普通だよ。俺が遊びに行って、人の家の庭で花を植えたり、お茶をごちそうになったら、義父が来て挨拶をするとか……そういうことだよ」
「庭に花か。レイドは変わらない」
「どこが?」
「昔もそうだった。薬草園に植えるのをよく手伝っていたよ」
「そう」
覚えていない。十二年会っていないなら、俺は六歳。あの頃の思い出は、誕生日にすばらしいケーキを食べていいと言われて嬉しかったのと、小さな赤い自転車を貰った。その補助輪付きの自転車に乗って村中を走り回り、迷子になって泣いていたらお巡りさんに拾われて、家まで送り届けて貰った。
村の先生の家に通う学齢になると、三四人の幼馴染たちと、通いの家政婦のドーガさんという友達ができた。夏の休みの日に先生の家でプディングをごちそうになったり、先生の家のティーカップを割ってしまったり、七歳から十三歳まで色々と思い出がある。
俺がメドウスリーを出たのは五年前。あれから何が変わっただろうか。俺は二年に一度、三日ほど滞在するだけで、ほとんど王都イブリンのアパートか、裕福な友人の別荘遊びに行っていたから、今の村がどうなっているかは殆ど知らなかった。
「エースさんは休暇をどう過ごしてたの?」
「お前と一緒だよ」
「そうじゃなくて、今まではどうだったのかと思って」
「別に普通だな。実家にいたってしょうがないから、旅行に出たり。渓谷や湖に」
「へえ、いいなあ」
「自然が好き?」
「うん」
「鱒を釣る?」
「友達とバカンス先で一匹釣った」
「楽しかった?」
「うん、好きだな」
「じゃあ今度、一緒に鱒を釣りに行こうか」
「いいね。でも、メドウスリーでは山から川にかけて縄張りにしているのはフィッツさんだけで、自分の縄張りを荒らされるのを嫌うもんだから、釣りには行けなかったなあ」
「フィッツさんって?」
「山側に一人で住んでる。行かない方がいいのは子供でも分かったよ」
俺たちが話しながら道を歩いていると、ローカス神父と行き会った。
「こんにちは」
「やあ、ローラシウスくん。戻ったんだね」
「はい。お元気そうですね」
「それだけが取り柄だよ」
笑い、ローカス神父は興味深そうにエースを見た。
「こちらは?」
「あ、エース・アディシアさんといって、離れ離れになっていた俺の兄です」
「こんにちは」
「よろしく。王国の騎士団員です」
「制服で分かるよ。弟に会いに来たのかね?」
「そんな所です。そのうち教会に顔を出します」
「ああ、今度の祝日でも来るといい。神はどの民も見捨て給うことはない。じゃあね」
会釈を交わして、神父と別れて散歩道を歩いた。
「教会って?」
「シリウス教会が、村の真ん中にある。教会前の広場でお祭りがあるよ」
「へえ、田舎の教会の祭りか。興味あるな」
「つまんないよ」
「それは子供の頃から見慣れてるからだな。オレはずっと王都の端っこで、教会前に広場なんてなかった」
「町の方が面白いものがあるだろ。俺は学園に行って、そこで初めて見るものが沢山あった」
「田舎だっていいじゃないか」
「エースさんは都会っ子だからそう言うんだよ」
そこで、がちゃんと何かを叩きつけて落としたような音が聞こえた。見ると、垣根の向こうの庭先でフィッツさんが大声で怒鳴っていた。
「あんたがやったことは分かってるんだからな!」
「誤解だよ、フィッツ。私はあんたのいる山小屋には行ってない」
「どうだか。俺にうらみがあるとすればあんただ。あんた以外に誰がいる」
怒っているのはフィッツさんで、大柄だから迫力があった。この家の主のビルスナーさんは憮然として腕組みをしていた。どちらも町内会か何かの用で家に来たことがある顔見知りだ。
フィッツさんは俺たちに気付いて、気まずくなったのか捨て台詞を吐いた。
「いいか!今度同じようなことがあったら、騎士団に通報するからな!」
「そんな事を言われても、知らないものは知らないよ。山のカラスや鷹の仕業じゃないのか?」
「木の枝が邪魔をして、カラスも鷹も来ない」
ビルスナーさんさんが閉口した様子でいると、フィッツさんは決めつけた。
「いいか、次は騎士団だぞ!」
大股に帰って行くフィッツさんを見送って、俺たちはビルスナーさんの方に行った。
「どうしたんですか。今のはフィッツさんですよね?」
「ああ、レイド君、戻ってたのか」
「昨日の汽車で。フィッツさんはどうして?」
「どうやらあいつの家の周りに、鷹かカラスでも出るようでね。昼のサンドイッチをたびたび盗まれているらしいんだ」
「盗まれる……キツネじゃないのか」
「あいつはキツネや鹿を撃つ。違うんじゃないか?」
「鳥ではないと言ってましたけど」
「さあ、勘違いかも。そうだ、お父さんは?」
「イブリンのアパートに。俺は村で、兄と休暇です」
「兄って?」
「こちら、俺の兄のエース・アディシアです」
「こんにちは」
「やあ、こんにちは。今までは離れていたの?どうして」
「兄弟が別々に引き取られたので。他にも少し事情があって……なあ?」
「え?うん」
「どこで働いているの?」
「王国騎士団です。今は臨時休暇で、弟に会いたくて」
「ああ、そういえばどこやらで小さな戦闘があったと新聞で読んだことがある。それかい?」
頷くエースは、ビルスナーさんに番のことは言わなかった。俺は横目でちらりと彼を見た。一般常識は持ち合わせている、自分がおかしいことを言っている自覚がある。それならどうして、兄弟で番だなんて俺に言ったんだろう。たとえそれが事実にしても、もっと言い方があるんじゃないか?ものすごくびっくりして拒絶したくなったけれど、隣でこうして人と話しているのを見ていると、笑い方が軽薄なのが目につくくらいで、すごくまともだ。
立派な騎士だ、常識だって当然あるはず。今もにこやかにビルスナーさんと話しているのが、やはり年上だなと感じた。
「そうです。そのナウドの戦いで勲章を貰ったんですが、怪我も負って。その休暇なんです」
「そうですか、それはどうぞお大事に、アディシアさん」
「ありがとうございます。それでは」
俺を振り返って、優しい笑顔だ。なんだ、最初からそうなら。
いや、本当にそうか?あの時の俺はいきなり現れた兄を受け入れる気持ちになれただろうか。しかも、俺の番だなんて言って来るような大きな男を。
隣り合ってまた道を歩く。ついでにメドウスリーをざっと紹介してしまえばいいか。
「この道なりに歩いて行くと、教会の前に出るんだ。家は教会前の十字路を左に入って行った先にある」
「ふうん、枝道がわりとあるけど」
「この大通りさえ押さえておけば、枝道なんかはまあ……ウス通りとアース通りがある。俺の家の前の道はウス通り」
「どこまで続いている?」
「ウス通りは教会前広場を出発して村の半分をぐるりと巡っているよ。実質、昔は境界線だったみたい。アース通りはだいたい南北にまっすぐ通っていて、商人とか旅人とかが街道沿いにやってくる道だった。でも今は鉄道があるだろ、アース通りを使うのは近所の村の人たちか、畑に用がある人くらいだよ」
「詳しいな」
「先生から教わったんだよ」
「あっちの山は?」
「フィッツさんの家のほう。山のものが欲しい時はフィッツさんに声を掛ければだいたい手に入る。きのこに山の木の実や山菜、鹿の肉や角、キツネの毛皮とか」
「それ、酒で受け取るんだろ?」
「よくわかるね」
エースが笑った。その笑い方は昔のエースにそっくりで、俺の胸はずきりと痛んだ。
痛んだ?
「そりゃあね。似たような人が町のパブにもいるから」
「ふうん」
「そうか、お前はまだパブに入ったことがないんだな」
「学園生は入れなかったし。村もそう言えばパブがある……今度案内するよ」
「助かるよ。でもローラシウスさんに言わなくてもいいのか?」
「いいよ。俺だって大人になったんだし」
教会前まできて、この日の教会からはパンの焼ける匂いがした。施しの為のパンとパイ作りを近所の女たちがやっているらしい。できあがったものは村中に配られる。
「いい匂いだな」
「パンを焼いてるんだ。今日は施しの日」
「ああ、でも街の教会よりも香ばしい」
「ローカス神父が小麦の品質にうるさくて。助かってるんだ」
「おいしいの?」
「うん。多分、夕食に出ると思うよ」
「楽しみだな」
教会の外観を見て、中には寄らずに広場を通り、一番大きな交差点に差し掛かった。ここからアース通りにそって商店街が立ち並んでいる目抜き通りがある。王都とは違い人通りもほとんどない、田舎の街だった。
歩き慣れた商店街の道を二人連れで歩いていると、変な気分だ。俺を番と言う、番のことは教科書通りのことしか知らない。しかも獣種全体のことだけで、狼種がどうなのか俺は知らない。
エースには十二年の間に心に適う女性や男性がいなかったんだろうか。とても不思議だった。この番という感覚が、俺はいまいち飲み込めていなかった。
ともだちにシェアしよう!