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第7話
結局、エースは夕食がもうじきという時刻になってやっと帰って来た。
「ただいま」
「お帰り。こんなに遅くまで、道に迷った?」
「フィッツさんの所に行ってたんだ」
「えっ、フィッツさんと?」
「ちょっとね。罠を仕掛けに」
村人と打ち解けない事で有名なフィッツさんと、どうやって仲良くなったんだろう。
「なんで?」
「少し、気になることがあって。状況を聞きに行ったら、多分そうかも知れないから、頼んで罠を……トラバサミを使おうとするから、慌てて止めたよ」
「大きな獣がいるの?魔獣とか」
「いや、そう言う訳じゃない。裏山のあたりはフィッツさんが見回りしているし、異変があったら騎士団に通報するだろう?」
「じゃあ、何がいるの?」
「ああ。まだ分からないけれど、多分……」
エースがよくわからない。軽薄ではない表情を浮かべているから、なにか|まじめ《・・・》な顔をしなければならないことが起きたのが分かる。でも、それが何か俺に話す気はないようだった。俺は彼のためにお茶を淹れて渡すとき、ぬるかったかなと思ったけれど、喉が渇いていたようでごくごくと飲んだ。
「フィッツさんの所だけ?」
「ああ、明日は蜂蜜を分けて貰う約束をしたんだ。罠のこともあるし」
「何が掛かるか分かってるみたい」
「さあ。掛かってくれたら嬉しいんだけどさ……まだわからない」
「わからないの?」
「そう単純な相手じゃない。知恵が回るんだ、小さいのにね」
小さい。キツネか何かだろうか、でもそれがどうしてエースの気にかかるんだろう。元々山が好きなんだろうか。狼種だから?わからない。
「怪我人なのにそんなに出歩いて大丈夫?」
「ああ、怪我か。歩くのには問題ないんだよ。部隊での行動になると遅れが出るから、完全に治るまで戻って来るなって」
「厳しいんだね」
「騎士の基準がある。休暇が終わっても復帰できなければ退役だ、冗談じゃない」
「え、そうなの」
「レイド、キスしたい。手を貸して」
俺が椅子に座ったままエースに手を出すと、彼は俺に跪いて手を取り、まるで水を掬って飲むように俺の手の平と言わず甲と言わずキスをする。くすぐったい。そして、ちらっと舌が俺の手の平を舐めて、その感覚にぞくぞくする。少しだけ立ちそうになるからこわい。
感じているのを知ってるのかどうか、エースの目が俺を見つめて、すっと離れる。触れられた手が熱く痺れるようだった。
これが番契約の効果なのか、聞くのが少し恐い。
「……エースさんが触れると」
「ん?何だって?」
「エースさんが触れると、なんだか……気持ちいいのはどうして」
「そういう契約なんだよ。大抵の人はつがい相手に、快感を覚える術式を組むから」
「それ、やり過ぎとかはないの」
「面白いこと言うな。やりすぎかな。オレは控えめにしてるけど」
「あれで控えめ?」
じゃあ、本気になったら一体どうなる。俺が引いたのを見て、エースは喉で鳩のように笑った。
そこにハーモンドさんがやってきた。
「二人とも、夕食の時間ですよ」
「今夜は何?」
「鶏のいいのがあったので」
「ごちそうだ。でもどうして?」
「レイドにつがいが見つかった祝いですよ」
俺が喉に閊えたようになっていると、すかさずエースが答えた。
「ありがとう、ハーモンドさん」
「どう致しまして。王国の獣種騎士団は厳しいって有名だよ。勲章を貰ったなんて英雄だ。今夜はごちそうですが、明日からは質素です。いいですか?」
「軍の粗食よりも?大丈夫ですよ。ごちそうは嬉しいな」
食堂に行くと、立派な鶏の丸焼きが置いてある。俺も期待でドキドキした。中にライスが詰められているんだろうか?ほんの偶に、例えば義父さんが国から褒章された時くらいしか、ハーモンドさんはこういうものを作ろうとしない。でもそれが俺につがいが現れたからというのは、あまり歓迎できなかった。
複雑な気持ちで俺は食卓に着いて、ハーモンドさんが切り分けるのを受け取った。
「中はピラフだ」
「ええ、おいしいですよ」
「嬉しいね、こういうのは」
「レイドはワインを飲みますか?」
「……うん。挑戦してみる」
「じゃあ、グラスに半分」
白ワインが置かれ、サラダとスープが配られた。俺は初めての白ワインを手に取ろうとした。
「腹に食べ物を入れてから飲むといいよ。少しだけ」
「そうなの」
それで、俺はピラフと肉を一口食べてから、ワインを飲んだ。すっきりした味わいで、ぶどうジュースとは何もかも違った。
「……おいしい」
「よかった。旦那様も好みの味ですよ」
「へえ。義父さん、こういうの好きなんだ。いくら?」
「半銀貨」
「うわ。いい値段するなあ」
「祝い事の時だけ飲めるワインですよ。普段は十銅貨の安物です」
「いきなり下がった。でも、どんな味なんだろう……」
「今はおいしいのだけ飲んだ方がいいよ。安酒は、ほんとうに安い味しかしない」
エースが答えて、ハーモンドさんも笑って頷いた。
「後のことはオレたちでやるよ」
「そうですか。じゃあ、私は今日はこれで失礼します」
「ありがとう、ハーモンドさん」
ハーモンドさんは通いの執事だ。朝六時に台所で俺たちの朝食を作る所から、夕食まで面倒を見たら帰って行く。俺は洗濯と目玉焼きなどの簡単な調理をハーモンドさんから教わり、学園ではそれがすごく役に立った。騎士科と一緒の遠征などでは調理できる者は重宝がられた。俺はできる方だったから、三日三晩の遠征で合計九食の面倒を見て疲れ果て、ハーモンドさんの偉大さを思い知っていた。
「この村に獣種の人って?」
「ん?……知らない」
聞かれて初めて気が付いた。獣種の人だってメドウスリーに住んでいるのに、そういえば学園でも獣種の名前の人がいても俺は「そうなんだな」と思うだけだった。
エースに言われて、初めて気になった。
「そうか。ローラシウスさんは村の獣種のことは話していないんだな」
「聞いてない。そう言えば義父さんは、獣種のことも子供の頃に話してくれたきりだったし、仕事でいい事があった時も、ハーモンドさんから聞いて分かったよ」
「家庭に仕事を持ち込まない、か。立派な態度だけど、こういう時は困るな」
「何が?」
「ちょっとね。獣種について知りたい時は、どうすれば?」
「騎士団。小さいけどしっかりしてるって。獣種の誰に話をしたいかによるよ」
「うーん、獣騎士の制服で行ったら問題になりそうだな」
「でも何のことで獣種に?」
「まだ分からない。隣村って?」
「隣村?アグベック村なら十キロくらい離れてるよ。オルダムは近くて五キロ」
「じゃあオルダムの方も調べた方がいいのかな」
「俺には教えてくれないの?」
「まだ確かな事じゃないんだ。汽車の駅があるのはここだけ?」
「うん。他の村には馬車で行かないと」
「そうか……」
「危険なの?」
「いいや、多分おびえているだけだ」
フィッツさんの持っている山で野生動物が怯えている?なら、もっと奥地の自由な山野に戻ればいい。なぜ、エースは山のことを気にするんだろう。
「ねえ、山に何があるの?」
「……ちょっと言えない。オレはこの辺りは不案内だから、どうしてもレイドに聞かないと分からないし。隣村の方角って?」
「アグベックが街道北で、オルダムは西」
「レイドはメドウスリーの友達と会った?」
「会ってない。会ってもいいけど、どこにいるか」
「仕事は?」
「農場とか牧場とか……」
「パブに行って聞いた方が早いのか」
「まだ十八だよ?」
「田舎の子は十二、三歳からビールを飲むよ」
俺が目を丸くして驚くと、エースはこう付け加えた。
「分かっていても知らん顔をするといい」
「明日エースは?」
「フィッツさんの所に。パブに行ってくれるか?」
「いいよ。何を聞けばいい?」
「獣種の噂がいいな」
「いいよ、聞いてみる」
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