8 / 29
第8話
食後、俺は軽く酔っぱらって部屋のベッドで少し休んだ。
ワインをグラスに半分で、こんなに酔う。子供みたいで少し恥ずかしい。明日のパブではビールを残すことになりそうだ。
五年会っていない幼馴染たちの顔を思い出す。あの頃のことを懐かしく思い出して、俺は彼らの苗字をぼんやりとも思い出せないことに気がついた。
なぜだろうか記憶を手繰り寄せる。確か、教室にいる間は名前だけで呼ぶことに先生が決め、だから俺達はお互いの苗字を名乗っていない。でも多分、村内ではそれで通じる。
ベッドの上に横たわり、しばらくうとうとしてから起き上がった。喉が渇いていたから階段を降りて台所に行くと、まだ居間に光がある。
「エースさん?」
「……ああ。どうした?」
「喉が渇いて」
台所に行って水を飲んでいると、エースが来て戸口のところで話しかけてきた。
「いい事を教えようか、パブではビールを残しても誰も怒らない」
「そうなんだ?」
「試しに行くだけ。できれば友達と話せるといいけれど……まあ、騎士団に聞く手もあるし。急がない」
「パブで失敗したら村中の笑いものになる」
「まだ飲めるかな、という所でやめておく。それが重要だ」
「エースはどうだった?」
「さあ、どうだったかな。多分騎士仲間と飲みに行って、潰れた奴を笑ってた。集団になると気持ちが大きくなるのは、獣種も人種も変わらない」
こうして話していると、普通の年上の騎士のお兄さんだ。
彼が番。あまり実感がなかったけれど、触れる時に気をつけないとどうにかなりそうで、それが少し危機感がある。
俺は感じてしまうけれど、エースはどうなんだろう。
「……エースさんは、俺をどう思ってるの?」
「つがいだよ」
「そうじゃなくて」
「どうしたの?」
エースの前に行って、恐る恐る聞いてみる
「俺がきらい?」
「どうして」
「だって俺は、エースさんを十年以上待たせている。しかもつがい契約した日のことを覚えてないんだ。そんなの酷いだろ」
「いいんだ。十二年前に別れることが決まってから、そうなるだろうと思っていたから」
「俺を怒らないの?」
「再会できたのに、何を」
「だって俺は全部忘れて……しかもエースさんのことを死んだと思ってた」
最悪なことを並べ立ててみる。俺を見下ろすエースの目は、興味深そうに俺をじっと見て、それからじわっと微笑んだ。
「いいんだ。会えた」
「待ってたんだろ?」
「居場所は分かっていた。何度もメドウスリーに来ようと思ったよ、でも見たら会いたくなるし、会ったらきっと驚かせる。驚かせて、怖がらせるかもしれない。だから卒業式まで待っていた。お前を手放す気は最初からない」
幸せそうに笑いながら、エースが俺に告げる。
「オレは兄貴で、お前のつがいだ」
「……義父さんから俺の話し聞いてたの」
「ああ、子供の頃はアディシアの養父から、大人になってからはローラシウスさんから直に。獣種一級顧問官が保護してくれていると思っていたから」
「義父さんのこと信じてた?」
「ああ」
「ねえ、なんでつがいになったんだろう、俺たちは」
「オレ達は、お互いしか居なかった」
「……二人きり?」
「いや、環境的に言えば沢山いた。沢山いる子供達の中でオレはお前の匂いがはっきりわかったし、お前はオレの尻尾が大好きでよく握ってた」
獣種の尻尾は、プライベートゾーンだ。滅多なことで触ったらいけないのは常識だ。
「尻尾を?俺、そんなことしてたの?」
「そうだよ」
「ごめん……」
「オレの尻尾握ったら泣き止むからしょうがなかった」
「はぁ」
「お前は賢い子だったよ」
俺を見つめながら、エースは昔話をし始めた。
「お前がハーフブラッドだから引き取り手がないことは、孤児院の大人たちの話ですぐ分かった。だからそう教えたら、お前は一人でこの先どうやって生きていけばいいのか考えていた。お前につがいにならないかと誘ったのは、お前の匂いが好きだからだ。お前はオレのものになると言った」
「エースさんのもの……俺が?」
エースは頷いて俺を見てる。自分のものだから、ずっと忘れずに十二年間も俺を待っていた?彼の目は真剣で優しくて利己的に見えた。
俺の義父も、アディシアの養父も、それを知ってずっと見守っていた。
「俺がエースさんのもの」
「そうだよ。で、オレはお前のもの」
「エースさんが、俺のもの?」
戸惑いがある。もろに顔に出ていた。それを面白いものを見る目でエースは見ていて、ただ一つ、決して俺に乱暴なことをしないのだけは分かる。
俺の頬から耳、耳の後ろの髪を撫でつけるように手の平に撫でられた。
「見てるだけでもいいと思っていたのに、見ていると触れたくなる。触れたらきっと、もっと欲しくなる」
「我慢してる?」
「してる。それより、レイドを傷つけるのがオレであってはならない」
「俺に何したいの?」
また、頬から横の髪までを撫でられた。エースは切なそうな表情をしていた。
「まず。まずはキスを、唇に」
「エースさ……」
俺は肩をそっと抱かれて、目の前にエースの睫毛が、案外長くて目に突きそうだと目を閉じた。優しい柔らかい感触で、唇と触れ合った。彼は舌でぺろりと俺の唇を舐めた。二度、三度。それで唇が痺れたようで、何か言おうとして開いた俺の口に舌が入った。
知らない味わいのものを、口の中一杯になってぐるりと舐めて、舌に舌が絡まる。軽く舌を吸い上げられて声が出た。
唇が離れる時、エースは舌で俺の上顎をなぞり、それが気持ち良くて痺れてしまう。
こんなに気持ちのいいキスは初めてだった、思考がそこで停止する。もっと欲しくなり、それが恐い。
「……キスしないと、呪文掛けてくれないんだろ」
だから慣れようと思って、エースとキスをした。予想以上に俺はエースのことを許せるのを確認し、このままだと流されるように性交してしまうんじゃないかと、それが恐いほどだった。
俺を目の前に見下ろし、彼はきょとんとした表情をしていた。
「いや、そんなことはないよ」
「どうして?だって、キスで呪文を掛けるって言った」
「仲良くなれたらそうするよ。でも、仲良くなれていない時とか、二人の間に問題がある時はキスはしない。オレだって空気読むよ」
「え……そう?」
「今日はキスしてくれて嬉しい」
「少し試したくて」
「どうだった?」
「わかんない?」
「教えて」
「よかった」
キスの経験は何度もある。あんなに感じたのは初めてだったから、正直に言った。エースは嬉しそうな表情を見せ、けれどその先を誘おうとはしない。
俺から誘うまで待っているつもりなのか?わからない。俺が獣種のハーフブラッドで彼のつがいであることに心底驚いていたから、それが落ち着くまで待っているのか。
俺は背の高い大きな騎士が少し苦手だったけれど、その態度を続けてくれるのが有難かった。
エースがじっとしているので、俺から少し彼の胸に触れてみる。胸板は、思っていたよりも弾力がある感触だった。
胸に触れる手を、エースは手の甲から掴んで、そのまま心臓の上に持ってきた。
「フィッツさんの使うトラバサミ、この辺りは熊でも出るの?」
「出ないよ。そういう罠を使うのはフィッツさんしかいないし、だから山に入る時は大人が一緒じゃないとだめだって言われてる。怪我人が出た話は聞かないけど」
「じゃあ、あの罠は完全に趣味か」
「子供が見てる前でトラバサミに油を引くのが好きなんだ」
「それ、オレが見てる所でもやってたな……」
「フィッツさんって、そういう人なんだ」
「なるほどね。よく分かったよ」
エースが俺の肩に手を置いて、その感覚は普通の家族にするのと同じようなやり方だった。
「そろそろ寝よう」
「まだ早くない?」
「オレは寝る。早起きして、訓練の準備をしないと」
ともだちにシェアしよう!