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第9話
朝、エースはいつから起きてたのか、朝のお粥をおかわりして卵を二つも食べた。それから彼は出かけ、俺は居間でお茶を飲みながら新聞を読んでいた。まさか朝っぱらからパブに行きはしない。行くなら、昼を食べた午後の仕事が終わってからだから、午後三時半から五時の間にしようか。
新聞を読んでから、散歩に行ってぐるりと村を回る。フィッツさんの家の前も通ったけれど彼はいつも山の方で過ごしているから多分家にはいなかった。
幼い頃からの顔見知りの人と二、三の言葉を交わす挨拶をして、教会前にきた。特に用事はなかったから通り過ぎる時、教会に勉強に来ていたらしい子供たちを連れたミルバンク先生とばったり会った。
「おや!レイドじゃないか?」
「そうです。お久しぶりです、ミルバンク先生」
「その分だとどうやら学園を卒業したようだね。家に誰かいるって聞いたよ」
「ああ、ちょっと離れていた兄と交流してる所です」
「なるほど、お兄さんの事はローラシウスさんから聞いているよ。どんな人?」
「見た感じがチャラいと思ったけど、なんか違って……わからない」
「ああ、そういう人はいる。書店のウィンスローさんなんかも、おしゃれが好きなのと本人の態度で軽薄そうに見えるんだけど、ごく真面目で信仰心もあるんだ。人は見かけによらない」
「教室で先生がいつも話してましたけど、本当にそうだとはあまり思っていなくて」
「村にいると分からないかも知れないね」
「はい」
「そうだ。ソロウの話を知ってる?」
「ソロウ?誰ですか、それ」
俺が驚いていると、ミルバンク先生は何度か頷いた。
「ああ、そうか。そうだな、まだ言ってなかったね。君のクラスメイトだったトーシマのことだよ。トーシマを覚えてる?」
「ああ、トーシマなら分かります。彼が?」
「トーシマ・G・ソロウ。彼は三年前に宝くじが当たってね、その金で村の農園を買ってうまくやっているんだ」
「それは知りませんでした。トーシマが……いや、ソロウか」
「農園でブーリー・ヘザーが働いているよ。と言っても彼は元々その農園で働いていて、雇い主が替わったわけだけど」
「知りませんでした。義父はメドウスリーの話をあまりしないから」
「そうだろうね。ローラシウスさんから君のことを色々と聞いているよ。とにかく卒業できたことを祝おう。それで、これからは何を?」
「獣種三級顧問官として父の事務所で働くことになっています」
そこまで話した時、子供たちが暇そうな声を上げてミルバンク先生を呼び、彼は笑顔で俺に手を振った。これから教室に戻り昼食前の講義がある。子供たちはお昼前でお腹が空いていて集中力が最低だろう、教師をするのも大変だ。
トーシマが獣種だったのは知らなかった。多分ミルバンク先生はわざと苗字を俺達に教えなかった。教室に通う間くらいは種族間の問題を考えずに済むようにしたかったんだろうか?
俺は獣種と人種の間にはいろいろな問題があるのを学園の授業で習ったり、あとクラスでの揉め事などからも知っているし、レポートでも割と点数を取れた。けれどそれだけだ。実際にトーシマと会った時に何て言えばいいか考え、ただ懐かしい思いがする。
家に一度戻ってお昼を食べるとき、ハーモンドさんが言った。
「今日はチーズ入りのマフィンを焼いたんです。飲む前に食べてから行くといいですよ」
「うん、ありがとう。そうする」
昼食後、俺はラジオを聞きながら何となく本を読み、気が付いたらもう三時半を過ぎていた。そろそろパブに行ってみようと、マフィンを半分ほど食べてから家を出た。
今日は薄曇りで涼しい一日だった。エースは村の獣種の何を気にしているんだろう。フィッツさんのこと?でも彼は自分から山の中に入っているのに。
村の目抜き通りにあるパブに向かった。中に入ると、もう既に人がいて思い思いにビールを飲んでいた。
カウンターで、銅貨十五枚でビール一杯になる。俺は十五枚を出すと、すぐ注がれた。
「やあ。初顔だね」
「ここのローラシウスの息子です」
「ああ、君がレイドか。話は聞いてるよ、学園を出たの?」
「そうです」
「イブリンに行ってたなら初めてのビールって訳じゃないだろう?」
「いえ、初めてのビールですよ。寮は厳しいので」
「へえ。連れがいなくて平気?」
「ちょっと飲んだら帰ります。大丈夫」
「楽しんで行って」
ビールを受け取って、適当な席に着く。ためしにビールを口に運んでみる、さわやかな苦みと気泡の感触に少し驚いて、ソーダみたいに甘くはない。
人の話し声があちこちから聞こえてくる。ここで大人がくつろいでいるのを初めて見る。義父もたまにパブを利用して地元の友人たちと飲んだのだと話していた。
だけど、今日は来るだろうか、トーシマ・G・ソロウか、ブーリー・ヘザーが。
五年ぶりで周りは大人だらけ、顔見知りは一人もいない。だけど、メドウスリーに久しぶりに戻って来て、しかも大人になって初めてのビールを飲んでいるのが楽しかった。
また客が入って来た。
「あれっ、レイド?」
声を掛けられて、その人の顔を見る。彼女はどこか幼馴染に似た面影がある。
「イシカじゃないか」
「そうだよ。レイド、変わってない!」
イシカは笑顔だった。連れの二人とちょっと挨拶をして、ビールを持って俺の方に来た。
「久しぶり。学園は?」
「卒業した。イシカはずっと牧場?」
「うん、もう慣れた。寝る前に一杯飲みに来たんだ」
「そうか」
「いい人はできた?」
「……うん、それっぽい人はいる」
「そう。私は子供を産んだよ、一人。また一人欲しいって」
「へえ、名前は?」
「トーカ」
「いい名前だね。誰がつけたの?」
「夫が。いい羊種の娘になるようにって」
「へえ」
イシカは羊種だったのか。そんな風に少しも思わなかったけれど。
聞きにくいな、でも聞いておいた方がいいだろう。
「あのさ、メドウスリーの獣種で何か事件とかあった?」
「そういう話は聞かないけど」
「そうか、ないのか」
俺がほっとして微笑むと、イシカは妙な顔をした。
義父の息子だから獣種について首を突っ込んでくると思ったのか。獣種は彼らの間で話の片をつけられるならその方がいい。でも国が関わるとそうは言っていられずに、義父の職業があるわけで。
満足して慣れないビールを飲んでいると、イシカが呟くように言った。
「……ああそうだ、でも、この話は知ってる?」
「どんなこと?」
「獣種の子供を集めてるって」
「人種の子は?」
「ううん、獣種の子……強くて生命力がしぶといから」
「どういうこと?」
「あのね、周りの農場で働いている仲間から聞いたんだけど……」
イシカは恐ろしいことを話すように声を低めた。
「国の福祉課のふりをした奴らが来て、銀貨三十枚と引き換えに子供を集めてるって噂」
「子供を集める?獣種の子を?」
「そう。で、フリオト大陸に連れて行って働かせるんだって」
「そんな話が?初めて聞いたよ」
「学園ってイブリンにあるでしょ?そういう都会じゃなくて、メドウスリーみたいな田舎で出回ってる噂らしいよ。私は隣村のピーソンから聞いたし、他の皆も噂している」
「へえ……でも、一体いつから」
「聞いたのはここ二、三年の話しかな。ほら、五年前に国がフリオト大陸のガリアナ王国に勝ったじゃない、あのパレードが終わって一年くらいしてから、何となく聞いてる」
「つまり子供たちはガリアナ王国に連れて行かれるってこと?」
「そうみたい。レイドはお義父さんから何か聞いていないの」
「義父さんは何も。俺もまだ学生だったし、獣種顧問官の試験は受かったけれど、まだ働いていないから……」
「そうなんだ。そうだ、知ってる?ソロウのこと」
「ああ、昼にミルバンク先生から聞いたよ。すごいよね」
「やだ、あの先生何も知らないよ?ソロウは宝くじのお金を使い込んじゃって今年の経営がもう危ないって、あそこで働いているヘザーから聞いてる」
「危ないって、どういうこと。借りこみでもしてるとか?」
「さあね、でもそうらしいって話をヘザーがしてて。あいつあと三十分くらいしたらここに来るんじゃないかな。残業がきついって」
「大変そうだ」
「そうだね。土地は古いけど農園主としては新興だから、何かと大変なんでしょ。それで、いつまでメドウスリーに?」
「今月中はいるよ」
「そう。じゃあ、あいつらに声掛けておくね」
イシカは元気にそう言って、ビールのグラスを持って元の連れの方に戻った。幼馴染の人生が急上昇して急降下するという話を聞いて、俺達はまだ十八歳なのにイシカはもう子供がいて、ソロウは農園を失敗し、もしかするとヘザーは失業する。
俺は半分は残っているビールのグラスをカウンターに置いて、パブを出た。夕飯を食べに帰る頃合いだった。
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