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第11話
フィッツさんの家で見つかった子犬は、ローラシウス家で引き取ることになった。子犬がフィッツさんを恐れてエースに懐いたのが全てだろう。俺が家に子犬が来てもいいと思ったのは、エースと二人きりだと間がもたないと気にしてしまうからだった。
でも、俺は子犬に何が必要なのか何一つ分かっていなかった。
子犬はオレとエースの後を警戒しながらついて来て、家の中に招き入れるのに十分くらい必要だった。でもそれからは、エースの入って行った客間にすんなりと入って行き、俺が物置から出した古いクッションを敷き詰めた寝床に子犬は納得して横たわり、すぐ安らかな寝息をたてはじめた。
俺は一部始終を見て、ほっと溜息をついた。
「エースが気にしていたのはあの子のことだったのか」
「ああ、五分五分の賭けだった」
「賭けって、どういうこと?」
「子犬と接触するのはフィッツさんだったから、彼の話を聞いて想像するしかなかったんだ」
「そう。でもよく分かったね」
「それはまあ、様子がおかしかったから。今夜のこともそうだ、本当にキツネや野犬ならテラスに置いてある食事を一晩のうちに食べはしない。朝になって捨てられるのを待つ。子供が空腹に我慢できなくなって、危険を冒してテラスまで来た。それで分かった」
「どうやって見分けるの?」
「耳と尻尾で」
「俺はわかんないや……」
「今は無理でも、そのうち分かるようになる」
エースに肘の辺りを掴まれて、抱き寄せられる。キスがしたいのだと分かっていた。求める表情をして、じっと見つめてくる視線をどうにか見返す。俺の中にキスで火を灯す気でいた。
「子供がいる」
「だから?子供の前でキスもできない?」
「そうじゃないけど」
「恐い?」
「ばかにするなよ」
それでキスが下りてくるのをまんまと許したことにオレは、エースの嬉しそうな目元を見てやっと嵌められたと気付いた。
目を閉じた。唇に舌の感触を覚えて口の中をしっかりと味わい、離れていく。じんわりと痺れるような快感が口の中に残るキスだった。
「おやすみ、レイド」
抱きしめて耳元に囁き、すぐ離れる。このくらいなら俺も平気だ。
「ああ、おやすみ、エース」
妙なことを仕掛けてこない、ふつうの恋人同士のキスだと感じた。
恋人同士なのか、俺たちは?分からない。
番ではない方がいいと思っていたけれど、エースに拒絶感がないのは確かで、俺は流されてないか胸の中で確認するうちに、すっかり寝入ってしまっていた。
翌朝ハーモンドさんが出勤してきた時に子犬に気付いて、ちょっと大袈裟なくらい騒ぎになったので俺も目が覚めた。
「おはよう、ハーモンドさん」
「おはようレイド、この子の分の朝ごはんも作らないと……」
「ああ、嫌いなものがないといいけど」
ハーモンドさんの登場に子犬はおっかなびっくりで、だけど食事時になるとすぐに懐いた。ハーモンドさんもこの子のことが気に入ったようで、ありがたい。
俺はエースと牧場に、いらない木箱と寝藁を貰いに行った。
「藁って幾らするんだろう」
「一塊の相場は銅貨二枚だったな」
「知ってるんだ」
「軍では飼い葉に使うから」
「エースって馬に乗れるの?」
「もちろん。レイドを乗せて走れるよ」
「はは、楽しそう」
「今度牧場で乗せて貰うか。その前に子犬の寝床だな……」
歩いて一時間半ほどすると、一番近い牧場に着く。そこでイシカが働いている。牧場主はメドウスリーの他の村にも土地を持ち、様々に経営している貴族だ。名前は何と言ったか、義父さんなら覚えているだろう。
牧場の朝は早いから、今頃は休憩時間じゃないだろうかと思って行った。牧場の草地には牛がいて、俺はイシカの姿を探して牛舎に向かった。
「イシカー?」
「レイド?」
「やあイシカ」
「どうしたの?こんな所まで……」
イシカは作業着で、長い髪も適当に後ろに括っていた。視線がエースに行くのは分かる、背が高いしいい男だからだ。
エースはすぐにそうと悟り、俺の肩を抱き寄せた。何?
「オレはレイドのつがいのエースです」
「え!」
イシカが目を丸くして俺とエースを見た。
ああ、言っちゃった……兄だと説明しようと思っていたのを見抜いたかのように、エースはにこやかにイシカと話している。
メドウスリーでの俺ってこれからどうなっていくんだろう。
「昨日、フィッツさんの所で獣化した子供を拾って。寝床にするのにいい箱と敷き藁が欲しいんだ」
「ああ、まあ、そうなの。へえレイドがね……つがいの誓いの時に何て言ったの?」
「生涯を尽くしますって」
「素敵ね、私もそうしたの思い出すなぁ。箱と敷き藁ね、藁は三銅貨掛かるけど」
「いいよ」
「箱はこっち。サイズがなかったら木枠をばらして、自分で作って」
「ああ」
「子供が獣化したって、どうして?」
「わからない。オレはただ見つけただけで、怯えてた」
「フィッツさんだからなぁ。ねぇレイド、その子何種?」
「犬だよね?」
「うん、犬だ。或いは狼種とのハーフか」
イシカはどこか不愉快そうに眉を寄せた。
「噂のあれかな。獣種の子供を集めてフリオト大陸に送るっていう」
「さあ、どうだろう。話を聞かないと分からないし、長い間怯えて過ごしていたようだから」
「どこの子だろう?」
「分からない」
「そうだ、私メドウスリーの犬種や狼種の人に、子供がいなくなっていないか聞きまわってみるね」
「頼むよ。俺はシリウス教会に行ってみようと思っている」
「ローカス神父?どうだろう。シリウス教はあまり獣種を分かってるわけじゃないし」
「でも子供のことだから、行方不明だったら知りたい人は来るだろう?騎士団の屯所がある村ばかりじゃないんだし……」
「そうだね、一番近い神獣教会でもここから十キロも離れてる。二人はどこの教会で誓ったの?」
「フェルフィールドの」
「ずいぶん南」
「温かくていい所だった」
「こっちは雪が降るし、南の方が暖かくてよくない?」
「四季がある方が好きだよ。寒い日より暑い日のビールがおいしいのは否定できないけれど」
「あはっ、そうだよね~!」
イシカは俺たちを倉庫に案内してくれて、そこで二人で適した木箱を見つけ出した。あとは三銅貨を出して藁の塊を二つ抱えた。
「もう一つ荷物があるよ」
「荷物?」
「この牧場で作ってるチーズ、二人のお祝いに」
「ありがとう!」
「ちょっとエース……ほんとに、ありがとうイシカ」
「いーのよ!でも水臭いなぁレイドも、獣種ならそう言ってくれても良かったのに」
「うん。ごめん、黙ってて」
「いいよ。ローラシウスさんにも事情があったんだろうしね」
イシカを先頭にして歩きながら、エースが尋ねた。
「もしかして、赤ちゃんができた?」
「あ、わかる?」
「少しなら」
「鼻が鋭い。二ヶ月なのが分かった所だよ」
「休まないの?」
「動いていた方が調子がいいから、まだ半年くらいは働くよ」
施設の中に入って行き、そこはチーズの工房のようだ。整頓されて片付けられている厨房ではなく、倉庫の方に入って行く。そこの棚に製品化されている紙包みを俺とエースに一個ずつくれた。
「ハードチーズだけど、何にでも合うよ。使い方は発想次第」
「ありがとうイシカ、大事に食べるよ」
「食品棚のねずみ避けの呪文を忘れずにね」
「ああ」
牧場を出る所までイシカは見送りに来てくれて、気持ちいいお母さんになりそうだ。藁束と木箱を持って、俺たちはまた小一時間も帰り道を歩いた。
「これ、ちょっとガタガタするな。大工道具はある?」
「ハーモンドさんに聞けばわかるよ。俺は金槌も持たせて貰えなかった」
「大切にされて来たんだな。でも、ちょっとやり過ぎだ」
「だよな」
「使うのは鉋になりそうだ。手伝ってくれるよな?」
「もちろん、やるよ」
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