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第12話

 家に帰って昼食を取り、それから子犬の寝床になる箱ベッドに手を入れた。鉋で底を削って平らにしている間、子犬は傍に来てじっとその様子を見ていた。俺とエースは交互に底に鉋をかけて、箱が床の上で滑るのを確認した。それから中に敷き藁を詰め、古いけれど清潔なシーツを敷く。最後にお気に入りのクッションが入ったのを見て、子犬は行儀よく小さく鳴いた。 「昼寝の時はベッドに入れよ?」  エースが子犬に言い聞かせているのを背中に聞きながら、俺は家を出る準備をした。上着を着たところでハーモンドさんに声を掛けられた。 「おやレイド、どこに行くんです?」 「騎士団に」 「ああ、届け出ですか」 「うん、ついでに教会にも行ってくる」  家を出て道の通りをぐるりと回り、まずは騎士団に向かった。  この村に騎士団がある理由は、鉄道駅があるからだ。数十年前に鉄道を通す時に地域で会議が開かれて、駅を受け入れることに決めた。駅ができたことでメドウスリーは大きくなったのだと義父は話していた。  元の村の境界線はウス通りを巡れば分かる通り、今より二回り以上小さな村だった。村はかなり広くなっていて人口は倍以上に増加し、開墾の為に村はずれに住む人も少なくない。 そういう人たちもまとめて対応するのがメドウスリー騎士団十四分署で、総勢で二十人くらいの人が周辺の村も含めて担当している。  分署に着いて、窓口の事務員に声を掛けた。 「こんにちは」 「こんにちは。何の御用です?」 「迷子を拾いました」 「迷子ですか?名前は何て?」 「それが獣化していて口が利けないんです」 「へえ……それはまあ」 「とりあえず届け出だけでもと思って。近くで子供の行方不明とか起きてませんか?」 「さあ、そういう話は聞いていませんけれど……あなたの名前をこちらの名簿に書いて下さい」 「はい」  名簿に名前を書く。来た理由の所に、獣種の迷子と書き込んだ。帳簿を受付の人もじっと見ていた。  彼はサインのローラシウスという名前を見て義父を思い出したのかもしれない。申し訳なさそうに俺に弁解した。 「いや、ちょうど見回りで皆出払っているんです。メドウスリーも広くなりましたし、他の村まで出張の者もいますから。なので……」 「ああいえ、それは構いません、とりあえず受け付けて貰えたら。この後で教会にも行きますので」 「そうですか。はやく口が利けるようになるといいですね」 「ええ」  受付を済ませて、俺は騎士団を出た。  騎士団からシリウス教会に向かう。広場は遠くからも良く見えて、教室を終えた子供たちが遊具で遊んでいるのがわかった。  教会の中では聖歌隊が練習していて、ローカス神父は奥の自室の方にいるのかもしれない。そちらに向かうと、神父の身の回りのことをする町内会の誰かの奥さんらしい人がいた。 「こんにちは。あの、神父様は?」 「ああ、こんにちは。何の用です?」 「迷子の尋ね人がないか聞きに……」 「あら、迷子?」 「そうなんです」 「迷子は騎士団に行けばいいでしょう」 「騎士団も行きましたよ」 「なら、どうして教会に?」 「獣化しているんです」 「あら……」 「かわいそうに、怯えていて。まだ小さい子なんです」 「ああ、そうなの。迷子がねえ……神父様は奥の部屋にいるから」 「どうも」  教会の奥の部屋に向かうと、ローカス神父はなにか書き物をしていた。 「ローカス神父?」 「ああ?ちょっと待ってくれ、これを書き終わらせないと……」  何かを書きつけ、便箋に吸い取り紙を押し付けて、文面を見返して畳んでいる。なら、どこかへ送る手紙なのだろう。俺は大人しくドアの所で待っていた。 「さあ、いいよ。ローラシウス君、どうした?」 「ゆうべ迷子を見つけたんです。俺の兄のエースがフィッツさんの裏山の所で見つけて、家に連れて来ているんですけれど……」 「迷子?獣種?」 「そうです」 「メドウスリーではないな。聞いた事がないよ、何種?」 「犬か狼だと思います」 「子供を探している話もこの辺りじゃ聞かないけれど……体は大きい?」 「いえ、本当に小さな子犬ですよ」 「そうか。とりあえず聞きまわってみるけれど、イブリンのミドルリーフ教会で聞いた方が話が早いかも知れない。私がミドルリーフに行くのは四日後になるけれど」 「ああ、お願いします。すみません、ローカス神父」 「全ての迷えるものを救われるのが神だ。特に子供はね」 「心配です。最近、人攫いの噂も聞いたので」 「ああ、私も聞いている。だけど噂だろう?実際に獣種の人がシリウス教会に訴え来た例は聞かないよ」 「そうなんですか?」 「ああ。それにしても、迷子とはね。獣化だって?可愛そうに。お父さんには話したのかい?」 「いえ、義父にはこれからです」 「ローラシウスさんには独自の人脈があるだろう。彼の方で見つかるかも知れない」 「はい。ありがとうございます。神父さんはどうしてイブリンに?」 「シリウス教におけるフリオト大陸の扱いについて、会議に出るんだよ。派遣される神父は若すぎてもいけないとか、年寄りでもだめだとか、小うるさいのが多いんだ。気苦労の元だよ」 「大変そうですね」 「口のきけない子犬の犬種を拾う程じゃない。会議の後で聞いてみることになるから、忘れないように手帳にメモしておこう」 「ありがとうございます。よろしくお願いします」 「ああ、わかったよ」  ローカス神父と別れて家に帰る頃にはもう日は傾きかけていた。  子犬がどこの誰の子なのかは全くわからない。エースがよく構っているのは子供好きなんだろうか。  彼のことを意識したら身動きを取れなくなりそうで、どうしてそんな気持ちになるのか。エースの事はただの兄さんにしか思えないと言えば?でも、俺はエースが何者なのか分かっている。俺の喜びは、完全にエースを知っている。  まだそれを認めたくない。何もかも変わってしまいそうだ、今まで俺はエースを知らずにどうやって生きて来たのか分からなくなる。  俺はどうしてエースのことを忘れていたんだろうか?  家に帰って、居間に向かった。 「ただいま」 「お帰り、レイド」  知らない人の背中がある。制服は村の騎士団のものだった。  振り向いた彼は口髭を生やしていて、俺を見て会釈した。 「お邪魔しています」 「騎士団の方ですか?」 「そうです、見回りが早く済んだので。子犬くんは元気そうで、体調に問題はないようですね。一週間から十日ほどで元に戻れると思いますが……」 「そんなに早く?」 「そうですね、信頼できる人間関係の中にいられれば」  信頼と聞いて、エースが積極的に子犬に構っていた理由が分かった気がした。 「ああ、そうか。だから子犬と積極的に関係を作りに行く方がいいんですか?」 「一般的にはそうですね、深く傷ついた子は別ですが、お宅の子は軽いようですから。人に好奇心を抱いているし。外には?」 「まだです」 「子犬ならボール遊びをするといいですよ。できれば、頑丈なボールがいい」 「そうします」 「それでは、人化を思い出したらまた騎士団に、できれば来てください」 「わかりました。有難うございます」  騎士が帰って行ったのを見送ってからまた居間に戻った。  子犬が鳴いて、帰宅の挨拶をしてくれた。 「ただいま、エース。それと子犬君」 「おかえり」 「ローカス神父に頼んできたけれど、どうなるかは分からないよ。シリウス教会では、獣種の子供の行方不明事件なんて起きてないって」 「そうか……」  子犬と積極的に関わる。子犬に屈んで、そっと頭を撫でた。すると、頭を押し付けてくる。ちょっと可愛くなって、少し強めに頭を撫でた。 「晩ご飯、楽しみだな」  ハーモンドさんが作った夕食は質素だけど家庭風だ。この日は皆に特別にローストした鶏腿肉が当たった。ハーモンドさんが子犬の食べやすいように切り分けたものを、子犬は嬉しそうに人間用の皿でがっついていた。獣化したからといって犬のエサ入れで食べさせると良くない影響があるそうだ。それはそうだよな、中身は人なんだから。  皿を片付け、エースと食後のお茶を飲みながらラジオを聞き、子犬はエースの膝に戯れかかり、抱き上げられて膝の上に寄り掛かっていた。 「よく懐いたね」 「ああ。軍では作戦行動の時に獣化してしまう者が一年に一人は出るから、オレも扱いは慣れてるんだよ」 「そんなにいるんだ?」 「仲間だと分かっているから、手からエサを食べさせたり、水を飲ませたり。後方に送った後で元に戻ったやつがオレの対応を褒めたりで、獣化した仲間の面倒を見てるよ」 「そうなんだ?」 「ああ。お前も子犬君と仲良くしろよ」 「そうするよ、子犬君さえよければ」  俺たちの会話を聞いていた子犬が尻尾を振っている。オレにも脈があるようだけど、今はエースの傍が落ち着くんだろう。エースも特に構わずに、今日の新聞を読み返して時間を過ごしていた。 「この辺りで青年団のするスポーツ大会とかはないのか?」 「秋にサッカーがある。でもその頃には俺はイブリンに戻ってるよ」 「なんだ、そうか」 「昔は少年部のに出てた。ボールを追いかけるのが好きだったな」 「ジョギングしたら?健康にいい」 「気が向いたらやってみる」 「オレもそろそろ走らないとなぁ。一緒に行くか?」  子犬の背中を手のひらでぽんと叩く。それが嬉しそうだ。  こうして見ていると普通の犬にしか見えない。尻尾の太い所は冬場のキツネに少し似ている。あとは耳の大きめなのが子犬の可愛さだった。  寝る時間が来て、俺は寝間着に着替えに自分の部屋に行った。着替えて、あとは寝るだけだ。  なのに俺の足は階下の客間にいるエースの元に向かっていた。エースの所に行って何がしたいかは分かっているけれど、そんなの恥ずかしい。  背の高い騎士。釣り眉垂れ目で、軽薄な笑顔を見せる。  彼のキスが欲しい。 「エース……」  ドアの戸口で彼を呼ぶと、着替えている途中だったのかはだけたシャツで現れ、なんでもない男の裸なのに胸が急に脈打ってくる。 「お休みのキスか?」 「だめ?」 「どうして」  肘の辺りを掴んで抱き寄せられ、ハグをされてすごく優しい。  エースの匂いがする。 「レイド。オレを少しでも好きになってくれた?」  耳元で囁かれ、エースの声の低さとまろやかさに背筋がぞくぞくする。それを誤魔化すために、軽く抱きついた。くく、と鳴くような笑い方をしながら抱き返された。 「今日はハグだけ?」 「キスも」 「いいよ。キスしようか」  言葉足らずの俺の気持ちを汲み、エースは俺の肩を抱いて少し離し、キスの為に顔を覗き込んできた。じっと見られるといたたまれなくなり、どこに逃げようもなく追い詰められているような気持ちになるから、俺はさっさと目を閉じた。

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