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第13話
「いくらですか?」
「半銀貨になります」
言われた通りに魔報の料金を支払う。「獣化シタ犬種ノ子犬ヲ拾ウ」とだけ書いたのに、随分な料金を取られる。イブリンまでの距離があるから手数料が高い。これで義父に状況が伝わるはずだ。
郵便局で魔報を頼んだ帰り道に雑貨屋に寄って万年筆のインクを買い、朝の散歩ついでに教会前の広場を回って家まで戻る。
子犬はずっと家の中にいて、俺の家の外に出ようとしていないのが気になっていた。俺の家という落ち着く場所でゆっくりしていたいのだろう。散歩くらい出歩いてもいいのに、ずっと家の中をハーモンドさんの後について回ったり、エースに飛びつきに行ったりで過ごしている。多分まだ幼い?子犬の姿だと年齢は分からない。
エースは子犬に構うのに一生懸命で、出がけに子犬を色んな名前で呼んでいたけれど、あれは何だったんだろう。
家に戻ると、居間の方でまだやっていた。
「ただいま」
「お前の名前は、うーん……ショーター?」
子犬は返事をせず、座ったまま尻尾を振っている。
「まだやってるんだ」
「そうだよ、大事なことだからな。とりあえず、ショーターは違うと」
エースの持っている紙の名前候補に横線が引かれた。子犬と向き合って床に座りこみ、エースの態度は明るく軽いけれど、獣化した時にこうまで向き合ってくれるのは子犬も嬉しいだろう。
「じゃあ次の名前候補にいくぞ。ヒーロ?」
その名前を読んだ時、子犬は吠えて飛び跳ねた。
「ヒーロ?」
わんわん、と吠えてエースに飛びついた。エースも子犬を抱きしめようとして、よく跳ねるからうまくいかない。
「ははは、そうか。お前はヒーロか。ヒーロ、ヒーロ!」
「へえ!ヒーロ君っていうのか」
嬉し気に吠えまくっている。そうか、名前当ては意味があると俺も分かった。名前も呼ばれない子犬の身には、エースの態度がどれだけ嬉しいか。全身で喜びを表現していて、やっぱりかわいい。
「よかったなヒーロ、家にエースがいて。俺だけだったらこんなこと思いつかなかったよ」
吠えて跳ねて喜びを表現しているヒーロを眺め、エースは床から立ち上がり、俺を見てにっと笑った。
「レイド、子犬の名前呼んでやれよ。なんでもいいから」
「え、うん。そうする」
「ヒーロ。ヒーロか、いい名前だと思わないか?」
「思う。覚えやすくて好きだな、俺は」
わん!とヒーロが同意するように吠えたてた。まだ俺達のまわりを忙しそうにぐるぐる回って、名前を呼ばれると跳ねた。
「子犬はどうです?」
どこかに出かけていたハーモンドさんが家に戻って来た。帽子を脱いで、俺たちを見る目が笑んでいる。何かいいことがあったようだ。
「ハーモンドさん。子犬の名前が分かった所です」
「おお!なんていう子なんだ?」
「ヒーロと言います。な、ヒーロ」
わん、と犬が嬉し気に吠える。
「そうか、ヒーロというのか、君は。実はヒーロにプレゼントがあるんだよ……気に入って貰えたらいいけれど」
ハーモンドさんがポケットから何かを取り出した。それは、布の端切れを縫い合わせて作った、丸いボールだった。わん、とヒーロが吠えて尻尾を振る。
「ヒーロ、ボールだ。よかったな、いくぞ」
ハーモンドさんがぽんとボールを投げると、ヒーロは空中でばくっと咥えた。
元気のいい子犬の仕草に俺たちは盛り上がった。
「いいなヒーロ、持って来い。もう一回やろう」
ハーモンドさんが投げたボールを咥えたヒーロをエースが呼んで、エースの元にボールを運ぶ。今度はエースがボールを投げて、またも空中で咥えてエースを喜ばせた。
「すごく喜んでるね」
「家内の実家で一度、獣化が出たらしくて対応は知ってるようで、話したら作ってくれたんですよ」
「そうなんですか。ありがとう、ハーモンドさん」
「レイドもやろう」
エースが俺にボールを渡した。ヒーロが俺に期待を向けていて、エースが笑っていたし、ハーモンドさんもにこやかだ。
「いくぞ、ヒーロ。それっ」
わん、とヒーロが吠えて、俺が投げたボールを咥えた。
元気よく持ってくる。それを受け取って、二度、三度と同じことをする。ボールを貰ってヒーロは本当に嬉しそうで、もう疲れてしまうとボールを咥えてソファーの上に飛び乗り、前足の間に抱いて嬉しそうにしていた。
その隣にエースが座り、ヒーロの体をぽんぽんと叩いて構ってやると嬉しそうに笑っていた。
俺は部屋のラジオを入れてみると、最近イブリンで流行しているらしい音楽が入っていた。
「ジョニー・ボーカーだ」
「何、それ?」
「今掛かっている曲の名前だよ。好きな子がいた」
「恋人?」
「そこまでじゃないけど。つがいがいるって知ってる癖に強引な人種の子だったな。ホールでダンスはしたけれど……そこまでだよ」
「キスした?」
「さあ、どうだったかな?」
ちら、とエースを見る。余裕の笑みを浮かべて子犬を撫でている。
口先で遊ばれているのが分かっているのに誰かとしたのかキスが気になる。エースの笑みが軽薄で、こういう時はからかわれているのが分かった。
キスした?なんてどうして聞いたんだろう、俺は。
「気になる?」
「……俺がキスしたことないと思ってる?」
「おっと。これは、レイド……」
「俺はお前とつがいだったと覚えてなかったから数のうちに入らない。だろ?」
「参ったな。本当に?」
「そういうことだってあるかもよ」
「参ったな」
エースは思い知っただろうか。キス一つでこんなに心乱れることを。
でも、どうして俺はエース相手にこんなに気持ちが焦げ付くような思いをするんだ?番契約のせいだろうか。
俺はエースを嫌いじゃない、好きだと思う。この気持ちも魔術契約からなのか、わからない。ほんの少しのからかいでこんな気持ちになっているのはエースのせいじゃない。
「なあ、誰とキスした?」
「秘密」
「オレの相手はクリスティーナっていう女の子だった。クリスって呼んでって言っていた。レイドは?」
「だから、秘密だって言ってるだろ」
「男だった?女だった?」
「言いたくない」
「教えろよ」
「……どっちだっていいだろ。エースのキスだ」
「いいや、レイドのキスの話だ」
エースは立ち上がり、つかつかとオレの座るソファーの前に来て、前のめりにソファーの背もたれに両手をついた。その腕の間に俺はいた。
「誰と?」
「誰だっていいだろ、そんなの。もう終わったことだ」
「終わっていない。聞いたばかりだ、レイドは誰とキスしたんだ?」
「エースこそ。その子と、その。したの?」
「したって、何をだ?」
「せ、セックス……」
エースの真面目な顔がキスする距離で間近にあり、言い合いをしていたのに急に意識してしまい、彼の目を見ていられずに横を向いた。
「……どうしてオレがお前以外の、それも女とできると思う?」
「そんなのわかるかよ。つがい契約したって、義父さんもお前に遠慮するし。そんなにすごいことなのか?」
「わかってないな、レイド……」
エースがより俺を間近に見つめて、吐息を首筋に吹きかけてくるのはわざとだ。じろっと睨むと目が笑っている。俺はエースを拒絶しようと思っているのに、キスの距離にいられるとキスをしたくなる。でも言い出せなかった。
「は、早く、するならしろよ」
「誰とキスしたのか言わないとできないな」
「そんなこと、言えるわけないだろ」
「言えよ」
強引に迫られて、恐る恐るエースの顔を見返す。相変わらず、軽薄そうな笑みを浮かべている。他の子とキスしたのを許してくれるんだろうか?
エースの吐息が間近で、胸の拍動が高まっている。エースとキスしたい。あの気持ち良さをもう一度味わいたい。
「……したのは、女子と」
「女子?」
「シェリーとサナ。遊びだったよ」
「ふぅん。じゃあオレとのキスも、レイドは遊び?」
「わからない。男とキスするの初めてだし、……」
それに、すごく気持ちいい。俺はエースとのキスの気持ち良さに負けて、キスした子の話をしてしまっていた。
「もういいだろ。キスしろよ」
ふっと吐息でエースが笑った。
「キスして欲しいんだ?」
「しないのか?」
意地悪な笑みを浮かべたエースが俺に覆い被さり、やっと唇が触れ俺の胸の拍動は高まった。ぞくりと首筋がそそけ立つ。エースの舌が俺の口内を舐め回すだけで、ぞくぞくと感じてしまう。手が俺の頭を撫でているのが気持ちいい。頭の中が全部エースとのキスで占められて、ただ気持ち良さのなかに陶酔してしまう。
男相手にこんな気持ちになることがおかしい。なのに俺は、エースを突き放す事なんてできなかった。
子犬がそこにいるのも忘れ、俺はキスに溺れ切っていた。
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