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第14話

 その話をするのに、俺はけっこうな勇気が必要だった。 「ねえハーモンドさん」 「何です」 「しっぽの穴って必要かな」  これだけのことを聞くのに、一体何日必要だっただろう。俺の質問を聞いたハーモンドさんは、おおげさな仕草で頷いた。 「もちろん!しっぽの穴は大切なものですよ」 「そう?」 「そうですよ、レイドもそろそろしっぽを出してくつろぐことを覚える方がいい」 「そうかな」 「そうですとも」 「服は仕立て屋に持って行けばいいのかな」 「仕立て屋は一着二十銅貨で高値ですよ。よければ家内に十銅貨で頼んでみますが。一着にほんの十分も掛かりません」 「そう?頼んでいい?」 「いいですよ。どの服にします?下着も新しいのを持って行きますか」  勇気を出してハーモンドさんに話しかけたら、とんとん拍子に尻尾を出すことが決まった。これで良かったのか少し不安になり居間にいるエースを見たが、彼は脇に子犬を座らせてのんびり何かの本を読んでいた。  俺の胸の内はざわついていた。尻尾のことがあるから、これからエースに話をしなくては。 「エース」 「ん?」 「今の話し聞いてた?」 「ああ、聞いてた」 「どうかな」 「いいんじゃないか?」 「そう?」  エースは本を閉じて脇に置き、俺を見直した。 「耳としっぽのことで気になるの?」 「気になる」 「どこが?」 「どこもかしこも」 「でも、ふつうの耳としっぽだったじゃないか」 「エースはそうかも知れないけれど、俺、今までしっぽのことなんか少しも気にしたことなかったから。変な気がするんだよ」 「出してたら気にならなくなる」 「そう?おしりを丸出しにしてるような感じがする」  俺の言葉を聞いて、エースは笑いだした。 「笑い事じゃないよ、俺は本気で……」 「ああいや、悪い。でも、そんなに気にしてるんだ?」 「気になるよ……ハーモンドさんが準備が良かったのも気になる。どうしてだろう」 「ハーモンドさんはレイドの健康を気にしてるんだよ。レイドが獣種だって子供の頃から分かってたのに、彼はじっと黙ってたんだろ?」 「うん、多分」 「ローラシウスさんに対して忠義があるんだな。でも、ハーモンドさんもずっとしっぽや耳を仕舞っているのは体に悪いと思ってるんだ。オレもそう思う」 「そうなの?」 「今まで自分が獣種だと知らなかったことが驚きだ。レイドの種の選択の権利を無視している。獣種のことを理解していないとしか思えない」 「そうかな。義父さんには何か考えがあってのことだと俺は思うよ」  多分義父は、俺がいたずらされた記憶が葬られるようにと俺を導いていたんじゃないだろうか。五歳以前のことは何もかも忘れているけれど、メドウスリーに来てからは鮮明だった。真っ赤な自転車や立派な鉄道模型に心が躍ったのを今も思い出せるし、一緒にいたのは教室の幼馴染たちだった。  五歳から以前のことを覚えていないのを気付かなかったのは、単に俺がまぬけだからなのだろうか。エースは何か言いたげな顔をしていた。 「ハーモンドさんが戻ってきたらしっぽを出してみたい」 「のびのびするってことの意味がわかるよ」 「ほんと?」 「オレも本当は耳としっぽを出したいけれど、他人の家だから遠慮してるんだ」 「そうなの?」 「レイドが出すなら、オレも出していい?」 「いいよ」  俺はその日、昼までずっとそわそわして過ごしていた。エースはのんびりラジオをつけて、くだらないトークショーを聞きはじめた。俺の頭の中はずっと尻尾と耳のことばかり気になっていた。今まで耳や尻尾とは無縁の人種だと思い込んでいた俺が実は獣種だった、ということにまだ馴染めていない。  エースが俺にキスをする意味や理由もよくわからない。番だから交わりたいのかと思うけれど、いつも俺が気持ち良くなると手を離し、いつも笑っていて、何を考えているのかちっともわからない。  放っておいても大丈夫だと分かっているのに、俺はエースのことが気にかかった。  番だから?わからない。 「ただいま。お待たせ、レイド」 「おかえりなさい」 「できましたよ、ズボンと下着。慣れてるからか、手早いもんですね。あっという間でしたよ」 「ありがとう。奥さんには銀貨で支払いたいぐらいだよ」 「とんでもない。その気になって、全部のズボンに穴をあけてしまいますよ!」  さっそく、エースと顔を見合わせた。 「先に尻尾を出しておいた方が着替えやすい」 「そうなんだ」 「だから一緒に部屋に行きたいんだけど、いい?」 「いいよ」  ハーモンドさんから袋に入った衣類を受け取り、俺とエースは二階の部屋に入った。ドアは気にしなかったけれど、俺が服を脱いで裸になると、エースは眩しいものを見る目でどこか嬉しそうに俺に屈んでキスをした。 「もういいよ」 「もう?」  頭の上に手をやると、耳が出ているのが分かった。  一応、お尻に触ってみると尻尾がふさふさしているのが分かる。  本当にあるんだ。  俺は下着を手に取って、お尻に穴が開いているのを見て確かめてから穿いてみた。尻尾をお尻の穴に通す。それからトラウザーズを同じように穿いて、元のように靴を履いた。 「どう?」 「よくわからない。なんだか変な感じ」 「ああ、そう言う感じだよ」 エースがにこやかに俺を見ている。俺はどうも気になって、耳がぴくぴくするのが分かった。 「大丈夫。ここが狼種の家だってヒーロに教えよう。どういうことか、あいつもよく分かっていないみたいだし……」 「いいのかな。ここは義父さんの家なのに」 「お前の家でもあるだろう?遠慮しなくていい筈だ。オレもこれからしっぽを出すし」 「エースのしっぽ……」 「お前が大好きだったしっぽ、あの頃はちょっと禿げてたんだよ。あんまり弄られるから」 「そんなことしてたの?俺」 「してたよ」 「なんか、ごめんなさい」 「謝るなよ。しっぽはちゃんと回復したし、何があろうがお前はオレのしっぽさえあれば泣き止んでいた。今はどうかな」 「わからない。ごめんだけど、覚えてないし……」 「楽しみだ」  そう言ってエースは俺の部屋を出て行った。  居間に戻ると、子犬が俺をじっと見ていた。 「ヒーロ。お前、散歩とか行かなくていいのか?」  特に返事はなかったけれど、俺は何となくそのまま話した。 「知ってた?この村はメドウスリーって言って、何の変哲もない田舎の村だって。ちょっと歩くと牧場や農園があって、のどかだ。元は小さな村だったけど、鉄道駅ができて村は広くなった。当時の村長さんの判断は正しかったって義父さんはよく言っていた。この家は丁度その昔の村の境界線の所に建っているんだよ」  わん、と控えめにヒーロが吠えた。俺の話に同意するようで、何となく俺はおやつ入れのバスケットからクッキーを取り出してヒーロに一枚分けてやった。  手の平からお菓子を食べる犬の舌がくすぐったい。 「フィッツさんの家のサンドイッチより、家のサンドイッチの方がおいしいだろ?」  ぺろぺろと手のひらを舐めて食べ終わって、ヒーロは満足げだった。俺も彼の隣に座り、エースがやって来るのを待っていたら、すぐにエースが来た。 「レイド」  俺の名を呼ぶ。狼色の耳が立っているから、普通にしている時よりも背が高く見える。そして、立派な尻尾があった。エースは俺の前にしっぽを揺らせて、誘うように笑った。 「なんだよ」 「前のレイドならこうやって誘うとすぐ掴みに来たんだけどな」 「そんなことしないって」 「本当に大人になったんだな」 「エースさんは俺をなんだと思ってるんだよ」 「触ってみる?オレもレイドの尻尾に触ってみたい」  誘われて、俺も尻尾を自分の横に振ってみる。  人種の姿の時は何とも思わないのに、狼種の姿になるとこういう時の感覚がすぐ分かるのが、やはり妙な気分だった。  尻尾に触れあう。ふさふさしていて、感触がとてもいい。エースの手が優しく尻尾を撫でているのが気持ち良くて、つい振りたくなった。 「そうそう。嬉しいと尻尾を振りたくなるだろ?気持ちを表すことに慣れるといい」 「気持ち?」 「ほら、今だってそうだ。オレに触られて嬉しいんだろ?」  それは、確かに嬉しいけれど。  兄弟だから?それとも番として?わからない。  俺はエースを見上げた、アイスブルーの目が楽しそうに俺を見下ろしている。そんなに俺が気に入っているのは、やっぱり番だからなんだろうか。  俺たちのやり取りをソファーの上のヒーロがじっと見ていた。

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