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第16話
どんな顔をしてエースと顔を合わせればいいかわからない。
昨日の午後からずっと俺はエースをまともに見られなかった。あんなことを居間のソファーでしたのを思い出すと、ヒーロが笑っている和気あいあいとした場所を汚したようで気が塞いだ。
昨日からずっとそんな気持ちで致し、昨夜はエースの部屋を訪ねてキスする事さえできなかった。本当はしたかったけれど、昼間あんなことをした後だと何が起きるか分からなかった。
男同士の番のこの先に何があるのか、俺は何も知らない。何も知らないのが恐かった。だから、もう少しエースを信じていいと思いたい。
食後のお茶を皆で飲みながら昨日の昼のエースとの事を思い出す。俺の中にはキスでついた火が埋もれたまま燃えているかのようだった。
そんな俺にエースは何でもない風に話を振った。
「それで、今日はどうする?」
「どうって」
「休暇の一日をどう過ごすかだ。シリウス教会にでも?」
「……どうだろう。俺はシリウス教にそれほど熱心だった訳じゃないし、ローカス神父だって顔見知りなだけだ」
「そうだな、じゃあヒーロの名前が分かったんだ。友達の所に教えなくても?」
「ああ、イシカ……イシカの苗字は何て言ったかな」
「S・シトリンですよ」
脇で紅茶を飲んでいたハーモンドさんが答えてくれた。
「へえそうか、彼女はSeepの?」
「そうです。メドウスリーには割と多いですね」
ハーモンドさんがヒーロに砕いたクッキーを一枚くれた。
「レイドは友達の苗字を知らないの」
「村の教室のミルバンク先生の方針で、名前呼びが普通だったから。俺はそのまま学園に入ったから、村の友達の苗字は知らないんだ」
「随分不自然なことをする先生だな」
「しょうがないよ。シリウス教に熱心な人種だから、種のことに触れるような複雑さは子供のうちは知らなくていいようにって方針なんだろ。知らないけれど……」
「呆れたな。俺は子供の頃から種については考えてきたけれど、レイドはまだまだこれからなのか。それは大変そうだな」
言外に、獣種だと分かったこと、隠されていた番のことについても指摘しているんだろう。学園を卒業してから秘密が明らかになり、俺だって色々と考えている。
何よりもまず俺が狼種であることと、エースが俺の狼耳や尻尾を隠してくれていることを考えずにはいられない。
「エースは人種の友達はいる?」
「ああ、普段は意識していないけれど何人かいる」
「獣種と人種って、仲が悪くなったりする?」
「そういうことはない。むしろ獣種の仲間同士で仲間割れする方が多い。利害関係が一致しているから、出し抜こうとするとどうしても仲間を裏切るから」
「ああ、そういう……」
「レイドは獣種顧問官としてどう思う?そういう仲間割れについては」
「平等に分け合うように指導するしかないよ。それが最も得をするやり方なんだから」
「どうして得だと思うんだ?一人勝ちした方が利益が多いだろう」
「そんなことはないよ。皆が生きていくための糧を横取りしないことが種の間に不文律の契約として存在しているはずだ。だから一人勝ちすると皆から毛嫌いされて仲間がいなくなる。仲間ができても同じように一人勝ちの方法を分け合う仲間だ。他大勢から嫌われることに変わりはないし、結局群れから放逐されることになる。群れの外はリスクが高いだろ?」
「ちゃんと勉強してるんだな」
「資格を取って卒業したばかりだから。試験内容はさすがに覚えているよ」
試験のことを話し、少し気持ちを持ち直した。
エースを見る、いつもと変わらない軽薄そうな笑みを浮かべてどこか余裕そうだった。
「さて、ヒーロはどうするかな」
「それなんですが、うちの妻がヒーロにお昼をご馳走したいと……」
「へえ、奥さんの手料理か。ヒーロ、どうする?」
わん、とヒーロが嬉し気に吠えた。俺たちはヒーロをハーモンドさんに頼んで牧場に向かった。ほんの気晴らしの散歩をするのに牧場があるのはとても良かった。
道を歩きながらだったら、何となくエースと話せた。
「ヒーロが心配」
「そうだな」
「どこの子だろう?親は届け出ていないのかな、まだ連絡がないなんて」
「探していないんじゃないか?」
「自分の子供を探さないなんてことがある?」
「オレたちの親は、オレたちを捨てた」
「違う、ヒーロの話だよ。あいつ、まだ獣化が解けない。怯えているんじゃないか?」
「まあな、食べ物は全部盗み食いだっただろうし、フィッツさんのトラバサミでも見たかも知れない。だけど銃で撃たれるよりずっといい」
「恐いこと言うなよ」
「俺は撃たれた。子供が撃たれなくて良かったと思うよ」
エースの傷は銃で撃たれた傷なのか。どこも何ともなさそうに歩いているけれど、どこか痛むんだろうか。
「村で銃を持っているのはフィッツさんだけ?」
「有名なのはフィッツさんだけど、他の家はどうか知らない……エースさん、銃持ってる?」
「ここには持って来ていない」
「護身用?」
「戦地にいると身を守る機会が多いから。それで」
「戦地って、フリオト大陸のこと?」
「そう。あっちは強盗団が多い。騎士だろうと誰だろうと見境なく襲ってくる、拳銃で二度身を守ったよ」
エースの戦地での話を聞きながら、俺たちはイシカが働いている牧場までやって来た。前に出会った辺りまで行き、うろうろしているとイシカから見つけてくれた。
「レイド!どうしたの?」
「やあ」
「あの子は?怪我でも?」
「ああ、ハーモンドさんの奥さんの御馳走を食べに行ってるよ。それより聞いて、エースさんが子犬の名前を発見したんだよ」
「それはすごいね、何て名前?」
「ヒーロ」
「そう、すごくいい名前。あなたがエースさん?」
「エース・W・アディシアです、シトリンさん」
「アディシアさん。根気が必要だったでしょう、獣化した、それも子供から話を聞くのは」
「ヒーロが我慢強い子だったからできました。何となく分かってるのかな?」
「イシカ」
そこに、初めて聞く男の声がきた。視線を向けると、どこかやつれたように見える男がやってくる所だった。
「ソロウ。どうしたの?」
「牧場主はどこだ?」
「昨日から一週間の予定で他の牧場に行ってるけど。それが?」
「困ったな、仕事の話をする約束をしてたのに」
「聞いてない。仕事って何?」
「従業員について話したかった。うちのヘザーがやめて兵士になると言うので、誰かひとり必要なんだ」
そこでトーシマは俺たちに気付いたようだった。特に俺の顔をじっと見て、笑いもしないような顔にほんのわずかに興味が浮いていた。
「お前……レイド、か?」
「そうだよ。久しぶり、トーシマ」
「いつぶりだ?五年は会ってない。変わってないな」
「そうかな、だいぶ変わったと思うよ。トーシマはあれから……」
「オレがレイドのつがいのエース。エース・W・アディシアです、よろしく」
トーシマはあきらかに戸惑った顔で、表情を取り繕った。
「あ、ああ。そうか、レイドの……つがいが」
「びっくりした?」
「ローラシウスさんは人種だからな。驚いたよ」
「そういうわけなんだ」
「へえ、そうか。いいな、つがいか。俺は別れたよ」
そこで彼は微笑みを作った。
「幸せそうだな」
「そうかな?」
「そのうちパブで話そう」
「ああ」
「それじゃあ、アディシアさん、レイド。じゃあな、イシカ」
去り際にちょっとこちらを振り返るのがトーシマの挨拶だった。彼が十分遠くに行ってから、イシカは少し低い声を出した。
「気をつけな。金を借りたがるから」
「なんで分かるんだ?」
「イブリンの金貸しらしい人達が、しょっちゅうソロウの農園に出入りしてる。仕事に関係するような格好じゃないし、あれはギャンブルですったか仕事がうまく行かずに借り入れをして返済に困っているかじゃない?」
イシカの言い分は俺も納得がいく。その様子を近くで見ていた彼女が言うなら確かなように思えた。
「その人達が借金取りだって確かめた人は?」
「いない。でもきっとそう。だって、他にソロウの所に行く理由がないでしょ?農園を始めて失敗するなんて話、そこらじゅうにあるんだから」
「ここの騎士団はその彼らが誰か知っているのかな?」
「さあ。聞いた事ないな、あいつらはソロウの所をうろついているだけで村では大人しいから」
エースはそれを聞いてなにか考える顔をしていたけれど、これといって何も言わなかった。ヒーロの健在を伝えるのが要件だったから、それきりで牧場を後にした。
「トーシマに会わない方がいいかな」
「ソロウのこと?」
「うん」
「会う方がいい」
「そう?」
「会わないのは不自然だし、友達と会ってゆっくり飲めばいい」
兄のような事を言う。ひさしぶりに、番ではなく兄弟の気分になる。どちらかと言えば兄弟の気分でいる方が好きだけど、エースは俺に番としての役割を求めてくる。
俺に番の契約魔術が掛けられているのは実感している。まるで呪いのように、エースのすることなすことに抵抗できない。それどころか、彼の仕業がとても魅力的で惹き付けられた。
こうして歩きながら、エースが傍にいることにどこか安心している。
それは今まで一人でいた俺にはとても不思議な感覚だった。
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