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第17話

 朝、俺は尻尾と耳を出したままの食卓の席にはじめて座った。耳と尻尾が出ているのはなんだか妙な気分だった。  エースとおはようの挨拶をして、食べ始めてから暫くしてエースが言った。 「ヒーロの年齢が十歳を超えていたら、幼年学園に入れたい」  幼年学校は聞いた事がある。確か騎士になるために入る学校だ。騎士になるには学園に入ってから騎士学園に入ってなる場合と、幼年学園から持ち上がりで騎士学園に入る話があったはず。  ハーモンドさんはそう言ったエースの顔をまじまじと見ていた。 「ヒーロを親元に帰さないの?」 「もしもの場合だよ」  エースはベーコンを口に入れて噛みながら、ヨーグルトを口に運んだ。 「ヒーロはどう思う?」  俺たちと同じ食堂にヒーロもいて、彼専用の食事を食べ終わっていた。みんなと同じ部屋にいたがって、前足で皿を抱えるようにして座っている。  ヒーロは俺から話を振られて尻尾で答えた。 「いいのか?幼年学校」  ふりふりとヒーロは尻尾を振っている。それを俺も皆も見ていた。 「ほら見ろ、いいって言ってる」 「幼年学園に行きたいのか」  ひかえめに、わん、と答える。幼年学園の意味を分かってるのか。へえ、賢いな。エースはぱくぱくとあっという間に朝食を食べてしまった。彼は先に居間に向かい、その後をハーモンドさんとヒーロが追いかけた。多分、朝のお茶だ。  俺も急いで食べるけれど、エースみたいに早くはない。ゆっくり卵を噛んでいると、ハーモンドさんが戻って来た。 「アディシアさんは、ヒーロの面倒を見るつもりでいるんですね」 「そうだね。いきなりだったから驚いた」 「聞いてなかったんですか?」 「初耳だよ。ヒーロのことが可愛いんだな」 「そうですね」  しばらく掛かって、俺も朝食を済ませて居間に行った。そこではエースがヒーロを構っていた。話しかけながら頭を撫でたり、背中を撫でたりしている。  俺はソファーに座って朝刊を手に取り、のんびり眺めた。一面はガリアナ王国についての何かのニュースだった。  俺たちが思い思いに過ごしていると、ハーモンドさんがお茶のおかわりを持って現れた。順番にカップに注いでから、ハーモンドさんも自分のカップに注いでお茶を飲む。 「アディシアさん。メドウスリーの獣種の長老にお会いになりますか?」 「長老と?それは光栄だな」 「そんな人がいるの?」  俺が聞くと、ハーモンドさんはにっこりと頷いた。 「ああ、ドーガさんのことですよ」  ドーガさんは、村の教室で家政婦のような事を数年前までしていた人だ。今は引退して、一人暮らしだと聞いた事がある。獣種だったのか。 「ドーガさんが?」 「ええ。あの人は賢い猿種の女性です。この一帯の獣種は皆ドーガさんに敬意を払っていますよ。挨拶をしに行ってはどうです?」 「そうだな、手土産はいるかな?」 「私がケーキを焼きましょう」 「ありがとう、ハモンドさん」  目の前でエースとハモンドさんのやり取りを眺め、イブリンのような都会にいるらしい長老と呼ばれる人を想像する。まわりの獣種に敬われながら?俺はドーガさんはふつうの人だと思っていたし、村の人々が人種と獣種に別れているなんて想像もしていなかった。そういう自分が愚かに感じられて己を恥じた。なにが獣種顧問官だ。エースの方がよほどそれらしい。  粗熱を取ったパウンドケーキを手土産にして、俺たちはお昼過ぎにドーガさんの家を訪ねた。 「あら、いらっしゃい、レイド」 「こんにちは、ドーガさん。今日はハーモンドさんに紹介されて来ました」 「ハーモンドさんに?」 「はい。ドーガさんがメドウスリーの獣種の長老だと聞いて……」 「確かに、私は周りの獣種から長老と呼ばれているわねえ……さて、こちらのあなた達は初顔ね、どちらさま?」 「獣騎士団のエース・アディシアです。この子はヒーロ。苗字は分かりません」 「ああ、この子が噂の。フィッツさんのお昼のサンドイッチを食べてたって言う子犬くん?」 「そうです」 「そう、あとでヒーロにはおやつをあげましょう。それで、アディシアさんはどうしてローラシウスさんのお宅にいるのかしら」  エースは誇らしそうに微笑んだ。 「つがいを迎えに」 「つがい?」 「レイドです。オレ達は兄弟でつがいなんです」 「あら、離れ離れだったの?」 「はい。オレはアディシア家で、レイドはローラシウス家で。でもローラシウス家は人種の家でしょう。だからレイドの記憶に魔術で鍵をかけたんです」 「ああ、そうなの」  魔術で俺の記憶に鍵を?そんなこと一言も言わなかったのに、ドーガさんには言うのか。 「つがいと再び巡り合えたのは嬉しいことですね、お祝いに紅茶に酒を入れましょうか。レイドも少しお酒に慣れていた方がいいだろうし」  ドーガさんは二人と一匹を部屋に通して椅子をすすめ、ヒーロには床に敷布をくれた。そして台所に行ってお湯が沸く間、俺はエースに聞いていた。 「ねえ、俺の記憶ってエースが持ってるの?」 「いや、お前が持ってるよ」 「どういうこと?」 「オレは鍵をかけただけ。鍵はオレが持っているけれど、記憶自体はお前が持っている。その鍵を何度か渡そうとしてるけれど、うまく行かないな」 「鍵。鍵って……」 「決まってるだろ」  鍵はまさか、男同士でするあのこと?あれが俺の記憶の鍵?エースが俺に鍵を渡そうとしてる。  それは当然だ、エースは俺に思い出して欲しいに決まってる。 「ごめん」 「謝らなくていい。お前はよくやってる。いきなり現れた兄貴だものな」 「エースが生きていたのは嬉しい。でもつがいだなんて……」 「嫌だった?」  すぐ答えられなかった。  寝る前にエースとのキスばかり思い出していることを言えない。女子の恋人がいたことがあるのに、その時の気持ち良さなど消し飛んで、彼女たちの顔すらおぼろげだった。  番を持つとはそういうことなのか?あまりにも強烈で濃厚なキスの体験。そして、エースに触れられると溶けていきそうになる愛撫。  あのキスにはじまるあれこれを思い出すと素直に言葉が出なくなる。 「お待たせしました。お茶ですよ」  ドーガさんがお茶を盆に乗せて持ってきた。それで俺は気を取り直した、行儀よくテーブルについてお茶が配られるのを待った。ドーガさんは砂糖とミルクとウイスキーを入れてくれて、良い香りだった。  ドーガさんはヒーロに砕いたクッキーをくれて、食べ終わったら誘うようなことを言って庭に出した。ヒーロは庭で日向ぼっこをする気でいるようだった。 「子供は庭にいったし、本当のことを話しましょうか」 「本当のことって?」 「巷の噂のこと、レイドも聞いてるんでしょ?」 「噂って……あの。獣種の子供を攫う話の事ですか?」 「そうですよ」 「メドウスリーに長老がいるなら、知っていると思っていました」  エースが俺の後を引き受けてドーガさんに答えた。  ドーガさんはにっこり微笑んで、紅茶の湯気を少し嗅いでいた。 「あちこちの、貧しい子だくさんのお宅の奥さんや旦那さんが、私の家まで訪ねて来て、時には手紙をくれて相談するのよ。子供を手放してしまったことを」 「どうしているんですか?」 「どうにもできない。相手は業者で、後ろにはどうやら大きな企業が関わっている。子供がどこに行ったか誰も分からない」  俺はちらりとエースを見た。エースは真剣な顔をしていた。 「シリウス教会も騎士団も知りませんでしたが、長老なら、と思っていました」 「そうね。私も騎士団や教会を利用すべきだと話すんだけれど、他種族に知られたくないという一点張りばかりで、誰も話そうとしないので気を揉んでいて。こんなんじゃいけないと思っていたら、ヒーロがあらわれた」  ドーガさんはヒーロを出した庭を眺めた。そこは鉢やプランターに植えられた花で一杯だった。 「それと、噂に聞く所では、メドウスリーにはあやしい人たちが集まっているようだけど、私にはどこにいるのかは分からない。パブに良く行く人なら彼らのことを知っているのかも?」

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