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第18話
ドーガさんの話は俺には予想外だった。獣種たちが子供を銀貨と引き換えにして連れ出されているのが公にならないのが、お互いの種族への聞こえを気にしているせいだというのが一番驚かされたし、だから騎士団や教会にすら届け出ない。
じゃあ、メドウスリーやこの近郊にも人買いたちに子供を売り渡し、何事もない顔をして暮らしている人たちがいるのか。なんだか空恐ろしい気持ちになった。
長老の存在について、俺は義父から聞いた事が一度もなかった。仕事を家に持ち込まない人だったけれど、教科書や参考書を使っての勉強についてはよく見てくれていた。だからそこが間違っていたら必ず教えてくれる。教科書に書いていない事だから?わからない。
エースは今日パブに行く気だと俺に話した。やっぱりドーガさんの言ったことを気にしている。獣種の長老なんて学園でも習わなかった。どんなふうに敬われているのか知らないけれど、ハーモンドさんもドーガさんが長老だという事は義父に話していない。これは獣種の間でだけ秘かに受け継がれて来た伝統なんだろう。
夕方になってから俺達はパブに行き、ビールを受け取ってエースはうまそうに半分ほど飲んだ。
「ドーガさんはあんなこと言ってたけれど、本当かな?俺はとても信じられない」
「どうして?事件はどこでも起きるものだ」
「メドウスリーは平和だと思っていたんだ。こんな田舎で、そんな事件が起きるなんて……ドーガさんはいつから事件のことを知っていたんだろう?」
「さあ、どうだろうな」
「エースはどうしてパブに?」
「飲みたかったし、それと長老の意見を尊重して聞き込みができたら」
「でもメドウスリーに顔見知りなんていないだろ」
「だからお前をあてにしてる」
「それはいいけれど。そんなに都合よくうまく行くかな。俺だって村に帰ったのは五年ぶりで、パブに来たのは二回目だよ」
「まあ、いいから飲もう」
エースとパブに来たことで俺の気持ちは上向いていた。兄と一緒に飲めるのが嬉しかった。それはエースも同じ気持ちでいるようで、穏やかな表情をしていた。
俺も少しビールに口をつけた。
「オレがいるから、少し羽目を外してもいい」
「でも誰か来た時に酔っていたら使い物にならないだろ?」
「そうならないように見張ってる」
「そんなに飲まないよ」
飲み慣れない味を一口飲んで、ビールのほろ苦さと不思議なおいしさを味わっていると新たにパブに客が来た。
俺はその顔立ちよりも頬の黒子に覚えがあった。同じ教室の仲間だったブーリーだ。苗字がヘザーというのは知っているし、おまけに人種だ。彼の父は戦争で死に、シリウス教会での葬式に俺もはじめて参列したからよく覚えている。
俺は席を立ち、ヘザーの方に行った。
「ヘザー、久しぶり」
俺の挨拶を受け、彼は顔をしかめた。
「……誰だっけ?」
「ほら、レイドだよ。レイド・ローラシウス」
「ああ」
彼は俺を見直して、ちょっと笑った。
「へえ、久しぶりだな。昔と違う」
「昔と?どう違う」
「なんというか……人当たりが柔らかくなった」
「そう?」
「そうだ、昔のお前はどこか固くて、あまり話したい相手じゃなかったな、俺は。それで?パブにはよく来るのか?」
「いや、最近になってからだよ。今まで学園にいたから、その間は来られなかった」
「ああ、卒業か?何をしてるんだ」
「獣種顧問官の三級」
「へえ……」
「なりたてで右も左もわからないよ。しかも、卒業してすぐ休暇で……ヘザーはずっとメドウスリーに?」
「ああ、そうだ。ここで農夫をして働いているけれど、そろそろやめる予定でいる」
「やめる?どうして?」
「実は兵士になろうと思っていて」
「へえ、勇ましいな」
「そうでもない。俺の目当ては金だからな」
「じゃあガリアナ王国の?」
「ああ。あの方面は給与がいいって話を前から聞いていて、行こうかと……」
「その分危険なんだろ。そのこと、ソロウには話したのか?」
「ああ、半年前から言っているのに中々辞めさせてくれなくて、困っている」
そこでヘザーはじろりと一方を睨むように見た。その方にはエースがいて、ビールを飲みながらじっとこちらを眺めていた。
「あそこの人は知り合いか?」
「ああ……俺のつがい」
「つがい?」
ヘザーは俺を見て、じろじろと眺めた。それから少し笑い、肩を叩いた。
「そうか、そうなのか。ローラシウスっていうから人種だと思っていたよ、そうだったのか。というと、成人してから?」
「うん、まあ。そんなとこ」
「いい男の番だな。何してる奴なんだ?」
「確か獣種の騎士だよ」
「……そうか」
返事は一拍置いて聞こえた。ヘザーは何か考え込むような顔をして、グラスのビールをぐっと半分ほど飲み干した。
「……お前、ソロウの所に顔を出したか?」
「いいや、まだ」
「そうか」
「そうだ、ソロウが金に困ってるって、シトリンが言ってたよ」
「ああ、彼女。たまに見る」
「シトリンが言うには、ソロウの所に金貸しが押しかけているっていうんだけど。どうだろう、俺は五年ぶりに戻って来たばかりだからさ、あいつの所に顔出ししていいかわからなくて……」
「俺はシトリンはもう二人目だって聞いたな」
「うん。早いよな」
「獣種は早いよ。ソロウも子供が一人いる、子供は別れた妻の方に行っているから寂しいらしい」
「子供か、いいよね。俺の家にも一人いる」
「養子が?」
「いいや、まだ。でもいずれ」
「どういうことだ?」
「拾ったんだよ、この村で」
「拾った?」
「そう。フィッツさんの所でサンドイッチを盗み食いしてる所を掴まえた獣種の子で、今はすっかり家に馴染んでいるよ。そのうち、獣化も解けるんじゃないか」
ヘザーはまたグラスを傾けてビールを飲んだ。それから肩で息をついて、じろっと俺を睨むように見据え、何か言いたげだった。
「……ソロウの所に行くのか?」
「さあ、そのうちね」
「行くなら、つがいの彼を連れて行くといい」
「エースを?どうして」
「騎士なんだろ?」
「うん」
「獣化した獣種の子を拾ったんだろ?」
「そうだよ」
「なら俺の言う通りにしろよ」
「なんでだよ。どうして俺がそうするんだ?」
「さあな、理由は農園に行けば分かる」
「理由って。ソロウに会うのに理由なんているか?」
ソロウの所に行けとあえて言われて、ヘザーがそう言う理由がなんなのかわからなかった。俺がビールを一口飲む間に、ヘザーは一気にビールを飲み干してしまった。
「さてと。じゃあな、レイド。俺は最後の汽車でイブリンに行く。ソロウによろしく言っておいてくれ」
「ああ」
まさか、この足でメドウスリーを出て行くのか?何も持たずに?ヘザーは足早にパブを出て行って、追う気はなかったけれど随分急ぎ足だった。
ヘザーの行動がよく分からない、久しぶりに会ってソロウの話を聞こうと思ったのに、俺が近況を話したら固い表情になって、さっさと行ってしまった。ソロウの話を聞くどころじゃない。
俺はグラスを持ってエースの隣に戻った。
「どうだった?」
「農夫をやめて兵士になるって、それも今すぐ出て行ったその足でするみたいだ」
「急だな。他には?」
「ソロウの所にエースを連れて行けって言っていたよ」
「ふうん?」
「たったそれだけ!他の事は何も話を聞くこともできなかった……」
エースが飲むのにつられて、俺もビールを一口飲んだ。
「で、お前は何を話して聞かせた?」
「何って、俺の近況だよ」
「レイドの近況か。それから?」
「……そうだ。俺の最近の話を聞いてから、急に態度が変わったよ。何だろう」
「近況って、例えばどんなことを話したんだ?」
「何も。普通に、獣種顧問官になったこととか、子供の話を。シトリンが二人目だ」
「ああ……他にあるだろう。何を言ったんだ?」
「エースが騎士だって俺が紹介してから、急に態度が変わったっていうか……突き放すような言い方をし始めて。ソロウの所は前々から辞めたがっていたらしいけど。兵士の給与の方がいいからガリアナ王国に行く気でいる。分かったのはそれだけだ」
「そうか。それにしてはまた、随分早いな?」
「まるで逃げてるみたいだ」
「確かに。まあ、軍人になるなら身元は確認されるし、後ろ暗いことがあるなら、結局逃げられないけれどな」
「おかしいだろ。なんでヘザーが逃げるんだ?」
「さあ、なぜだろう」
「エース、しっかり話してくれよ。どういうことなんだ?」
「明日、ソロウの農園に行こう。多分それで分かるはず」
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