23 / 29
第23話
イオトリア王国の田舎住まいの貧家の獣種にとって、子供一人が銀貨二十枚と言うのは喉から手が出るほど欲しい金だった。
普段銅貨で暮らしている所に子だくさんで、しかもその中の一人と引き換えにこの先三年ほどの安楽な生活が約束されるなら、つい手が出る親がいてもおかしくない。子供の一人が病気だったら、家の子の年長のなかの誰かひとりに話をつける親だっているだろう。
俺たちはメドウスリー駅でイブリン行きの汽車に乗り込み、個室に入った。ヒーロは俺の子供の頃の訪問着を着て大人しく椅子で足をぶらぶらさせていた。エースは騎士の服装をしていて、俺は学園を卒業したばかり。卒業前に作ったウールの上着でいた。
これから、イブリンにあるアディシアの本家に挨拶に行く。
アディシアの一族の一人エースが後見人となるヒーロの顔を見せに行く必要があった。ついでに俺もついて行って、一族の人に認めて貰えたらいいなという下心がある。
「チサ、元気になったかな」
「チサって?」
「オレの妹。五つなんだ」
「そうか」
「病気で、お金がいるからオレが働きに行くって話だったのさ」
「そうなのか」
「兄ちゃんのおさがりの拳銃欲しかったな」
ぽつりとヒーロが呟いたのを聞いて、エースが何か考え、そっと呟いた。
「玩具なら新品のを買える。これからイブリンに行くし、挨拶がわりにどうだ?」
「別にいらない。なんだか、もう欲しくないんだ。おかしいよね」
「人の気持ちは変わりやすい。気分が変わったら、その時言えばいい」
エースの言葉を聞いてヒーロは頷くでもなく、少し俯いて黙っていた。こういうときに獣化した子犬の姿だったら、いつもと変わらない子犬だなと思って見過ごしていただろうヒーロの心の動きがなんとなく見て取れた。
ヒーロの親は、ヒーロのことを知らないと言ったのをエースが俺とハーモンドさんに教えてくれた。ヒーロは自分がこれからどうなるのか何も知らずにいる。これからアディシアの本家に顔を出しに行くことも、どういう意味なのか分かっていない。
汽車は数時間ほどでイブリンに到着した。降りて人混みの中を降り場に向かい、駅前にたむろしている辻馬車を拾って、一路アディシアの本家に向かった。
「俺のおさがりよく似合うよ」
「そう?どうも」
「靴までぴったりなんてな。何歳の頃のだ?」
「十歳。だからヒーロは俺より大きくなるんじゃないか?」
「え、ローラシウスさんは十歳でこの大きさだったの」
「そうだよ。ヒーロは大きいんだな」
「うん。父さんも母さんも、お前は大きいねって言ってたな、そういえば」
ちょっと笑ってくれたので、話題の選択はこれで良かったのか。
しばらく走っていた辻馬車はある大きな屋敷の前に停まった。エースが金を支払い、俺達は降りた。仰々しいノッカーのついたドアをノックすると、中から執事があらわれた。
「エース。エース・アディシアだ、この日に来ることは手紙で連絡を入れておいたはず」
「はい、手紙は確かに届いております。そのように主からお話がありました。どうぞお入りください、エース様とそのお連れ様」
中に入ると、上着や手袋を受け取るための人手がいた。エースは軍服だけだったのでそれを断り、俺たちも特に必要としなかった。
仰々しい制服のメイドが俺たちを先導して屋敷の中を案内するように歩いて行くのについて行った。着いたのは、広間のようになっている居間で、老人が一人暖炉の前に陣取っていた。
「お久しぶりです、長老」
エースが気さくに声を掛けると、その老人も頷いた。
「まったくもって、エース。お前はアディシアに新しい縁を運んでくる才能がある」
「どうもです」
「子供の事だったな?たしか、ヒーロと言ったか。お前が手紙で書いた通り、了承している。犬種は近縁種だ、大切にしよう」
そう言い、老人はちらりとオレを見た。
「お前はエースのつがいだな。しっかりエースを支えてくれ」
「はい」
長老に声を掛けられた俺の背中を、エースがぽんと叩いた。
「よかったな、レイド。認められたぞ」
「長老さま、俺もこれからエースと共にヒーロを支えてやっていくつもりです」
「うむ。まずは、ヒーロの事はお前たちに頼む。教室に通うだけの学費は本家が出そう。その先をどう選ぶかは本人次第と言う事で、とりあえずはいいだろうか?」
話は決まり、ヒーロは教室に通えるようになった。
挨拶が住んだ俺達はアディシアの本家を出て、ローラシウス家のアパートに向かった。そこは俺も何度か使ったことがあるけれど、三人で行くのは初めてだ。
訪問すると義父は驚いた顔をしていた。
「やあ、よく来たな」
「ごめん義父さん、今晩泊めて」
「それは構わないが。ベッドは私の他に一つしかない、二人くらいソファーで寝て貰うぞ」
「構いません。毛布はありますか?」
「ああ、二枚ある」
その日の夕食は近所の店から取り寄せたものを食べ、ワインがついたのはエースに何らかの配慮があってのことだと思う。実際、エースは今日どこで何をしたのか義父さんに話した。
「今日はアディシアの本家に、ヒーロの後見人をすることを話しに行ったんです」
「ほう。そうだったのか、それで本家は何と言って?」
「ヒーロの教室代は持ってくれると約束してくれました」
「それはいい知らせだ」
義父さんも喜んで、エースのグラスにワインを注いだ。俺は一杯だけでやめておいたけれど、食後早々に酔ってふわふわする気持ちでソファーの上で休み、ヒーロは顔を洗い歯を磨いてもう寝る準備をして寝室に引き下がった。
酔いを醒ますのに暫く、俺の上に毛布が掛けられて、しばらくうとうとしたと思う。どかり、と横にエースの気配が座り、俺の背中の方に靴を脱いだ足を伸ばしてきた。
「忙しい日だった」
それは、俺が起きているのを確信しているエースの声だった。暖炉の火は消えて灰もじきに冷えていくだろう。俺もエースも毛布の中に温まりながら、じっとお互いを気にしていた。
俺は目を開けてエースを見た。いつもの軽そうな笑みを浮かべて、満足そうだった。
「うん。でも、いい一日だった」
「そうだな」
それで、俺は今日一日中考えていたことをエースに話すべきかどうか考えていた。この休暇が終わったら彼は騎士団に戻る。俺はメドウスリーにいるのかイブリンのアパートに住むか決めかねていたけれど、ヒーロがいいならメドウスリーにいる理由ができた。
「なあエース、ヒーロを俺たちの子にしない?」
「いいのか?」
「ヒーロがいいなら」
「そうか。そうだな、あいつがいいって言うならそうしようか。それならどうする?イブリンに住むか、それともメドウスリーに新しい家を?」
「それは義父さんにも相談して決めてもいい。別にメドウスリーに限ったことでもないんだし……」
「冗談じゃないぞ。イブリンの地価を知らないんだ、お前は。ヒーロを育てるならメドウスリーの方がいい」
「そう?」
「オレが普段いるのはイブリンの騎士団宿舎だし、イブリンにずっとアパートを借りてるローラシウスさんが凄いんだよ。オレもヒーロを育てるのは賛成だけど、地価が安いメドウスリーだからできることだってあるんだ。わかったら、寝るぞ」
「うん」
俺は目を閉じた。汽車でのヒーロの様子を思い出して、わだかまりが解ければいいと思っていた。いい子にしているのはまだよそよそしいから?わからない、これからどうなるのか。だけど、どこにも行き先のなかった俺を義父さんが受け入れてくれたように、行き先のないヒーロの帰る所になれたらいいと俺は思っていた。
エースの体温は温かく、ソファーで毛布一枚なのに十分だった。エースは朝が早く、俺に毛布を二枚着せ、朝からお茶を沸かしていた。
「レイド。朝だぞ、ミルクティー」
「ん……」
「お前、朝弱いのな」
「エースが強いんだよ」
家の冷蔵庫には何も入っていなかったので、朝から開いているパン屋に行って、総菜パンを買い、缶詰のスープをあけて皆で飲んだ。
男だらけで気を使わなくていい環境で、ヒーロはやっぱり大人しく言うことを聞いて、自分の運命がどうなるのかわからない、という様子でいるように見えた。
食事が終わってすぐ、俺は義父さんに声を掛けた。
「義父さん、話があるんです」
「話?改まって、どうしたんだ」
「ヒーロの……ハウトゥーン君のことで」
「どうした?」
「きのうの夕べ、エースとも話したんですけれど。よければ、俺たちがヒーロの親になろうかと思って」
「ほう?」
「どうだろう、ハウトゥーン君。よかったら、苗字はそのままでも構わないし、アディシア姓に変えてもいい。ローラシウスの苗字がいい?」
「それって本気?」
ヒーロが聞いたので、俺は頷いた。
「うん。当分はメドウスリーのあの家に住むし、家にはハーモンドさんが通ってくるよ。そして君はメドウスリーの教室に通うんだ」
そして、俺は自分でとどめだと思っている台詞を言った。
「自転車を買おう。絶対、必要になるから。どう?」
自転車のことを話すと、ヒーロは茶色い目を少しきらりと光らせた。それから、口元が笑いをこらえるようにうずうずしていた。
やがてヒーロは答えた。
「……塗装は青がいい」
ヒーロが自分の意見を言った。やったと思った。俺はエースと義父さんの顔を見た、皆嬉しそうな様子でいた。
「よろしくな、ヒーロ」
「よろしく、エース。それとレイドと、おじさんも」
ヒーロが笑った。安心できたのかもしれない、帰る場所がこの家だと分かって。俺は初めてヒーロの笑顔を見て、何もかもこれで良かったのだと安心できた。
「レイド、参考書を買ったから持って帰りなさい」
「はい、義父さん」
ともだちにシェアしよう!