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第25話

 朝ギリギリの時間にヒーロは飛び起きたらしく、俺とエースが朝食を食べている朝の食卓につんのめるように着いた。 「おはようヒーロ。寝坊?」 「んー!」  食卓に着くとすぐ大急ぎで朝ご飯をかき込み始めて、朝の挨拶なんて忘れてしまったかのようだ。そんな勢いで食べて喉につかえないのか心配になった時にはもう食べ終えていて、ハーモンドさんが用意した弁当の紙包みを掴み、顔はもう玄関に向いていた。 「それじゃ、いってきまーす!」  ヒーロが弁当とバッグを片手ずつ掴んで家を駆け出していった。朝食はきちんと食べたけれど、翻った背中側のシャツがズボンから出てしまっているのを注意する隙もなかった。  俺がぽかんとヒーロを見送った後で、エースが可笑しそうに言った。 「元気でいい」 「うん」 「どうだろう。今度は泥んこになって帰って来るかな?」 「それはやめてほしいですね」  すかさず、ハーモンドさんが感想を言った。確かに彼はヒーロに苦情を言う権利があるだろう。 「山の中に秘密基地を作ってるんじゃないか?」  食後、居間でのんびり新聞を読みつつエースが言った。 「フィッツさんがトラバサミを仕掛けた話はしたはずなのに、本気にしていないのかな」 「さすがに十歳にならない子供が掛かるようなことはしないだろう」 「分からない。事故を起こしたら、俺はそれが恐いよ」 「そうは言っても、ヒーロだぞ。注意したって、分かってるって言って飛び出していく」 「それはそうだけど……」  朝から慌ただしかったが、ヒーロを教室に送り出したし、そろそろ耳と尻尾を出して朝の勉強でもするかと思っていた所に玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえた。使用人側の通路ではないなら、訪問販売とかではなさそうだ。  すぐハーモンドさんがやって来た。 「レイド、お客様ですよ」 「お客?誰?」 「学園のお友達で、ローリー・ケンドルさんという方です」 「ケンドルか。今行くよ」 「お茶を出しますか?」 「ああ、頼む」  ケンドルは俺のことを人種だと思っている。さて、どうしよう。学園での仲間たちに実は獣種のハーフブラッドだったなんて話をすべきかどうか、まだ決めていない。俺が対応を決めかねていると、ケンドルが部屋に入って来た。  優等生だ。学院に進んだと聞いていたけれど、メドウスリーまで来るような用があったのか? 「や、レイド」 「ローリー。どうした?」  立って挨拶を交わして、俺はケンドルを椅子の方に案内した。彼は座ってすぐ、前髪をさっと弄った。こういう、イブリンっ子を気取った少しきざな仕草をするのが癖だった。 「この先にある親戚の家に遊びに来たついでに。メドウスリー、いい所じゃないか?」 「へえ、親戚の?どんな用事で」 「ようはお見合いだよ。断り切れなくて、顔だけ見てきた」 「ああ。お前の家って貴族だった?」 「いや?話さなかったか、俺の家は祖父の代に商売で当てた小金持ちで、だからあとは格式が欲しくて、見会い相手の家が貴族なんだ。おちぶれた伯爵家の令嬢で、俺より九歳も年上だって」 「美人だった?」 「そこそこ。でも、浪費家だろどうせ。金を湯水みたいに使われたくないし、貴族は浮気を悪いことだと思ってないからな。俺は田舎の子がいいよ」 「お前の趣味も変わってるな」  そこまで話して、ケンドルは俺の横に来たエースに視線を移した。 「そちらは?」 「兄のエース・アディシアだ」 「よろしく」 「へえ、よろしく。兄貴がいたなんて初めて聞いた」 「色々事情があってね、離れて育ったんだ。お茶でも?」 「頂きます」  すぐハーモンドさんがお茶を淹れに行き、俺たちはテーブルを挟んで座った。 「レイドとは学園で?」 「ええそうです。一年の頃から。な?」 「ああ。気が合って」 「レイドは努力家だったと聞いているけれど……」 「努力ねえ、手を抜くのがうまかったんですよ、こいつ」 「おい、ローリー」 「兄貴の前でいいところ見せたいのか?」 「当たり前だろ。俺のいい所他にもあるだろ」 「シェリーとの話か?それともサナの?」 「おい、ローリー!」  ケンドルは笑い、そのままエースに快活に話しかけた。 「エースさんは学園は?」 「卒業したよ。オレの頃は規則が厳しかったし、男女のクラスは別だった。でも、やる奴はいたな」 「男女のクラスを一つにしたのは、婚約者を早く決めたい貴族家の後援会が運動したからだろ?」 「ああ、そうだ」 「オレの代では駆け落ちが出たよ。あれからどうなったんだったか、親が認めたならいいが」 「結局、貴族の子は婚約者を決める場所になって、俺たちは刺客を取る場所だったよな」 「そうだな。お前は何の資格を?」 「簿記の二級と、営業士の初級。お前は、獣種顧問官だったよな。就職先は?」 「騎士団のテストを今年受ける予定」 「は。大変そう」 「それで、シェリーとサナって?」  エースが抜け目なく聞いて、ケンドルは答えた。 「三学年と四学年の時に付き合ってた女子ですよ」 「へえ。どこまで?」 「けっこういい線行ってたと思ったけど、俺は確認してないですね。どうなんだよ、レイド」 「二人とは終わったことだよ」 「それは分かるけど。サナが結婚したの知ってるか?」 「えっ、もう?」 「前から決まってたみたいなんだよ、十二歳も年上の旧い貴族との縁談」 「ああ、それで資格も取らずに遊んでたのか、あいつ」 「何か知ってるのか?」 「少し。動かしようのない未来があるから、今だけは自由で居られるとか……よく分からなかったけど。親が決めてたんだな」 「そうなのか。それで、あちこち遊んでたんだな。お前知ってる?二股かけられてたの」 「知らないよ!なんだよ、それ!」  ケンドルは笑った。 「その後も何人かと遊んでた。尻軽なのは理由があったんだな、今のうちに遊んでおかないと後悔する」 「なんだよ、そういうことは言っておいてくれたら……」 「ははっ、言うわけないだろ。彼女は男たちを弄びたかったんだよ。お前もその一人!」 「じゃあシェリーは本気だったのか?」 「シェリーは山ほど資格を取って秘書をやってるよ、どこか大手の商社だそうだ」 「すごいな。そういえば、シェリーはあっさりしてた」 「エルナと同居でイブリンのアパートに住んでいる。俺はエルナの友達だからな」 「へえ、そう。エルナの……友達って、どういう意味?」 「そのまんまだよ。他意はない、エルナは固い子だからな」 「本気ってことか」  エースが聞くと、ケンドルはにやっと笑った。 「外堀を埋めたり、好意を勝ち取ったり、することは多いですよ」 「婚約話をふりに行ったり?」 「そうです」 「へえ、お前、エルナなのか。うまく行くといいな」 「お前は卒業までにそういう子を作らなかったのか?」 「ああ、まあちょっと。今はそういう気持ちになれなくて」 「親父さん任せか?それもいいけれど、自分で選んだ方が後悔が少ないって話だ」 「それは人によるだろう」  そこに、ハーモンドさんが紅茶を運んできて、俺たちは少しお喋りをやめた。  しっとりしたココア生地のチョコレートケーキは久しぶりだ。ケンドルはいい時に来た。エースの様子をちらりと見ると、怒っている様子はなかったからほっとした。  エースも大人しく紅茶とケーキを楽しんでいるし、俺もこのままケンドルが爆弾発言をする前に、穏やかに帰って欲しいと願っていた。 「泊って行くのか?」 「いや、昼の汽車で帰るよ。本当に、気が向いて寄っただけだ。挨拶に」 「田舎だからがっかりしたろ?」 「いや、いい所だよ、本当に。俺はイブリンしか知らないから……いつか、郊外に家を持ちたいと思ってるんだ。今日はその下見」 「それはいいな。うちのご近所になるのか?」 「さあ、それはまだ分からない。エルナの気持ちもあることだし」  もうエルナを手に入れた気でいる。彼女の気持ちがどちらを向いているのか俺も知らないけれど、そう簡単に行くだろうか。

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