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第12話
時計を確認すると十八時を回っていた。下から話し声が微かに聞こえる様子から、二人が買い出しから戻ってきたのだろう、と悠哉は察した。
そろそろ戻らなければと思い、ベッドからのそのそと起き上がる。カメラモードを内カメラにし、スマホをのぞきこんで自分の顔を確認すると、目元の赤みは引いているみたいで悠哉はほっと胸を撫で下ろした。しかし先程の難波とのやり取りがあったせいで難波と顔を合わせずらくなってしまった。あんなに取り乱した姿を見せたために、難波と同じ空間に居座ることが悠哉としては苦痛でしかなかった。それでもずっと部屋に引きこもっているわけにもいかないため、意を決して悠哉は部屋を出た。
下に降りると「やっと来たか」と先程のやり取りなど無かったかのように平然とした態度で難波は悠哉に声をかける。
「悠哉!今夜はバーベキューだって!」
「ほら、お前も準備を手伝ってくれ」
買い出しから帰ってきた二人はパンパンになったビニール袋を手に持ち外へ運び出している。
そんな時、陽翔の手に持っていたビニール袋をひょいと難波が取り上げた。陽翔は最初何が起きたか分からないような顔で難波を見ていたが、気を遣って重たい荷物を自分の代わりに持ってくれたんだと気づき「ありがとうございます」と微笑んだ。
「俺のも持ってくれよ」と冗談めいた口調でそう言った彰人の肩を軽く叩き「お前は自分で持て」と難波は玄関へ向かって歩みを進めた。そんな難波の姿に思わず顔をしかめてしまうほど今の悠哉には余裕というものがなかった。
外に出ると辺りはすっかり暗くなっており、気温も先程よりもずっと涼しくてずいぶと過ごしやすくなっていた。
しかし、あれから悠哉の気分は晴れることなく憂鬱な気持ちでその場を過ごした。難波の様子を見ると、悠哉とは反対にバーベキューを楽しんでいるようだった。
不意に先程難波に言われたことが悠哉の脳裏によぎる。親友として陽翔の恋を応援したいのに陽翔のそばにいたいという気持ちも捨てきれない『曖昧な感情』、そんな自分には陽翔を幸せにすることはできっこない。分かりきっていたことなのに、難波に指摘されたことにより一層と悠哉の頭を悩ませることになった。陽翔の幸せな姿を見る度に自分が卑屈で醜い存在に見えてくる、何故自分の感情はここまで複雑化しているのだろうか。陽翔のそばに居たいという欲望がますます自分の心を押し潰し自分自身を醜くしていくことに、悠哉は苦痛を覚えた。
「悠哉、ちょっといいかな」
紙皿と箸をテーブルに置いた陽翔が声をかけてきた。「あ、ああ」と突然声をかけられたものですぐに反応出来なかった悠哉は少し間が空いて返事をする。
「ちょっと散歩してきますね」と二人に言い残すと陽翔は悠哉の手を取り海の方へ歩き出した。
「どうしたんだ?」
海に沿って浜辺を歩く陽翔の後ろをついて行きながら、何故俺を連れ出したんだという意味を込め悠哉は疑問を投げかける。
「悠哉、慶先輩に何か言われた?」
歩くスピードを緩め、立ち止まった陽翔はくるりと振り返り悠哉に問いかけた。
「何かって?」
「だって悠哉なんか変だから。買い出しに行く前よりも元気ないっていうかさ」
困ったような表情を見せる陽翔に悠哉は目を見開く。バレていた、難波に言われたことを根に持ち、それから気分を落としていた悠哉の様子に陽翔はいち早く気づいていたのだ。
「陽翔は難波のこと好きか?」
気がついた時にはもう遅かった。悠哉の口は無意識に開いており、陽翔にそう問いかけていた。
知りたかったけど知りたくなかった陽翔の難波への気持ち。最初は難波に告白されたから付き合った二人の関係だったが、あれから時間が経ち陽翔の気持ちが変わっているのだろうか。
「好きだよ、先輩のこと」
月明かりに照らされ、その言葉を口にした陽翔の姿はなんとも美しかった。だがそんな陽翔の姿が残酷にも悠哉の心を鋭いナイフで刺していく。ショックなのか自分でも分からなかった。陽翔からその言葉を聞いて何を思っているのか自分の感情が自分でも分からない。
「好きだ」
しんと静まり返った夜の海に悠哉の声がポツリと残る。口から勝手に出たその言葉は案外簡単に溢れ出てしまい、それを引き金に今まで溜まっていた感情がぽろぽろと言葉の波のように溢れ出る。
「お前のことが好きだ、ずっとずっと。あの時だってお前がそばにいてくれたから俺は救われた、俺には陽翔しかいないんだ」
「違う、悠哉の僕への気持ちは恋じゃないよ」
悲しそうな表情で陽翔ははっきりと否定した。俺の気持ちを、俺の好きだという想いを。
静かな空間に波の音だけが鼓膜に響く。しばらくの間、悠哉は言葉が出てこなかった。
「なんで…そんなこと言うんだよ…」
やっと絞り出たと思った言葉は困惑を訴えるもので、自分の気持ちを否定された事への怒りや悲しみを持つ以前に、陽翔のその言葉に悠哉は理解がおよんでいなかった。
「悠哉は勘違いしてる、悠哉は本当の恋をまだ知らないんだよ。悠哉が一番辛かった時にたまたま傍にいたのが僕だっただけで、僕に依存に似た感情を抱いてしまったからそれを恋だと思ってしまっただけなんだ。だから悠哉のその感情は恋じゃないよ」
ゆっくりと言い聞かせるように陽翔は言葉を紡いでいく。しかし、悠哉には陽翔の言っていることに納得ができなかった。
「なんでお前が俺の気持ちを決めつけるんだよ…たしかに俺は恋愛とか経験ないし恋とかよくわかんねぇけど、俺のお前への気持ちは特別なんだ…っ、それが恋じゃなかったらどう説明するだよっ…」
「じゃあ悠哉は僕と恋人同士がするようなこと出来る?」
冷淡な表情を浮かべた陽翔のその言葉が鋭く突き刺さる。ずっと考えないようにしていたことを陽翔本人に投げかけられ、嫌悪にも似た感情が悠哉の胸の中で芽生え始めた。
「キスとか、もちろんそれ以上のことも」
陽翔の口からそんな言葉聞きたくなかったため「やめろよっ!!」と悠哉は無理やり遮った。
「僕は慶さんとそういうことしたいと思ってるよ、好きだから。だけど悠哉は僕とセックスしたいって思う?」
「やめろっっ!!!」
悠哉は思わずその場にしゃがみ込み、自分の耳を咄嗟に塞ぐ。はあ、はあ、と息が荒くなり呼吸が浅くなっていく。顔を上げることが億劫になるほど、目の前の人物に対して怯えていることに自分でも驚いていた。
陽翔に対してそんな感情抱くなんて初めての事だった。何があっても自分の味方でいてくれた陽翔と、目の前にいる人物が同一人物とは思えないほど今の悠哉は混乱していた。
「悠哉、ごめん。僕が悠哉のそばにいたから悠哉は僕以外の人と関わろうとしなかった、それが間違いだったんだ。悠哉はもっといろんな人と関わって本当の恋をするべきだよ」
悠哉がゆっくりと顔を上げると、口角は上がっているはずなのに、とても笑顔には見えない悲しそうな顔をした陽翔と目が合う。
なんでそんな悲しそうな顔をしているのか分からない。俺の気持ちが陽翔を悲しませてしまっているのか、俺が陽翔をこんな顔にさせているのか。
「ごめん、ごめん悠哉…」
陽翔の声は静かな夜の海に紛れ、ざわざわと騒ぎ立てる潮騒とともに消えていった。
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