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第13話

 三年前、悠哉はあの事があってから余計に人間不信になった。実の父親に襲われそうになったという出来事は悠哉の中で消えない傷として残り続け、その傷を癒そうとしてもなかなか消えることは無かった。そんな悠哉のそばに居てくれたのが陽翔だった。  あれから陽翔の家へと引き取られた悠哉は、生活のほとんどの時間を陽翔と共に過した。全てに脅え生活していた悠哉のことを陽翔は優しく包み込んでくれた。そんな陽翔のことが好きで、いつの間にか悠哉とってかけがえのない存在となっていた。  いつからかは分からないが、悠哉はこの気持ちは恋なのだと自分に言い聞かせるようになった。だって好きなのだから、そばに居たいと思うのだから、この気持ちは恋なのだろうと。しかし、陽翔本人に否定されてしまってはどうすることも出来ない。本当の恋を知らないと陽翔は悠哉に言ったのだ。そして、自分とセックス出来るのかと悠哉に問いた。悠哉の答えは決まっていた、陽翔とはセックスなど出来るはずがない。  悠哉にとって性欲とは気持ちが悪いものだ。中学二年生の時、思春期だった悠哉は初めてAVというものに手を出した。既に精通していた悠哉は自慰行為というものの必要性が一切感じられなかったため、性欲も平均の男子中学生よりかなり少なかったのではないだろうか。そしてAVを見た結果として、見なければよかったと後悔するほどに気分が悪くなった。女の裸や喘ぎ声に興奮するどころか、気持ちが悪いと思ったほどだ。そして何より、男が女の裸に興奮している姿に悠哉は耐えられなかった。嫌でも自分の姿に興奮していたあの人のことを思い出してしまい、それから悠哉はAVなどの類のものは見ていない。  そんな悠哉は今でも性的感情に対して嫌悪感を抱いている。だからショックだった、陽翔の言ったことが。自分とはセックスが出来ないから悠哉の気持ちは恋とは違う、陽翔はそう言っていたのだ。陽翔なら理解してくれると思っていたのに、結局は陽翔にも当たり前のように性欲があり、難波に対して性的な感情を抱いていた。  それでは自分の陽翔に対する気持ちは何なのか、悠哉は尚更分からなくなってしまった。この気持ちが恋ではないのなら恋とは一体どんなものなのか、今の悠哉には何も分からなかった。  悠哉は部屋に戻ると勢いよくベッドに倒れ込んだ。あれから結局、陽翔と二人で別荘へ帰った。その間も会話を交わすことなくただじっと陽翔の後ろ姿を見つめながら足を進めていた悠哉は、戻ってきてから食欲などあるはずもなく、すぐに自分の部屋へと駆け込んで今に至る。  先程の悲しそうな陽翔の顔が、悠哉の脳裏にこびりついては離れない。月明かりに照らされた陽翔の姿はまるで自分の知らない人物かのように感じられた。振られるよりも辛かったのかもしれない、まさか自分の気持ちを否定されるとは思ってもみなかったのだから。  するとコンコン、と扉をノックする音とともに「俺だ」と扉の向こうから彰人の声が聞こえた。突然自分の部屋に閉じこもってしまった悠哉の様子を見に来たのだろう。  無視することも出来たはずなのに、悠哉の身体は気がついたらドアノブに手をかけていた。 「なんの用?」 「バーベキューの途中で部屋に戻ったから何かあったんだと心配で見に来たんだ、中に入ってもいいか?」  訪ねてきたのが陽翔ではなく、彰人で良かったと悠哉 はほっとしてしまった。追い返しても良かったのだが、悠哉は彰人を部屋の中へ入れた。 「恐ろしく顔色が悪いな」  床に腰を下ろした彰人は、悠哉の顔を見るなり冗談めいた口調でそう指摘してきた。悠哉も彰人の隣に無言で腰を下ろす。 「で、どうしたんだ?陽翔となにかあったんだろ?」  悠哉の異変の原因を的確に当ててきた彰人は、黙ったまま言い淀んでいる悠哉の姿をただじっと見守って待ってくれている。そんな彰人の姿に弱っていた悠哉の心はどんどん揺れていき、ついには口が開いた。 「俺の陽翔への気持ちは恋とは違うみたい」 「恋とは違う?どういう意味だ?」 「自分でもよく分からない…、でも陽翔が言うには俺は勘違いしてるらしい、俺には陽翔しかいなかったからその依存的な感情を恋と履き違えてるみたい」  悠哉は膝を抱え、目の前の扉を一点に見つめながらぽつり、ぽつりと先程陽翔に言われたことを繰り返す。  彰人は黙ったまま、しばらくの沈黙が続いた。何も言わない彰人を不思議に思った悠哉は「なにか言えよ」と彰人の顔を見る。 「いや、お前が陽翔のことを本当に好きだと思っているのなら、何も悩むことは無いと思うんだが」  顎に手を当て、心底真剣な表情で考え込んでいる彰人は悩んだ末にやっと口を開いた。 「それって、俺が陽翔のことを本気で好きだと思っていないっていいたいのか?」 「まぁ、要約するとそうなるな。本気で好きだったらそんなこと言われても自分の気持ちに正直でいられるはずだ。だけど今のお前の気持ちは揺らいでいる、陽翔のことを恋愛感情として好きなのか自分でも分からなくなっているんだろ?」  淡々と自分の意見を述べる彰人に、悠哉はまるで図星をつかれたような感覚になった。それでも認めることが出来ず「お前まで俺を否定するのかよ…」とムスッと唇を尖らせる。 「お前の気持ちを否定するわけじゃない、ただ一般論を言っているだけだ。それにお前だって恋愛経験ぐらいあるだろうから恋愛と友情の区別ぐらいつくだろ?」 「おい、誰だって高校生ぐらいになれば彼女の一人や二人出来たことがあると思うなよ」  悠哉は不機嫌な態度で彰人に物申した。悠哉はこの十五年間、一度も恋人という存在が出来たことがなかったのだ。元々人と関わることに消極的だったため、いつもグループの和から抜けていた悠哉には恋人はおろか、友人すら出来なかった。  そんな悠哉の話を聞いた彰人は、信じられないという顔で「嘘だろ…?」と呟いた。 「そんなに驚くことか?」 「いや、お前は顔がいいからモテるものだと思ってた。本当に恋人ができたことはないのか?」 「しつこい奴だな、できたことないって言ってるだろ?」  しつこく聞いてくる彰人に半ば呆れながら答える。すると彰人はハッとした顔をし「もしかして…」となにかに気がついたような態度で言葉を続けた。 「陽翔が初恋なのか?」 「…悪いかよ」 「まて、それじゃあ陽翔に対する気持ちが恋とは違っていたら初恋はまだということになるのか?」  確かに彰人の言う通り、悠哉は今まで陽翔以外の人間に対して特別な感情を抱いたことがなかったため、この気持ちが恋ではなかったら初恋がまだということになるのかもしれない。  しかし何故こんなことを彰人にこと細かく聞かれなくてはいけないんだという疑問が生まれ、悠哉は少し恥ずかしい気持ちになってきた。 「もうこの話はいいだろ?俺の初恋がどうこうは今関係ないし」 「ああ、すまん。まさかお前がここまでピュアだったなんて思ってなくて」  ここまで驚かれると初恋がまだなんて、と子供扱いされているようで悠哉は少々気分が悪くなった。それに初恋がまだとは決まったわけではない。 「そういうお前はどうなんだよ?初恋はいつ」 「俺の話は別にしなくていいだろ」 「散々俺に聞いといて自分は何も話さないってのもあれじゃないか?」  じっと睨みつける悠哉の視線に降参だというように「はぁ…、わかったよ」と彰人は話し始めた。 「俺が孤児育ちだったことは話していたよな?」  中学の時、彰人から孤児で育ったという話は聞いていたため悠哉は「ああ」と頷く。 「確か十三歳の時だ、同じ孤児院に五歳年上の面倒見のいい青年がいたんだ。あの人が俺の初恋の人だった」 「根っから男が好きだったのか」 「そうだな、自分の気持ちに気づくまで女性と関係を持ってもいまいち好きという感情を持てなかったんだが、あの人と出会って自分の恋愛対象が男だと気づいた」  目を細め、昔を懐かしんでるような彰人の姿に何故だか悠哉の胸はきゅっとなった。モヤモヤとした気持ちが渦を巻いて自分の中に存在している。悠哉はそんな自分の気持ちを無視するように「その人とはどうなったの?」と問いかける。 「正直に話したらお前に嫌われるからこれ以上は話せない」 「はぁ?なんだよそれ」 「もういいだろ俺の話は」  この話はこれで終わりだと言うように彰人は右手をヒラヒラさせた。これ以上話すことに対して本気で嫌がっているようだ。 「その人に興奮とかした?」  突拍子もない悠哉の問いかけに「はっ…?」と彰人は目を見開き固まってしまう。 「急に何言い出すんだ?」 「陽翔に言われたんだ、悠哉は僕とセックス出来るかって。俺は何も言えなかった、だから陽翔は俺の気持ちが恋じゃないって言ったんだ。だけど恋愛に性欲って必ずしも必要なのか?そばに居たいって思うだけじゃ駄目なのか…?」  悠哉は先程陽翔に指摘されてしまったことを彰人に打ち明けた。自分よりも歳上の彰人なら悠哉の悩みを解決してくれるのではないだろうかという期待を込めて彰人の答えを待つ。彰人は「はぁ…」と息を吐き、言葉を続けた。 「そういうことか、お前は急に突拍子もないことを言うくせがあるな。それでお前の疑問だが、俺の答えは恋愛に性欲は必要だと思う」  彰人の答えを聞き、悠哉は落胆した。彰人の言っていることが間違いだとは思わないが、彰人なら自分の考えを理解してくれるのではないだろうかという期待が少しあったものだから思わず肩を落としてしまう。 「お前は陽翔とそういった関係になることを望んでいたんじゃなかったのか?」 「無理だ、正直そういった空気になるのもキツい」 「それだと話が変わってくるな、じゃあお前は友人として陽翔と離れたくないんじゃないか?」  そんなことはないという気持ちを込め「だけど俺は陽翔以外にもそんな性的感情は絶対抱かない!AV見たって興奮できねぇし」と口にする。  悠哉の言葉にぎょっとした態度をみせた彰人は「そんなこと俺に言っても良かったのか…?」と心配そうに聞いてきた。 「どういうこと?」 「だってそういう話はデリケートなものだろ?俺みたいなお前に対して好意を抱いてる奴に話すことではないと思うけどな」  悠哉には彰人の言っていることがあまりピンと来ず「そうか?」と頭を傾げる。確かに悠哉自身こういった話は得意でないのだが、他に相談できる相手もいないため彰人に聞くしかなかった。  しかし彰人の言葉を受け、この先の話をするか言葉に詰まってしまう。そんな悠哉の姿を見た彰人は「まぁいい、お前が気にしないなら話してくれ」と話を促したため、悠哉は恐る恐る話を続けた。 「他人のそういう興奮してる?ような姿がどうにも気持ち悪いと感じてさ、生理的に受け付けないというか…」 「なるほど、だから陽翔ともそういったことをしたいとは思わないわけか」 「まぁ…そうだな」  そうなってしまった一番の原因として、三年前のあの出来事があったからだろう。しかし、あの時のことを思い出すことが怖くて彰人には未だに話すことが出来ないでいた。その事に後ろめたさを感じつつも、悠哉は自分の気持ちを吐露した。 「もうわかんないよ、陽翔は俺にとって特別な存在で…好きなんだ。だけどこの感情が恋愛感情じゃないなら人を好きになるってどういう感情なんだ?俺には難しすぎて…」  悠哉はお手上げだというように目を伏せ顔を下げた。すると「そうだな…」と呟いた彰人は右手を動かし、悠哉の頬に優しく触れた。それにより悠哉の心臓はドキリと脈打ち、ふと顔を上げ彰人を見ると自分の顔をじっと見つめている瞳と目が合った。 「お前の陽翔への気持ちが恋かどうかはお前自身しか分からない、だから俺が教えてやることは出来ない」  頬に触れていた彰人の右手がするりと落ちると膝に置いていた悠哉の右手に重ねられた。 「だけど、恋がどういうものなのかは教えられる。相手に触れるとドキドキするし、触れられるとよりそのドキドキが高まっていく、幸福感で胸がいっぱいになるんだ。今の俺みたいに」  重ねられていた右手がギュッと握られ、指と指が絡み合う。いつもは冷たい彰人の手も今は体温が高く感じられ、彰人の顔も少し赤らんでいるように悠哉には見えた。今彰人は自分に触れていることによってドキドキしている、その彰人のドキドキとした気持ちがこちらにも伝染してくるように自分の気持ちも高まっているように感じられた。陽翔に触れられている時とはまた違ったこの感覚に動揺してしまい、悠哉は身動きが取れなくなってしまう。  目の前の男は真剣な表情で「俺がお前に恋を教えてやる」と口にした。その瞬間、先程までの気持ちが一瞬にして別の感情へと変わった。「くっ…ふふっ…」と悠哉の口からは思わず声が漏れてしまい口元を抑えると「どうした?」と彰人が顔を覗き込んできた。 「ふっ…あはっ、あははははっ」  悠哉は耐えきれなくなり、声を上げて爆笑した。そんな悠哉の姿に彰人は唖然としている。 「急になんだ!?なんでそんなに笑うんだ…!?」  彰人は握っていた悠哉の手を離すと、爆笑している理由がわからずわたわたしている。そんな彰人の横で未だに笑いは引くことはなく悠哉は笑い続けた。 「だってお前…っ、俺が恋を教えてやるとかっ…、真剣な顔して馬鹿みたいにキザなこと言うからおかしくって」  悠哉はひぃひぃと腹を抱えながら笑いの原因を説明すると「そんなに笑うほどか」と彰人は恥ずかしそうに口元を押えていた。 「その前までいい雰囲気だったじゃないか。お前だって多少はドキドキしてたんじゃないのか?」 「はぁ?別にドキドキなんかしてないし」  彰人にそう指摘され、悠哉は咄嗟に反論した。本当は少しドキリとした、なんて言ったらまた調子に乗るだろうから絶対に口には出来ない。  悠哉は笑いすぎて浮かべた涙を拭うと、先程までの暗い気持ちがマシになっていることに気がつく。 「なんかお前のおかげでちょっと元気になったかも」 「そんなにさっきの発言が面白かったのか?こっちは真面目に言ったつもりだったんだが」  彰人本人はあくまで真面目に言っていたらしく、それを面白おかしく笑われたことに納得がいっていないようで顔を顰めている。 「でも、腹を抱えるぐらい大笑いしてるお前の姿を見ることが出来たから悪くない気分だ」  そう言ってふっと優しく微笑む彰人の表情がとても柔らかく、心から愛おしいものを見る目のように悠哉には感じられた。そんな彰人の姿を見てまたドキリと大きく鼓動した心臓に悠哉は気付かないふりをしてサッと顔を背けた。 「まぁ、話は戻るが陽翔のことは好きだという気持ちのままでもいいんじゃないか?」 「どういうこと…?」 「恋愛感情じゃないにしても、好きなんだから好きでいい。それにお前はまだ恋も知らないような子供なんだから、これから経験を重ねて本当の恋愛をすればいいさ」  悠哉は「子供扱いするなよ」と反抗してみるものの、彰人の言葉に自分の心が幾分か楽になっていることに気がついた。陽翔のことが好き、それは変わらぬ事実で別に恋愛感情ではないと否定されたからその好きという感情を消す必要は無い、確かにその通りかもしれないと悠哉は彰人の考えに同意するものがあるなと思った。 「あー、でも陽翔の相手が難波なのは嫌だな」 「お前は本当に慶のことが嫌いなんだな」  呆れたように肩を落とした彰人に「難波のやつ、俺の陽翔への気持ちを曖昧だとか言いやがって、ほんと腹が立つ」と悠哉は不機嫌な態度を露骨に出しながら頬杖をついた。先程の難波とのやり取りを思い出すだけで悠哉の身体の奥からはふつふつと苛立ちがつのっていく。 「あいつは誰に対しても容赦がないからな。だけど陽翔のことは本気みたいだし、きっと大切にしてくれるさ」  少しの間を置いて悠哉は「…わかってるよ」と返した。陽翔のことを本気だからこそ難波は自分に突っかかってきたのだろうし、陽翔だって難波のことが好きだと言っていた。これはもう自分が引くしかないのだ、いい加減大人にならないといけない。 「悔しいけど、俺みたいな曖昧な気持ちを持ってるやつは陽翔のことを本気で好きだって言える難波みたいな奴には勝てっこないんだ、すっげぇむかつくけど俺も難波を認めてやらないとだよな」 「そうだな。いつか慶のことも認めてやってくれ」  そう言って微笑んだ彰人の表情がとても柔らかく、悠哉の心は自然と軽くなった。中学の頃は自分が彰人の相談に乗っていたのに今は立場が逆だな、と悠哉はふと三年前のことを思い出す。まさか彰人相手に恋愛相談をしているなんて、だけど彰人との距離がだんだんとあの頃のように戻ってきたような気がした。悠哉は気がついたら、彰人の隣が心地よいと感じるようになっていたのだった。

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