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番外編7
誰一人として存在しない静寂を纏った教室の中、涼井悠哉は自身の席に深く腰をかけ一人の男を待っていた。進路の話があるという理由で担任からの呼び出しを受けた悠哉の恋人である神童彰人、かれこれ一時間近く彰人の帰りを待っている悠哉は退屈から何度目か分からない欠伸をした。
彰人が進路のため担任から呼び出されることは特に珍しくもなかった。その一番の理由として、彰人がモデルというなかなかに物珍しい進路を選択しているからであろう。言わば芸能活動が主軸であるモデルという職業は、一般企業へと就職するのとは訳が違う。決して安定した就職先とは言えないために担任も心配する事が多々あるのだろう、そのため彰人は他の生徒よりも呼び出されることが多かったのだ。
こんなことなら先に帰っていれば良かったな、と少し後悔した悠哉だったが、彰人と共に過ごす時間は悠哉にとって特別なものであるため結局は待つ以外の選択を肢選ぶことはないだろうと頭の片隅で思った。
「うおっ、お前まだ居たのかよ」
教室の扉が開く音と共に、聞き覚えのある声が悠哉の耳へと入ってくる。顔を確認せずとも声の持ち主を特定してしまった悠哉は、意図せず机に顔を埋めた。
「おーい、寝たふりすんなよ」
コツコツと近づいてくる足音に「なんでお前なんだよ」と悠哉は渋々顔を上げる。
「なんでって言われてもな」
悠哉の前で足を止めた男、難波慶は呆れたように緩く口角を上げた。チラリと難波の姿を確認した悠哉だったが、すぐに視線を逸らし頬杖をつく。いつ目にしてもこの男はどこか余裕そうな笑みを浮かべており、鼻について仕方がない。苦手だ、何度この感想を抱いたところで難波に対する印象が変化することはなかった。
「彰人を待ってるのか?」
悠哉の前の席へ腰を下ろした難波は、椅子ごと後ろへと反転させ悠哉へと尋ねた。「まぁな、あんたはどうせ陽翔でも待ってんだろ」と悠哉が答えると、難波はいつにも増した眩しい笑顔を浮かべ「当たり」と答えた。
「陽翔と付き合えたからって随分浮かれてるな」
「おっ、分かるか?」
「…すげぇ腑抜けた顔してるから」
悠哉は思わずムスッと唇を尖らせる。今日の難波は特段と機嫌が良かった。そしてその理由は悠哉からすれば一目瞭然であり、なかなかに目障りなものだった。
自身の親友である柚井陽翔から、難波と正式に交際を始めたと告げられたのが今日だった。元々悠哉へと恋心を抱いていた陽翔は難波とは偽りの恋人同士であったのだが、紆余曲折あった末に二人の関係は進展し、陽翔は難波に対して恋心を芽生えることとなったのだ。本当の意味で恋人同士となった二人はなかなかにお似合いのカップルであった。悠哉自身も陽翔が特定の相手と特別な関係を築けたことはとても喜ばしく、親友の恋を応援しているつもりだ。けれどいざ二人が恋人同士という関係になると、腑に落ちない感情も未だに存在していた。それはたった一人の親友を取られたという何ともくだらない妬み、そして難波に対して好意的な印象を抱いていないせいでもあった。
難波慶という男とは如何せん相性が悪く、顔を合わせる度に一言余計なことを口にする難波が悠哉は苦手であった。陽翔と難波の交際は認めるが、難波に陽翔を取られたような気がして気に食わないという子供じみた感情も存在してしまっている現状だ。
「腑抜けた顔って…でも確かに浮かれてるかもな」
ニヤニヤと幸せそうな笑みを見せた難波に、悠哉の眉はピクリと動いた。やはり気に食わない、こうも幸せそうな姿を見せられると嫌でも腹の虫が疼いてしまう。
「なんだよ今日は随分と機嫌が悪いな、彰人と喧嘩でもしたか?」
「別にそういう訳じゃない、ただあんたの顔に腹が立っただけだ」
「なんだそれ、お前って彰人の前でもそんな態度なのか?そんなに素直じゃないといつか愛想つかされても知らねぇぞ」
瞳を細めた難波は嫌味ったらしくそう指摘した。その言葉に悠哉の苛立ちはさらに加速するものを感じた。
「別にあんたには関係ないだろ、とやかく言われる筋合いはねぇよ」
「まぁそうなんだけどな、だけどあいつの親友として俺は不思議なんだ、彰人の奴はお前みたいなのがタイプだったのかってさ」
「はぁ?」
難波の言わんとしている事を理解出来ていない悠哉は眉を顰める。一体難波は何を言いたいのだろうか、ただの嫌味か、それとも本気で疑問に思っているのか、悠哉には難波の意図が分からなかった。
「前に彰人の初恋相手の話を聞いたことがあるんだ」
初恋相手という単語に、悠哉は咄嗟に難波を見た。
「孤児院で一緒だった年上の男、優しくて爽やかな印象だったって言ってたけど悠哉とは真逆だよな」
「お前他に初恋相手について何か知ってるか?」
ずいっと顔を近づけ詰め寄った悠哉に、難波は少し圧倒された様子で「い、いや?これ以上は聞いてないけど」と口を回す。難波の返答に「…そうか」と悠哉は肩を落とした。
彰人の初恋相手、以前難波の別荘へ共に過ごした際に悠哉も彰人本人から初恋相手の話は耳にしていた。幼い頃に両親を事故で亡くした彰人は孤児院での生活が余儀なくされ、そこで出会った男性が初恋相手だと語っていたのだ。けれどそれ以上の事は聞き出せず、彰人自身も話すことを避けようとしていたように感じた。あれから初恋相手の話を聞き出そうとしなかった悠哉だったが、正直な話気にはなっていた。『これ以上話したらお前に嫌われる』彰人はそう言っていたのだ。初恋相手と一体何があったのか、知りたいという好奇心が無いと言ったらそれは限りない嘘だ。
「悠哉も彰人から初恋相手の話を聞いてたのか?」
「ああ…、だけどあいつは話したそうじゃなかった」
伏し目がちに瞳を下げた悠哉は、机の上に置かれた自身の右手を見つめた。彰人のことなら何でも知りたい、過去にどのような男性と恋に落ちたのか、そんな知る必要のないことでも気になってしまう。
「初恋相手の話なんて今の恋人に話したくはないだろ、お前だってそうなんじゃないか?」
「…っ俺は…別に…」
悠哉の胸は思わずドキリと跳ね上がる。初恋相手、悠哉は今までの人生人と関わることを極端に避けていたため、恋に落ちるような関係性まで他人と関わっておらず初恋と言われてもピンとくるものがなかった。それこそ自身の親友である陽翔に対して恋愛感情を抱いていると勘違いしていた時期もあったが、その感情も結局恋愛感情では無いと証明された。しかし今までろくに恋などしていなかった悠哉には今最愛の恋人がいる、つまりである、彰人こそが必然的に初恋相手となるのだ。
けれどそんな小っ恥ずかしい事実を難波相手に打ち明ける訳にはいかなかった悠哉は、とりあえずしらばっくれるしかなかった。
すると突然ガラリと教室の扉が開くと、悠哉が待ち望んでいた相手が教室へと入ってきた。
「よっ、彰人」
「なんでお前がいるんだ慶」
彰人に向け笑顔で手を挙げた慶に対し、彰人は眉を顰めた。「別に俺が居たっていいだろ」と難波は不満な顔つきで席を立った。
「じゃあな、俺は陽翔が来るまで適当に暇つぶしてるわ」
「マジで何しに来たんだよ」
「お前ら二人揃って俺に冷たいな、まぁ俺には陽翔がいるからいいよ別に」
不貞腐れた難波はそのまま教室を出ていった。本当になんだあいつは、と悠哉が扉の方を見つめていると「遅くなって悪かった。ところで慶と何を話してたんだ?」と彰人に問いかけられる。
「お前の話」
「俺の?」
切れ長の瞳をスっと細めた彰人、悠哉はその瞳を見上げるように凝視した。青く澄み切った瞳は海のように深い色をしており、周りの人間とは異なった色をした彰人の瞳が悠哉は好きで堪らなかった。瞳だけではない、その金に近い艶やかな髪、程よく筋肉がついた逞しい身体、思わず見とれてしまう端正な顔立ち、悠哉は彰人の全てに惚れ込んでいた。そしてその低く柔らかい声で名を呼ばれると、まるで少女漫画のヒロインかのように胸が疼いてしまう始末だ。
悠哉が「気になるか?」と口にすると、「ああ」と彰人は頷いた。彰人の返答に満足気に口角を上げた悠哉は、彰人を手招くように手を動かした。すると彰人は疑問を浮かべた表情で机に手をつき、身体を少し屈めた。
そのまま手を伸ばし、彰人の頬へと触れる。屈強な見た目をしている彰人でも頬は人並みに柔らかく、触れると温かい体温を感じた。頬へと触れた瞬間、彰人から息を呑む音が聞こえた。現に頬をさわさわと触り続けている悠哉に対して「お、おい、急にどうしたんだ」と困惑している様子が伺えた。
「なんか…急にお前を愛でたくなった」
悠哉が一言そう口にすると、瞬時に腕を掴まれた。そしてグイッと顎を上に向けられそのままキスをされた。
「ん…っ、んぅ…ふ…っ」
噛み付くように唇を奪われた悠哉は、呼吸ごと奪われてしまうような感覚に思わず身体を後ろへと引こうとする。しかしそれを許さまいとした彰人によりがっちりと後頭部を押さえられ身動きが封じられた。角度を変え何度も悠哉の唇を食むような彰人のキスは、ただ唇が合わさっているだけなのにとても官能的であった。
「ふっ…はぁ…彰人っ…」
ちゅっ、という水音が混ざり合うような音ともに唇が離される。息をすることすら忘れていた悠哉は、やっと許された呼吸に肩を揺らす。
「誘ったのはお前の方だからな悠哉」
まるで捕食者のようにぎらぎらと光を帯びた彰人の瞳が、悠哉を鋭く捕える。酸素が足りず思考が疎かになっている悠哉の頭は、ただ彰人を求めていた。本能のまま、悠哉は彰人のワイシャツの襟をぐいっと掴み引き寄せた。
「…もっと」
吐息を吐くように言葉を紡ぐと、一瞬だけ彰人の瞳が揺れ動いたように見えた。しかしすぐに唇を塞がれてしまったため、悠哉に再び快感が襲う。
僅かな唇の隙間から彰人の舌が侵入してくる。口内が厭らしく犯されていく感覚に、悠哉の身体は自分の意思に反してびくん、と動いてしまった。彰人の舌が悠哉の口内を愛撫するようにねっとりと動く度、舌の生暖かい感触が直に伝わりゾクゾクとした快感へと誘導される。そして唾液の混ざり合う音が悠哉の聴覚までもを犯していく。
「んぁ…っふぅ…んっ…」
息苦しくて辛いはずなのに、気持ちが良くて悠哉はどうにかなってしまいそうだった。濃厚なキスが悠哉を虜にし、唾液が溢れるように彰人に対する愛おしいという感情も溢れていくようだった。
「んっ…はぁ…っ」
舌が引き抜かれると、二人の間には銀の糸が紡がれる。離れていく彰人の唇を、悠哉は追うように見つめた。
「よりによって学校で煽らないでくれ、歯止めが効かなくなったらどうするんだ」
優しい手つきで悠哉の唇を拭った彰人は「ほら、もう帰るぞ」と言い身体を上げた。
「なぁ、帰ったら抱いてくれ」
彰人を追うように立ち上がった悠哉は、鞄を持つことすらせずに彰人の袖をくいっと引っ張った。振り向いた彰人の瞳には欲情の色が浮かび上がっており、悠哉は唾液をごくりと飲み込む。全身が火照って仕方がない、先程のキスでおかしくなってしまったのか、下半身の辺りがずくりと疼いている。
「俺がお前のキスに弱いの知ってるだろ…?ここがずっと疼いてるんだ…」
悠哉は自身の下腹部を触り、彰人に訴えかけた。どうしてだろうか、今日は一段と気分が高揚している気がした。まるで変なものでも飲まされたと疑いたくなるほど、今の悠哉には冷静さというものが欠けていた。彰人とのキスが引き金となったのか、それとも他に理由があるのか、悠哉には考える思考というものすら欠如していた。
すると、ふにっと悠哉の頬を掴んだ彰人は「抱いてやるからそんなに煽らないでくれ」と何かに耐えるように瞳を細めた。すぐに頬から手を離され、そのまま彰人はガラリと教室の扉を開けた。「置いていくぞ」という声に、とろんと蕩けた思考の中悠哉は思いのまま口を開く。
「お前の初恋相手って誰なんだ?」
彰人の大きな背中を一心に見つめた悠哉の口からは、こぼれ落ちるように疑問が漏れた。ぴたりと動きを止めた彰人は「何故そんな事を聞くんだ?」と振り向いた。
「難波が…彰人の初恋相手は俺とは真逆だって言ってたからどんな人だったのか気になって…前にも話してくれたことあったけどなんかお前話したくなさそうだっただろ?なんでなんだ?」
悠哉はまるで幼子のように純粋な眼差しで彰人へと問いかける。何故今このタイミングでこの質問をしたのだろうか、それを考えたら単なる好奇心の一言で片付けられてしまうだろう。ぱっとその疑問が頭に浮かび上がり気になったから、それこそなんでも知りたがる幼い子供のように、悠哉は彰人の過去に興味があった。
「慶が何を言ったか知らないが昔のことなんて知ってもどうしようも無いだけだ、お前が知る必要はない」
「知る必要がないって…俺は知りたいんだよ。それともどうしても話せないような事があるのか?」
「…話したくない」
彰人のその一言で、悠哉はこれ以上聞き出そうとする事は困難だと察した。表情一つ変わりのない様子だったが、どこか寂しげに見える彰人の姿に「お前が話したくないならもう聞かない」と悠哉は呟いた。
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