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番外編7

「彰人、お前は独りじゃない。お前は優しい子だからいつかきっとお前を受け入れてくれるような人に巡り会えるよ」  どこまでも大人びた男の笑みに、彰人は懐かしい気持ちを抱くと同時に心が冷えていく感覚に襲われた。男の頬に触れようと手を伸ばしてみるが、男に触れることは叶わないというように彰人の手がぴたりと静止する。 「椿…さん…」 「俺みたいな男を好きになるもんじゃないよ」  男はいつものような飄々とした態度で彰人に笑いかけたが、その笑みはとても寂しそうに見えた。  ゆっくりと瞼を開くと、見慣れた天井が目に入る。寝起きの覚醒しきっていない状態、ただ一点に天井を見つ目ていると、自分は眠っていたのだと思考が徐々に回復していく。  ──俺は夢を見ていたのか…。  夢と現実の狭間にいるような不安定な状態で、今しがた自分の見ていた情景が全てただの夢なのだと彰人は気がついた。夢というのはあまりに現実的過ぎる夢、いや、あれは彰人自身の記憶に限りなく近いものだ。  忘れようとしていた記憶が夢として彰人の脳内に映し出された。彰人は最悪な目覚めの中、ゆっくりと身体を起こした。 「よう彰人、ってなんか機嫌悪いな」  彰人が教室へと入ると、自身の親友でもある難波慶に声を掛けられる。 「たまたま寝起きが悪かっただけだ」 「へぇ、また悠哉と何かあったかと思ったけど違うのか」  彰人が席へ着くと、慶も彰人の隣へと座った。本来慶は隣の席では無いのだが、慶は我が物顔で足を組んだ。 「それよりお前、悠哉に余計なことを言っただろ」 「余計な事?何の話だよ」 「俺の初恋相手の話だ、勝手に話やがって…」  彰人は不機嫌な態度で慶を睨んだ。しかし「ああ、その事か」と口にした慶には、全く反省の色が見えない。 「だってお前の初恋相手って悠哉とは真逆のタイプなんだろ?だからちょっとした世間話のつもりで話したんだが、お前の機嫌が悪くなるほどの禁句だったのか?」 「いや別に…ただあれから悠哉の様子が少しおかしいんだ」 「へぇ、どんな風に?」  慶に問われ、彰人は先週の恋人の姿を思い出す。金曜の放課後、進路関係で担任から呼び出しを受けていた彰人は悠哉を小一時間待たせてしまった。  急いで悠哉が待つ教室へ向かうと、そこには珍しく悠哉と慶が二人で話している様子が見えた。彰人が来たら慶はすぐに出ていったが、悠哉の様子がおかしかったのはそこからであった。急に彰人の顔を触り出した悠哉は、まるで欲情を孕むかのような瞳で『お前を愛でたくなった』と口にしたのだ。その一言で彰人の理性は打ち砕かれるようだった。世界一愛おしい相手にそのような事を言われてしまっては、彰人だって我慢出来なくなってしまう。教室内だというのに、彰人はそのまま悠哉の唇を強引に奪った。けれどまだ多少の理性は繋ぎ止めていたために、何度か唇を合わせるだけで辞めたのだが、あろう事か悠哉の口からは『もっと』という催促の言葉が放たれた。彰人の理性も虚しく、二人は濃厚なキスに勤しんだ。それでも彰人はあのまま悠哉の衣服を剥ぎ取らなかった自分を褒め讃えたい程であった。キスだけで留めたのだから及第点であろう。  それにしても、あの時の悠哉は本当におかしかった。案外シャイな悠哉は自ら求めるといった行為をする事が稀であり、自宅で二人きりの際にもなかなか悠哉から雰囲気を作り出すことは無かった。けれど先週の悠哉は、熱を帯びた瞳を向け自ら彰人を求めたのだ。それも学校内という誰かに見られてもおかしくは無い状況でだ、普段の悠哉からは考えられないだろう。 「妙に積極的というか…あいつにしては珍しく素直過ぎたんだ」 「ふーん、でも積極的だったならむしろお前にとってはいい事なんじゃないか?」  慶の物言いに、彰人は言い返せずグッと言葉に詰まる。慶の言い分は最もであり、積極的で素直な悠哉はとても魅力的であった。  あの日は家へ帰るとすぐに行為へと持ち運んだ二人だったが、普段のセックスとはまるで違い白熱したのだった。積極的に彰人を求める悠哉に感化され、彰人自身もタガが外れたように悠哉を求めた。思い出すだけでも下半身に熱が帯びていくようだ、これ以上はまずいと彰人は冷静な思考を取り戻そうと「まぁ確かに、お前の言い分も一理あるな」とコホンと咳払いをした。 「だけどあれだな、悠哉の様子が変だったのは単にお前の初恋相手を意識し過ぎたんだろ」 「意識し過ぎただと?」 「悠哉とは真逆の初恋相手、実は彰人は自分とは異なった男がタイプなんじゃって思って焦ったのかもな」  自分では辿り着かなかった考えに、彰人は数秒思考を整理した。彰人の初恋相手を気にしていたからあんなにも積極的な態度だったというのだろうか。言ってしまえば嫉妬、もし慶の考えが真実ならば、なんて愛おしいのだろうと彰人は思わず口元を覆った。 「それだったら可愛すぎるな…」 「まぁ、あくまで予想だけどな。で、結局お前のタイプはどうなんだよ」  まさに愚問である慶の質問に「俺が愛しいと思う相手は今もこれからも悠哉だけだ」と一生揺るぐことは無いであろう回答をした。    悠哉から連絡が入ったのは、彰人が今にも悠哉を迎えに行こうと席を立った時であった。 『用事が出来たから先に帰ってろ』  簡潔な文面がとても悠哉らしかったが、彰人はその内容に顔を顰めた。急に用事とは一体どうしたのだろうかという疑問も無いわけではなかったが、先に帰ってろという文面に彰人の眉間はさらに深まった。  用事が出来たからといって先に帰るなどという選択肢彰人にはなかった。たとえ何時間待ったとしても、悠哉を置いて帰るわけにはいかない。まぁ、単に悠哉と共に帰りたいという彰人自身の私欲に過ぎないが。  彰人は上げた腰をもう一度沈め『いや、待ってるから一緒に帰るぞ』と悠哉へ送る。 「はぁ…」  彰人の口からは短くため息が漏れる。あれから悠哉の様子がおかしな事はなく、至って普通だった。初恋相手についてもこれ以上言及されることはなく、彰人はどこか安堵していた。 『彰人、お前は独りじゃない』  彰人の脳裏に今朝の夢が映し出される。慌てて立ち上がった彰人は教室を出た。  部活へと向かう生徒や帰宅する生徒が多い中、彰人はすたすたと特に意味もなく廊下を歩き始めた。何故今更あのような夢を見たのか、彰人の表情は曇りがかったように沈んだ感情が溢れ出ていた。  悠哉の口から初恋相手の存在を聞き出され、まるで眼前に靄がかかったような感覚に包まれた。彰人にとって思い出したくもない過去の一つであり、悠哉には話したくない、いや、話す訳にはいかなかった。もし真実を知られた時が来たとしたら、それは悠哉から嫌われてしまう事は確実であろう。悠哉から嫌われる、それは彰人にとって絶望を意味する。 「あれ、彰人」  その声に彰人はハッと顔を上げる。そこには偶然にも悠哉の姿があった。普段の彰人ならば、悠哉の姿を視界に入れた瞬間胸が高鳴るものだ。けれど今の彰人は胸が高鳴るどころか、心臓が動悸することを放棄しているかのように静かだった。 「どうしたんだお前…?」  一言も言葉を発さない彰人を悠哉は不振そうに見つめている。しかし彰人にはそんな悠哉の不振げな様子すら見えていなかった。悠哉の隣にいる男、その男から目が離せない。 「彰人…?お前神童彰人か?」  男が彰人の名を口にする。それによって悠哉は驚くように「えっ?彰人の事知ってるんですか?」と男に尋ねた。 「ああ、施設で一緒だったんだ」 「俺は覚えていません」  男の言葉を遮るかのように、彰人は一言そう言った。すると男は表情を崩すことなく「そっか、まぁあの頃のお前はまだ幼かったからな」と笑った。 「悠哉、今日はありがとう。もう大丈夫だから帰っていいよ」 「えっ、でもまだ全部廻ってませんよ?」 「大丈夫大丈夫、向こうの方の校舎は今日一通り散歩してたから大体は把握済みなんだ。だからここまでで十分だよ」  男は悠哉の肩に手を置き、ニヒルな笑顔を見せた。 「じゃあ俺は職員室に戻るね、二人とも気をつけて帰るんだよ」  そのまま去っていった男の後ろ姿、そんな男の後ろ姿が彰人は懐かしくて仕方がなかった。 「本当に覚えてないのか?」  悠哉の鋭い指摘に、彰人の心臓は忘れていた鼓動を取り戻すように加速する。悠哉の探るような瞳が、彰人の心までもを見透かすようだった。 「ああ、本当だ。あの男は誰なんだ?見慣れない顔だったな」 「今日から来た教育実習生の椿先生だよ、たまたま校舎を案内してくれって頼まれたんだ」  彰人は何とか平然を装い「そうだったのか」と相槌を打つ。しかし未だに疑り深い視線を向けている悠哉の瞳は鋭いままであった。 「同じ施設だって言ってたけど、お前が施設を出たのって高校に入ってからだろ?三年前ぐらいの事なら覚えてるんじゃないか?」 「確かに施設を出たのはまだ最近だ。だけど俺は施設では特に親しい関わり合いをした人間はいなかったし、施設の人間全てを覚えている訳では無い」  あくまで彰人は冷静に答えた。けれど悠哉は納得のいっていない様子で眉間のシワを深めるばかりだ。 「俺は正直に言っている、なのにお前は何を不満そうな顔をしているんだ」  彰人は不快な感情を抱きながらも、悠哉に勘づかれないように表情を緩める。  ──この話はもういいじゃないか、辞めよう、これ以上詮索しないでくれ。 「俺にはお前が嘘をついているように見える」  ヒュッ、と喉が鳴る。全てを見透かす悠哉の瞳が、彰人には恐ろしくて堪らない。 「言いたくないなら言わなくていいけど…だけど嘘はついて欲しくない。なぁ彰人、椿先生の事本当に覚えていないのか?」  悠哉の悲しそうな瞳、彰人は己の未熟さを恥ずように心を痛めた。しかし彰人には真実を話す事など出来ず、痛む胸の中「覚えてない、俺は嘘をついていない」と嘘を口にした。

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