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番外編7

 自室へと入った彰人は、そのまま倒れるようにベッドへと横になった。  悠哉に嘘をついた、その事による後悔や罪悪感、彰人は自分自身がとにかく憎かった。しかしどう転んでも彰人が悠哉へ真実を伝えることはなかったであろう。決して悠哉には知られてはいけない過去があるのだから。  椿、彼の事を覚えていないはずがなかった。今朝だって彰人の夢に出てきたほど、椿の存在は彰人にとって大き過ぎる程であった。  椿との出会いは、彰人が小学生の頃だった。幼くして両親を事故でなくした彰人は、必然的に孤児院で生活することとなった。  彰人同様何かしらの理由で孤独となった子供達の行き場である孤児院は、決していい環境とはいえなかった。職員たちは施設の子供達の面倒を仕方がなく見ている、そんな業務的な態度であり、まるで愛情など感じられない。大人からの愛情なくして周りの子供達のように育つはずもなく、施設の子供は皆瞳に光などなかった。  彰人自身、人生の半分以上を施設で生活してきたが、愛着などなく戻りたいとすら思えない。しかしそんな中で唯一、椿は少し違っていた。  彰人が十歳の時、彰人のいる孤児院は他の孤児院と合併する事になった。その時彰人は初めて椿という男と出会った。  彰人よりも五つ歳上の椿は、既に中学を卒業しており他の子供達にとって頼れる兄のような存在だった。椿がいた孤児院は皆仲が良く、椿達が来てからというもの、孤児院の雰囲気が変わり始めた。皆が全員仲良く笑いの絶えない環境という訳ではなかったが、以前よりは確実に施設の雰囲気が明るくなったのだ。椿の存在があったからだろう、優しく明るい大人びた椿という男は、施設の職員よりも頼りになる皆の兄だった。  けれど彰人は椿の存在をよく思っていなかった。いつもヘラヘラとした笑みを浮かべている椿を不気味とさえ感じていた。他の子供が椿に心を開いても、彰人が心を開くことは無かった。 「彰人、お前はなんでいつも一人でいるんだよ」  普段と変わらず彰人が一人で本を読んでいると、突然椿が声を掛けてきた。椿と会話を交わすことはこの時が初めてであり、彰人は戸惑いを覚えた。 「別にあんたには関係ないだろ」  彰人が素っ気なくそう言うと、椿は困ったように眉を下げ「確かに関係ないけどさ」と彰人の隣へと腰を下ろした。 「人間って一人でいると精神的にも悪いんだよ。一人の時間は大切だけど、それが永遠に続くといつか壊れる。だから少しでもいいから他人とコミュニケーションを取ることも大切だよ」 「知ったような口で説教なんてするな」  吐き捨てるようにそう言うと、彰人はそのままその場を立ち去った。  椿の言葉は、彰人にとっては所詮ただの綺麗事にしか過ぎなかった。一人でいることの何が悪いんだ、余計なお世話だと椿の存在を鬱陶しく思った。  それからというもの、椿は極たまに彰人に話しかけるようになった。彰人は話しかけられる度全く聞く耳を持とうとしなかったが、椿の態度が変わることはなかった。  椿という存在は、彰人が出会ったことの無いようなタイプであった。常に一人でいる彰人は周りから浮いていた、そして見た目のせいもあり誰も近づこうとはしなかった。しかし椿だけは彰人を避けることはしたかった。かといって必要以上に彰人へと迫るような強引さはなかった。椿は決して彰人だけを贔屓する訳ではなく、全ての子供たちに対して優しく接していたのだ。いつしか彰人は椿との距離感に、心地よいという感情が芽生えていた。 「あんたの言う通りだった」 「え?何が?」 「少しでも他人とコミュニケーションを取る事が大切だって言ってただろ。あんたと話すようになって、その意味が少しわかったような気がする」  この時から既に椿という男に惹かれていたのだろう。その証拠として、彰人の言葉を受け「そっか、それは良かった」と微笑んだ椿に、彰人は胸が擽るような想いになった。  中学へ上がると、少しずつだが彰人も他者とコミュニケーションを取るようになった。恋人だって出来るような年頃になり、以前よりもマシな対人関係を築けていただろう。しかし、彰人はどこか不満を抱えていた。恋人が出来たとしても相手の事を本当の意味で好きになることはなかったし、相手の女も彰人の外見目当てで付き合ったのだと見て取れた。クラスメイトと接する時もどこか距離を感じ、自分は相手から怖がられているのだと嫌でも感じてしまう。  自分にはまともな対人関係を築くことは不可能だ、彰人が再度この事実を認識した時、椿だけは違っていることに気がついた。すごく親しいとまではいかないが、椿は彰人にとって気兼ねなく話すことが出来る人物となっていた。そんな椿への想いが、いつしか恋心に変化していることを彰人は自覚した。  今までの人生異性としか付き合った経験がなかった彰人だが、椿に対する感情に気づきを得てからは自分がゲイであると認識したのだった。 「椿さん、好きです」  彰人の行動は早かった。自分の気持ちに気づいてから、いち早く椿へと告白したのだった。 「はは、なんだよ急に?照れるなぁ」  椿は特に驚いている様子もなく、普段通りの笑みを浮かべた。 「俺は本気です、本気であなたの事が好きなんです。だから俺と付き合ってください」 「こんな色男に告白されるなんて俺も徳を積んだもんだな」 「茶化さないでください、椿さんの気持ちを聞かせてください」  ぐいっと距離を詰めた彰人は、逃がすまいと言うように椿を壁際へと追い詰めた。一瞬椿の瞳が揺らいだ事から、彰人は「椿さん…」と椿の手にそっと触れた。 「彰人、俺みたいな男はお前とは釣り合わないよ」  彰人の手から逃れるように腕を引いた椿は、彰人の頭をぐしゃっと撫でた。まるで子供扱いされているような椿のあしらい方に、彰人は思わず顔を顰める。  椿は施設でも歳上なため常に大人のような振る舞いをしていた。それは彰人にも同様であり、例え歳が五つ離れていても子供のようにあしらわれる事に不満を感じていた。そして今もまた簡単にあしらわれてしまった。彰人は耐えられずに椿の腕を掴み鼻と鼻が触れるまでの距離まで椿を引き寄せた。 「誤魔化すのはやめてください」 「…うん…そうだね、俺は他人と付き合ってその人の人生まで背負う自信がないんだ。だから付き合うとかそういうのはちょっと…無理かな」  人生初の告白は無惨を断られてしまった、しかし彰人はショックを受けるどころか、むしろ諦めきれない気持ちが根強く存在していた。  申し訳なさそうに困り眉を浮かべた椿に、彰人は「だったら好きになってもらえるまで口説きます」と椿の身体を優しく抱きしめた。  これが彰人の初恋だ、当時はまだ十四歳の子供だった彰人が初めて恋に落ちた相手。当時の彰人にとって初恋はとても甘酸っぱいもので、もどかしくもあった。しかし愛するという行為に不慣れな彰人が初めて恋をした、これは彰人の人生を変える大きな一歩であった。  椿に告白してからというもの、彰人のアプローチは積極的に続いていた。自分がここまで一途な性格だと思っていなかった彰人は、自分自身でもかなり驚いていた。そしていつしか二人は身体の係まで発展していた。彰人の強引さに椿が折れた形だが、二人の関係は確実に進んでいたのだった。  しかし一向に椿から恋人へなることへの良い返事を貰えることは叶わなかった。椿の本心が彰人には理解出来ない、身体を許してくれたとしても、椿の心は彰人の元にはなかった。 「いつになったらあなたをは俺の事を好きになってくれるんですか?」  ベッドへと身体を倒した彰人は、隣でTシャツに腕を通している椿へと語りかけた。 「好きだよ、彰人は俺にとって大切な家族だ」  またも椿は彰人への気持ちをはぐらかす。何度目だろうか、いつになったらこの人は俺のものとなってくれるのか、彰人の不満は募るばかりだった。 「恋人は作らないんですか?それとも俺が恋人には相応しくないだけですか?」 「そんな事ないよ、俺には勿体ないぐらいお前はいい男だよ」 「だったら…いい加減俺と付き合ってくださいよ」  彰人は縋るように己の指を椿の指へ絡めた。 「俺と付き合ったって不幸になる、お前には他に見合った人がいるよ」 「なんで…なんでそんな事言うんですか…?俺はあなたが好きなんだ、不幸になるとかそんなの関係ない」  彰人の訴えかけるような青い瞳が、椿の姿を捕える。しかし椿は切なく瞳を細めるだけで、口を閉ざしてしまった。 「椿さん…?」 「俺みたいな男を好きになるもんじゃないよ」  一言そう口にした椿は、彰人の知ることの無いような切なさを匂わす姿をしていた。彰人はこれ以上言葉を紡ぐことが不可能であり、ただ椿の手を握る力を強めるだけだった。  そして二人の関係は恋人へと進展することなく、唐突に終わりを告げた。それは二人が身体の関係を持つようになって半年頃だろうか、学校から帰宅した彰人は自室へと戻ろうと普段通り階段を上ろうと足を上げた。するとその時、彰人の耳にとある声が響いた。 「く…っ、ふぅ…」  くぐもったその声、彰人には聞き覚えがあった。椿の声だ、今はもう使われていない小部屋の向こうから、確かに椿の声が聞こえた。覗いてはいけない、頭がそう警告していた。けれどその声に彰人は引き寄せられるように小部屋の扉に近づき、扉の隙間からそっと中を覗き込んだ。  彰人は目の前の光景に息を飲む。そこには椿、そして最近入ってきた新人職員の姿があり、二人は性交に勤しんでいる最中であった。 「あ…っ…まって…っ」 「はぁ…椿くん…大きな声を出しては駄目じゃないか、誰かに聞かれたらどうするんだ?」 「すみま…せん…」  微かに聞こえる椿の喘ぎ声、彰人の眼前はぐらりと揺れた。信じたくもない光景に、彰人はすぐさまその場を去った。  自室へと戻っても、先程の椿の姿が脳裏にこびりついて離れない。椿が自分以外の男と関係を持っていたことに、彰人は我を忘れるほどショックを受けていた。  椿は自分にだけ身体を許してくれていた、彰人はそう思っていたが現実は虚しくも違った。ただの憐れみ、椿は優しい男だから彰人の我儘にただ付き合ってくれただけであった。  ──結局椿さんは俺の事なんざ好きでもなんでもないんだ。  初めての失恋は想像よりも遥かに辛いもので、幼き彰人へ深い傷を残した。それから彰人は椿へと距離を置くようになった。彰人から椿に話しかけることは無くなり、完全に避けている。しかし彰人の様子を言及する事がなかった椿は、必要以上に彰人と関わることは無かった。  やはり椿にとって自分など何ともない存在だった、彰人は嫌でも痛感することとなった。人を愛するという事は、その愛が実らなければただ自分自身が傷つくだけなのだと彰人は初めて経験した。そんな彰人は、恋なんてうんざりだと再び心を閉ざしたのだった。  間もなくして高校を卒業した椿が施設を出ていった。最後まで椿とまともな会話を交わすことがなかった彰人は、椿を見送ることすらしなかった。  暫くして、椿と身体の関係を持っていた職員が突然施設を辞めた。椿もいなくなった今、彰人としてはどうでも良い事だったのだが、職員が辞めた理由を知った彰人に衝撃が襲った。  たまたま他の職員二人が話している様子が目に入り、彰人は特に理由もなく耳を傾けた。 「いやぁ、でもあいつも馬鹿だよな、施設の子供に手を出すなんて」 「今どきそんな奴がいるんだな、俺らがしっかり目を光らせてないと」  職員たちが何を話しているのか、彰人は一瞬で理解出来た。施設の子供に手を出した、辞めた職員のことを指しているのだろう。そして手を出された子供とは恐らく椿の事だ。 「それにしても椿は凄いやつだよな、自分が被害者だっていうのに誰にも相談せず一人で解決させるなんてさ」 「ああ、まさか証拠として一部始終を録音するなんて普通子供がそこまで頭回らないよ。椿のおかげで他の子供たちに被害が及ぶ前に捕まえることが出来たわけだし、本当にあいつには頭が上がらない」  彰人に嫌な汗が伝う。被害者という言葉に彰人は鈍器に殴られたような衝撃を受けたようだった。この時まで彰人は二人が合意の上で行為に励んでいるのだと思っていた。しかし冷静に考えてみると、大の大人が未成年に手を出している、しかもその相手は施設の子供である。これは立派な犯罪であり、本来ならば現場を目撃した彰人がその場で止めに入るべきだったのだ。けれど冷静な思考が欠如していた彰人は、椿が他の男と関係を持っていた事に酷くショックを受け、椿に裏切られたのだと勝手に解釈してしまった。  職員たちの話を聞く限りだと、先日辞めた職員は未成年に性的行為を強要したことで捕まった。そしてその被害である椿は誰にも相談することなく、自身が身を呈して証拠を掴み職員を逮捕まで追い込んだのだ。そう、椿は被害者であり、彰人が遭遇したあの時だって無理やりに犯されていたのだろう。彰人はこの時初めて自身の過ちに気がついた。  しかし気がついたところで事は既に解決しており、当人の椿は施設を出ている。彰人が椿に出来ることは何一つだってなかった。自身の醜い嫉妬心に捕らわれ、椿を助けることすら出来なかった自分自身に対する後悔がただ積もっていくだけだった。

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