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1-19 王の呼び出し

 鬼谷からの来訪者は、約束を果たすために一旦鬼界に去り、藍玉(ランユー)碧雲(ビーユン)翠雪(ツェイシュエ)の一時的な処置によって意識を取り戻した夜鈴(イーリン)に、先程までの出来事を隠さずに話すことにした。  妃たちの誰かが、もしくは全員が示し合わせた可能性も含めて、その時の状況を聞く必要があったのだ。まだ本調子ではない夜鈴(イーリン)にはこの問答は難しいと思ったが、大丈夫です、とか細い声で了承してくれた。 「私が眠っている間にそんなことがあったのですね。蠱毒を使うなんて、余程私はあの方たちに恨まれているようですね」  おそらく、自分の中に半分流れる人間の血が気に入らないのだろう。彼女たちのほとんどが魔族の中でも貴族階級で、しかも上級貴族なのだ。  夜鈴(イーリン)と、第四皇子が原因で亡くなったらしい第五皇子の母親だけが、純粋な魔族ではなかった。  人界から自分の意思とは関係なく連れて来られた、もしくは和平の条約を果たすための贄として、大王に捧げられた、存在。  そういう役割は、人界でひっそりと暮らす主に半魔族に課せられる。どちらにも属せない、どちらからも疎まれる存在。  夜鈴(イーリン)は、後者だった。贄として捧げられ、魔界にやって来た。運良く藍玉(ランユー)を身籠ったおかげで、今のような待遇を受けているのだ。故に、妃たちだけの定期的な茶会は気が重かった。  第五皇子の母親であった蘭玲(ランリン)が亡くなって、その矛先は夜鈴(イーリン)だけに向けられるようになってしまった。しかし第七皇子の母である夜鈴(イーリン)を、直接的にいじめたりする者はいないし、嫌味は聞こえても罵ったりする行為はなかった。  裏でどんな風に囁かれているかは想像できるが。 「これは嫌がらせの度を超えてます。けれども首謀者を捜そうとすれば、大王様の耳に届いてしまうでしょう」 「父上がもしこの件に一枚絡んでいたとしたら、ますますあのひとの思惑通りになってしまう。母上に何かあれば僕が激昂して、皆の前で力を使うと思ってるのかも。そうなる前に翠雪(ツェイシュエ)さんに出会えたのは、運が良かった」  まだどうなるともわからない状況だが、彼は必ず約束を守ってくれると信じている。藍玉(ランユー)は心配そうに寝台の横に座って、夜鈴(イーリン)の手を握り締めた。  万が一何かあれば、冷静ではいられないだろう。このままここにいたら、いつその万が一が起こってもおかしくない。  権力争いになど巻き込まれたくもないし、そもそも魔王になどなりたくはない。赤い瞳を持って生まれてしまったがために、定められた運命。そんなものは、知ったことではなかった。 「魔王には玖朧(ジゥロン)兄上がなればいい。そもそも僕は三番目なんだから、この争いに加わる必要なんてないでしょ?」 「ではどうするのです?ここにいる限り、大王様はあなたのその"魔眼"の力を欲するでしょう。そしてなにがなんでも、と強行するかもしれません」  それは、と藍玉(ランユー)が口ごもった時、とんとんと扉を叩く音がした。  碧雲(ビーユン)は寝台の上にいるふたりに手で合図をし、自分が行きます、と扉の方へと向かった。少しだけ隙間を作るように開けると、そこには伝令の使者の姿が見えたので、仕方なく碧雲(ビーユン)は扉の半分を完全に開ける。 「伝令申し上げます。第七皇子、藍玉(ランユー)様。大王様がお呼びです。至急、ひとりで謁見の間へ来るように、とのこと」 「父上が?」  しかも至急とは、いったい何の用だろうか。 「ひとりで?護衛もなしに?大王様は何をお考えなのだ?」 「私は、伝令を伝えたまで。そのお心までは存じません」  眉を寄せ怖い顔で見下ろしてくる碧雲(ビーユン)に対して、表情一つ変えずあくまで伝えろと言われたことだけ伝え、使者は沈黙する。 「僕なら大丈夫。ちょっと行ってくるね。碧雲(ビーユン)、母上をお願い」 「気を付けて。この時宜(じぎ)にそのような呼び出し、なにか裏があるとしか思えません」 「藍玉(ランユー)、もし、どうしようもなくなった時は、わかりますね?」  夜鈴(イーリン)が握られていた手の上に、さらに自分の手を重ねた。ひんやりと冷たいその手に不安を覚えたが、藍玉(ランユー)はこくりと頷く。 「大丈夫だよ。じゃあ、行ってくるね」  立ち上がり、夜鈴(イーリン)の傍から離れると、そのまま扉の方へと歩いて行く。碧雲(ビーユン)と目が合う。頷き頷き返す形で、確かめ合う。  伝えたいことは先程伝えた。夜鈴(イーリン)の身を守ること。それ以上の命令はない。  ぱたんと閉じられた扉の音が、しんとした部屋にやけに響いた気がした。 「私はあの子の五歳の誕生日の宴の日から、大王様が怖くて仕方がなかったんです。聞いているでしょうけど、あの時、あの方は何も知らない藍玉(ランユー)に、間者を殺すように命じた。桃李(タオリー)皇子が贄奴隷にされたあげく自害し、そのずっと前に蘭玲(ランリン)様、花椿(ホアチュン)殿に仕える者たちすべてが亡くなっていたあの事件も、」  もしかしたら、すべてあの大王が裏で糸を引いていたのではないかと疑ってしまう。  第四皇子は上手く誘導されたのか、それとも本当に気まぐれでそんなことをしたのか、今となっては追及もできない。  あの後、地下牢に数年幽閉され、すでに罰は受けたからだ。梓楽(ズーラ)が魔王候補に名を連ねていなければ、そんな軽い罪で終わるはずはなかっただろう。 「もしかしたら、すべてあの方の企みかもしれない。そう考えると、恐ろしくて」  そこまで藍玉(ランユー)に執着するのは、なぜなのか。  どうして藍玉(ランユー)を魔王にしたがるのか。 「だとしても、ここまでする理由が?桃李(タオリー)様がなにをしたと?藍玉(ランユー)様に必要以上に近付いたから?でも、あの時のあの言葉は、」  あの時、花椿(ホアチュン)殿に戻って来た桃李(タオリー)の横で、藍玉(ランユー)と自分の前で呟いた言葉。 『桃李(タオリー)は、運が悪かったのだ。梓楽(ズーラ)に目を付けられなければ、こんなことにはならなかっただろう』  あれは、あの慈愛に満ちた笑みは、我が子を憐れんでいるように見えた。  それとも、大王でも予想できない動きを梓楽(ズーラ)がしたのか?  そもそも、ここが結託していると決めつけるのも時期尚早な気もする。 「とにかく、俺があなたと藍玉(ランユー)様を必ず守ります。それが、俺がここで生き続けるための、唯一の理由ですから」  真面目な顔でそんなことを言う護衛官に、夜鈴(イーリン)は「ありがとう」とひと言囁くように呟くと、花のように微笑んだ。  そこには不安もあったが、どこか安堵しているようにも見えたので、碧雲(ビーユン)も大きく頷く。 (大王様は、出遭った時からずっと、その心の内が全く読めない。ただ、ひとつだけはわかる)  現大王、紅黑鳴(ホンヘイミン)。  この魔界を統べる魔王。その地位に相応しい者は、彼をおいて他にいないだろう、と。

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