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2-20 染まる ※注

 あの後、どうなったか。  桃李(タオリー)を抱きしめたまま放さない梓楽(ズーラ)に、大王は呆れた顔で言った。 「まさか桃李(タオリー)がそこまでお前に執着していたとは、正直予定外だった。だが、お前の返答次第では助けてやらなくもない」 「は? もう脈も息もない。魔力も受け付けないのに、今更助かるはずがない」  冷たくなった身体には、もはや何の音もない。  あんなに流れていたはずの血も止まり、とうに乾いている。 「蠱毒を取り除けばいいだけ。それは緑葉(リュイェ)に作らせた特別なものでね。もちろん解毒薬も存在する」  第三皇子である緑葉(リュイェ)。偽っている自分とは違い、あれは本物のイカレ野郎だ。実験と称して、同族さえ切り刻む。蠱毒を作るくらい朝飯前だろう。 「お前はこれから三年間、牢で軟禁される。蘭玲(ランリン)と従者たちを殺し、桃李(タオリー)を贄奴隷にして監禁した罪。彼はそれに耐えられず自害。そういう筋書きだ」  つまりは、一連の事件を自分の仕業として、第四皇子は完全に狂ってるという印象を与えるための、印象操作。あとは、その罪を公表することで桃李(タオリー)を慕っていた藍玉(ランユー)の怒りの矛先を、自分に向けさせるためだろう。 「お前にはまだまだやってもらうことが山ほどある。そのために、ご褒美は必要だろう? 牢に繋がれている間は責任をもって面倒を看てやる。その後は好きにするといい。目覚めるかどうかは桃李(タオリー)次第だ。さあ、どうする?」  淡々と。  何の感情も浮かべずに紡がれる言葉。  選択肢など、あるようでなかった。 「良い子だ、」  立ち上がり、抱き上げた桃李(タオリー)を渡す。そして大王直属の護衛たちに取り押さえられると、そのまま地下牢へと連れて行かれ鎖で繋がれた。  三年間。牢で静かに過ごした。何も考えたくない。ただじっと魔力を溜め続けた。外でどんな噂が流れていようが、誰に恨まれていようが、見限られようが、どうでもよかった。  禁を解かれ、すぐに任務を言い渡される。それを成し遂げたら桃李(タオリー)を返すと言われた。より残酷に、より狂気じみたやりかたで殺して来いと。  そんな中、あの道士の兄弟の姿を目にする。弟が兄の前に立ち塞がり、弱いくせに兄を守るように盾になったりして。  気持ち悪い。  吐き気がする。  そうやって、守ろうとする姿に桃李(タオリー)の影が重なった。気付けばその胸を貫いていた。ぽっかりと空いた穴の先に、もうひとつの視線が現れる。憎しみと絶望に満ちたその眼に、希望(ひかり)を見た。  この者は、自分を殺してくれるのではないだろうか? このくだらない使い捨ての駒に、終わりを齎すのではないか? だから、生かした。    生きて生きて、そして殺しに来いと。  任務を終え戻ると、寝所に桃李(タオリー)が丁重に寝かされていた。綺麗に整えられ、傷のひとつもない。まるで死人のように動かない人形のようだった。  そ、と頬に触れるとそこに温度があった。  息をしていた。  どくん、どくん、と心臓が同じ速度で動いていた。生きて、いた。 「······約束は、守る」  父を欺きつつ、目的を遂げる。道化を演じながら、すべてを騙してみせる。  いつか目覚めた時、また笑ってもらえるように。  褒めてもらえるように。  そしていつか、ふたりで――――。 ******  藍玉(ランユー)が上手く誤魔化し魔界を去ってから、五年が経った。  あの死体をよく調べもせずに処理をしたのは、大王にはわかっていたからだろう。あれが偽物であることを。けれどもそこには触れず、今でも行方知れずで通しているのは、結果的に大王の思う通りに事が進んでいるから。  最初から、こうなるように仕組んでいたのだ。予定外のことはいくつか起こったが、藍玉(ランユー)が魔界を去る事は想定内だったのだろう。そのために自分を使い、なるべくしてなった結果なのだ。  桃李(タオリー)との約束。それさえも、大王の手の平の上で踊らされたものだったと知った時、すべてを諦めた。抗うより従う方が楽だと思い知らされる。  一年前、母が自害した。  理由は知らない。住んでいる宮も違うし、ずっと逢っていなかったから。顔も思い出せない。何の感情も生まれない。  ――――数ヶ月後。  いつものように眠ったままの桃李(タオリー)に魔力を注ぐ。ぴくりとも動かない冷たい手を握り締め、一定量分け与える。  贄奴隷として、桃李(タオリー)に魔力を注ぐことに抵抗はなかった。皮肉なもので、あの時もそうだが、魔力を注いでいたのは自分で、与えられていたのは桃李(タオリー)。  しかし自分の罪として大王が皆に告げたのは、真逆だった。桃李(タオリー)を監禁して贄奴隷にし、魔力を数ヶ月かけて摂取した、と。  つまり、血の繋がった弟である桃李(タオリー)を乱暴した上で魔力を奪い、非道な行いをしたという罪。  そんなことをせずとも、魔力は注げる。  それが一番効果的であることはもちろん知っているが、ただでさえ弱っていたあの状態でそれをすれば、命を落としかねない。そんなことは望んでいなかった。少なくとも、自分は。  握りしめていた手を離し、元の状態に戻す。薄桃色の羽織の袖を整え、白い衣の歪みを伸ばす。時々身体を拭いたり、衣を交換したり、髪を直したり、爪を切ったり。そんなことを八年も続けている。  この宮にはふたりだけ。  従者はひとりもいない。静かな宮には自分たち以外の色も音もない。  開け放った扉から風が迷い込む。そんな時だけ、飾っている鈴の飾りが涼し気にりんりんと鳴った。不規則に鳴り響くそれは賑やかしく、なにもなかったセカイに彩を与えた。  その音に気を取られ、梓楽(ズーラ)は何もない庭の方に視線を向けている。その横顔を薄っすらと開いた琥珀色の瞳が見つめていた。ぼんやりと。少しずつ戻ってくる意識。鈴の音。漆黒。 「········わたし、は、」  死んだはずだった。この手で終わらせたはずだった。それなのに、どうして? 「······桃李(タオリー)?」  戸惑うような視線が注がれる。声。手を伸ばす。鉛のように重たい身体。冷たい手が伸ばした手を包み込む。その優しさに、自然と笑みが零れた。 「生きて、る? 私、は······死ねなかったんですね」  いや、生かされたのだろう。  結局、なにも変えることができなかった。重荷は重荷のまま。鎖のように絡まって梓楽(ズーラ)を縛り付けている。 「藍玉(ランユー)はお前の望み通り、魔界を去った。あの時の約束は果たした」  握られた指先に力が入る。 「蠱毒もすでに解毒されてる。魔力もちゃんと戻ってるだろ?」 「······あれから、いったいどれくらい経ったんですか?」  身体を起こし、色のない肌や細くなった手首に視線を落とす。その割には綺麗に整えられている身なりに、不思議そうに首を傾げている。 「八年だ。ずっと眠り続けていた。実際、お前は死んだことになってる。これからどうしたい? お前が望むなら、魔界から逃がすこともできる」  どこかほっとしたような表情を浮かべつつも、どう接していいかわからないのだろう。梓楽(ズーラ)は手を握ったまま、それ以上の事を望まなかった。心の内を隠すのは得意で、淡々と落ち着いた声音で話す。  本当は、目覚めたその時に大声でその名を呼びたかった。  抱きしめたかった。  ずっと待っていたと、伝えたかった。 「私は、ここにいます。ずっと、あなたの傍であなたを守ります」  あの時の狂気じみた感情は、消えることなく胸の中に留まっている。このままその身を慰める道具になるのもいい。もう、桃李(わたし)はいないのだ。存在しない者となった自分に、未来など、ない。  それでも赦されるのなら。  それでもいいと、言ってくれるなら。 「名を変え、姿を偽り、あなたのために生きます」  そして地獄の果てまでついて行く。  その笑みは、どこまでも純真無垢。その狂気に、溺れる。本当に狂っているのは、誰か。思い知らされる。  それでも、いい。  あなたのために、二度目の生を生きると決めた。  このセカイは、ふたりだけでいい。  ふたり、同じ色に染まっていく――――。 ◆◇ 第二章 了 ◇◆

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