2 / 69
第2話 神様と鬼
中はマンションの一室を改築した事務所のようだった。
ソファに座って待っていると、眼鏡の男が茶を運んできた。
「他に誰か、いないんですか?」
事務所の中は静かだし、人気もない。
「ここは私一人で使っています。同じ業種の仲間は多くいますが、各地方に一組か二組といったところです。関東ブロックは今のところ、二組で切り盛りしています。そのうちの一つの事務所がここ、埼玉支部です」
眼鏡の男が名刺を差し出した。
「警察庁公安部特殊係13課 霊 ・怨霊担当 化野 護 です。今後、君は私とバディを組むことになります」
手渡された名刺を眺めて、直桜は目を細めた。
「霊・怨霊担当……」
「驚かないんですね」
呟いた直桜に化野が何の感慨もない声を掛ける。
「いや、採用の速さには驚きましたけど」
「そうではなく、こっち」
化野が名刺の肩書を指さす。
直桜は頭を掻いた。
「俺、ちょっと霊感あるんですよ。怪異って割と身近だし、国が公にしていない処理部隊とかあっても不思議じゃないかなと思うから、別に」
「嘘ですね」
目を上げると、化野がじっと直桜を見詰めている。
「貴方の霊感は、ちょっとどころではない。怪異にも慣れ過ぎだ。13課の存在も、最初から知っていたんじゃないですか?」
この目はまずい、と思った。
敵意を孕んだ疑いの視線、直桜が最も面倒と感じる嫌いな目だ。
何より、目の前の男は恐らく自分と同類だ。
「はい、嘘です。13課、最初から知ってました。多分俺、化野さんと同じ類の人間です。でも別に、アンタらが敵視する存在じゃない。そこは信じてください」
両手を上げて、あっさりと降伏する。
化野が姿勢を整え直し、改めて直桜に向き合った。
「履歴書を拝見したところ、地元は滋賀県の大津市だそうですね。あの辺りは惟神《かんながら》が生まれやすい土地だと聞きますが」
直桜は心の中で、げんなりした。
(やっぱ、そういう話になるよな。来なきゃよかったな)
「身内にいますよ。13課の話は、そこで聞きました」
生まれながらに神の御霊を宿す惟神は稀有な存在として集落単位で大事にされる。
大昔は神様の生まれ変わりとして、生神という名の神社の御神体になっていたらしい。
近代になってからは、ある程度の年までは神社に仕え、成人すると国の機関に所属して仕事をするのが専らだ。
「貴方自身は? 惟神ではないのですか?」
化野が鋭い視線を向けてくる。
まだ何か疑っているらしい。
(ここで話すと、今までの俺の苦労が水の泡になるな)
とはいえ、このバイトを続けるなら、話さない訳にもいかなそうだ。
(よくよく考えたら、怪異絡みの国家公務員なんて、13課以外にある訳ないよな。いやでもまさか、一般非公開の国家機密の部署のバイト募集がネットの求人広告に載ってるとは思わないだろ)
地図アプリに場所が表示されない時点で疑うべきだった。マンションが現れた時、中に入らず引き返すべきだった。ここまでの自分の行動を、今更ながら後悔し始めた。
焦っていたとはいえ、自分の軽率さと浅はかさに嫌気がさす。段々、イライラしてきた。
「化野さんは? 化野さんも、そっち系の人でしょ? 惟神とは関係ないだろうけど、それっぽい感じでしょ」
苦し紛れに話を振る。
化野は険しい目をしたまま黙っている。
「答えなくてもいいけどさ。どうしても聞きたいってわけじゃないし。てか、俺、このバイトパスします。思ってたのと違ったし、13課にも怪異にも関わりたくないから」
出来れば、そういうオカルトじみた事象とは無縁の生活を送りたい。目立つことなく普通に、ごく一般的な生活ができればそれでいい。
(集落を説得する方法は他にもある訳だし、危うきには近寄らず、だ)
席を立った直桜の腕を化野が掴んだ。
「今更、パスはなしです。広告を見付けられた時点で貴方の採用は決まっていました。反社でないのなら、働いてもらいます」
化野が真っ直ぐに直桜を見上げる。
「反社ではないけどさ。いやいや、選ぶ権利は俺にだってあるでしょ」
直桜の腕を掴んだまま、化野が立ち上がった。手を握り直し、真っ直ぐに直桜に向き合う。
「私は、貴方と仕事がしたい。一目惚れ、と言ったら、信じていただけますか?」
「は……?」
真顔で何を言っているんだ、この男は。と思った。
初対面でたった数分いくらか会話しただけで、一体自分の何処に惚れたと言うのか。
「貴方の並々ならぬ霊力と神秘性は私と相性が良い。それに、多分かなり捻くれた性格も、割と好みです」
本当に何を言っているのだろうと思う。
何だか、力が抜けた。
脱力した直桜の手を、化野が離す気配はない。
(手が、熱い。何かが内側に、籠っている感じだ)
化野の体の中に、良くない気を感じる。それには、嫌というほど覚えがあった。
「なぁ、アンタ。いつから一人なの? 前のバディは?」
確か13課は、どんな担当でも二人一組で仕事をするのが常であるはずだ。
「半年ほど前に、仕事中の事故で殉死しました。それ以降は、良いバディが見つからず一人です。13課は常に人手不足ですからね」
表情筋をどこかに忘れてきたのかと思うほど、さっきから顔は動かない。だがよく見れば、顔色が悪い。肌の色も心なしか赤黒い。
(化野って姓は、確か……。京の外れの死体置き場、墓守の鬼、だったか)
直桜は化野の腕を掴み返した。
「別に助けようと思ってるわけじゃないけど。ここで見捨てるのは、俺が気分悪いだけだから」
化野の腕を引き、頭を引き寄せる。
唇を重ねて、悪い気を根こそぎ吸い上げた。
「ん! ……ぅっ」
声を漏らして閉じようとする口を無理やりこじ開けた。
舌を差し込んで、更に吸い付く。
化野の中に溜まった邪魅 が直桜の中に流れ込んでくるのが分かった。
ひとしきり吸い尽くして、ごくりと飲み込む。
唇を離すと、化野の体が傾いた。
「おい、ちゃんと座れよ」
ソファに促し、隣に腰掛ける。
背もたれに身を預けた化野が、呆けた顔で速い息をしている。
「霊や怨霊を相手にしてたら邪魅なんか堪り放題だろ。鬼化したくないなら、他の奴らに都度都度祓ってもらえよ」
迷惑そうに言い放って、息を吐く。
「祓戸大神 の惟神の浄化は、すごいですね」
呼吸を整えながら、化野が感心した声を出した。
「俺は祓戸四神の惟神じゃないから正確には浄化じゃないよ。直日神 だから、聞食 した。そのまま清祓 も浄化も出来るけど」
化野が顔を上げて、直桜を見詰める。
その目は先ほどまでの敵意ではない、まるで尊敬と憧憬の目だ。
化野が、がっしりと直桜の手を握った。
咄嗟に逃げようとするも、化野の手が吸い付いて離れない。
(こいつ、見た感じ細身の優男のくせに、力強すぎ。鬼の末裔だからか)
化野が直桜の両手を掴んだまま、顔を寄せてきた。
「結婚しませんか。一生大事にします。君がどんなに性格が悪くても愛し抜く自信があります」
「はぁ? アンタ馬鹿なの? 男同士で結婚なんかできないだろ。第一、性格悪いって最初から決めつけんなよ!」
腕をぶんぶん振って、何とか化野の手を振り解く。
「そう、ですね。手を握っただけで私の中の邪魅に気が付いて聞食してくれたのだから、瀬田くんは優しい人ですね。今まで隠して生きてきたのでしょう、自分が惟神だという事実を」
ドキリとして、化野を見上げた。
「惟神は13課に就職する者がほとんどだと聞きます。君の話は、実は噂程度なら聞いていました。祓戸四神より上位神を内包する惟神を、13課は絶対に放置しません。ここでバイトをしたら、自分から罠に掛かりに行くようなものです」
化野が、直桜の履歴書を差し戻した。
「今回はご縁がなかったということで。君の神気の残滓は消しておきます。この場所には13課の人間は滅多に来ませんが、全く来ない訳ではないので」
化野が立ち上がり、直桜の荷物を手渡す。
「……いいのかよ。バディが見つからないと、困るんじゃないの?」
「また募集をかけますよ。君ほど相性が良い相手は見付からないでしょうけどね」
玄関に促され、立ち上がる。
バイトをする気は無いが、何か釈然としない。
「今日は助かりました。あのまま邪魅を溜めていたら、私が祓われる側になるところでした」
化野を見上げる。
来た時より表情が柔らかい。体が楽になったせいもあるだろうが、きっとそれだけではない。
「バイトは、しない。けど、アンタの清祓ならしてもいい。その為に、ここに来るのは、構わない」
考えるより早く、口走っていた。
本当は、この場所にも来ないほうが良い。
ごく一般的な普通の生活を望むなら、このまま大人しく帰ったほうが良い。
わかっているはずなのに。
「いいんですか? 惟神の力は、使いたくないのでしょう?」
その通りだ。
そのために実家から離れた普通の大学に入学して、そのまま関東圏で就職も決めた。こんなところで躓く訳にはいかない。
「少しくらいなら、良いよ。アンタに新しいバディができるまで、なら」
俯いた顔の前に、手が伸びてきた。
さっきまで赤黒かった肌が、すっかり白く戻っている。
「では、お願いします。そうしてもらえると、私は助かりますので」
化野が、微笑んだ。
思った以上に自然なその顔に、胸がドキリと跳ねた。
「うん、よろしく」
直桜は化野の手を握り返した。
======================================
補足情報
【邪魅】
陰の気。自然界に普通に存在するもので、一つ一つは小さく、陽の光で消滅するほど弱い。集合体になったり大量発生すると光だけでは消滅できずに、人に害をなす気に変化する。心の中の負の感情を刺激して煽るので、邪魅が堪ると人は鬱になったり攻撃的になったりする。
呪術に使用される基本的な陰気でもあるため、呪術師が好んで集める。
【化野】
現京都府京都市右京区嵯峨にある地名。
化野は平安の昔、都から離れた辺境として死体置き場になっていた。
この時代は基本、死体は死体捨場に放置だったので、鳥や獣に食われたり、そのまま腐って土にかえることが常だった。
穢れが堪りりやすい場所で、こういう場所からは邪魅が発生しやすい
ともだちにシェアしよう!