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第42話 瀬織津姫神の惟神 水瀬律

 事務所に戻ると、中にはすでに梛木と律が待っていた。  梛木が犬のぬいぐるみ姿になった枉津日神を指さし、大笑いしていた。 「随分と可愛らしい姿になったのぅ、枉津日よ。モフモフしておるわ」  頭や胴をむぎゅむぎゅと掴んだり撫でたりしている。 「やめぃ! やめんか、こら。くすぐったい、これ!」  止めろと言いながら、何となく嬉しそうに撫でられているあたりが、ちょっと可愛い。  梛木と枉津日神のやり取りを眺めていたら、律が直桜と護の姿に気が付いた。 「おかえりなさい、化野さん、直桜。先にお邪魔してしまって、すみません」  ニコリと笑んだ律の顔は、変わらない。  左目を長い髪で隠しているのも、控えめにはにかむ表情も、集落にいた頃の律だった。 「お気になさらずに。今、お茶でも淹れますね」  護が奥に入り、コーヒーメーカーの蓋を開ける。  直桜は律に向き合って、微笑んだ。 「ただいま。久しぶり、律姉さん」 「おぉ、本に久しい、直日神の惟神よ。息災のようだの。ここに居るとは、駄々を捏ねるのはやめにしたかぇ」  律の後ろから、大きな影が伸びる。  人と同じ形になったソレは、律の肩に手を回して、鉄扇を優雅にくるくると回した。 「瀬織津も相変わらずで何よりだね」  さっさと話を切り上げて、コーヒーを淹れにいった護を手伝おうと中に入る。直桜の襟首を瀬織津姫神が掴んだ。 「釣れぬ態度は変わらぬなぁ。もう少しくらい付き合え、坊」 「いい加減、坊はやめてくれない。俺もう二十二歳なんだけど」  じっとりとねめつける。  瀬織津姫神が楽しそうに笑った。 「たかが二十を超えた程度で生意気な。赤子と大差ないわ。人ならば百五十を超えてようやっと一人前であろう」 「役行者じゃないんだから、勘弁してよ」 「巧い例えよのぅ。その若さで鬼を使役しているところは、小角《おずぬ》に勝っておるわ」 「護は従者じゃない。俺の相棒だよ」  直桜は瀬織津姫神を鋭く睨んだ。  神紋を与えた時点で護は直桜という惟神の眷族だ。鬼神という存在になった護を従者扱いはしたくない。 「瀬織津姫、その辺でおさめてくれる?」  律が静かに諫める。 「そうじゃぞ、瀬織津。あまり直桜を虐めるでない。ようやっとここに留まった決意が変わったらどうする」  次いで梛木にまで責められて、瀬織津姫神が面白くなさそうに口を噤んだ。  大好きな律と神として格上の梛木には、逆らえないらしい。 「さぁ、コーヒーをどうぞ。瀬織津姫もコーヒーでいいですか? あ、枉ちゃんは甘い飲み物がいいですね」 「そうじゃの! コーヒー牛乳かいちご牛乳が良いな!」  片手を上げてリクエストする姿が、何とも愛らしい。 「枉ちゃん……、その姿に似合うの」  梛木が声を殺して笑っている。  確かに、似合うと思う。枉ちゃんは護が付けた愛称だった。  枉津日と呼ぶのも長いし、何より護が遠慮して枉津日神と呼ぶのが堅苦しかったらしく、本人が愛称を欲しがったので付けた名だった。 「梛木は俺が13課に入って嬉しいの? てか、出雲で毎年会っているのに、13課で副班長やってるなんて、一回も聞いたことなかったけど?」  呆れ半分に聞いてみる。  梛木が何故か誇らしげに笑った。 「そんな話をしたら、直桜に逃げられてしまうだろうが。お主がその気になるまで待っておったのよ。化野が巧いこと丸め込んでくれて、重畳だの」  ニヤリと笑んで、梛木が護を見詰める。  直桜と梛木を見比べて、護が戸惑った顔をした。 「梛木様の言い分も、妾と変わらぬと思うがのぅ」  独り言ちる瀬織津姫神の手を律がぴしっと叩く。 「全く違うぞ。鬼神になる前から、化野のことは気に入っておるからの」 「それなら、妾も以前より化野の鬼を気に入っておるよ。鬼神になったとて、妾と律を切り離してくれるなよ」  瀬織津姫神ににっこりと視線を向けられて、護が苦笑いした。 「しませんよ、そんなこと。怖くてできません」 「護と瀬織津、てか、律姉さんは知り合いなんだ?」  同じ13課に所属しているのだから、顔くらいは会わせているだろうが、妙に親しげだ。特に瀬織津姫神が懐いているのが意外だった。 「化野さんにバディがいなかった頃に、何度かお世話になってね。怪異対策担当部署は常に人手不足だし、あの頃はバディがいない子もいたから、助っ人してもらってたの」  律を始めとする祓戸四神は怪異対策担当、通称妖怪退治部に所属している。同じ祓戸大神なのだが、明確な理由がある。  瀬織津姫神を始めとする祓戸四神は武術的に大変優れている。つまり、強いのだ。加えて律を始めとする惟神も武芸に長ける。  妖怪退治して清祓や浄化も出来る四神は、大変重宝されていた。 (律姉さんも、普段はおしとやかな淑女って感じだけど、刀握らせたら別人レベルで強いからないぁ)  チビチビとコーヒーを啜りながら、律と瀬織津姫神を眺める。何のかんのと仲も良いし相性の良い二人、いや一人と一柱なのだ。むしろ瀬織津姫神の律への愛が重すぎて心配になるレベルだ。 「でも、直桜が思った以上に楽しそうに仕事してて安心した。化野さんとも仲良くやっているみたいで、本当に良かった」  心底安堵した顔で、律が直桜と護に笑いかけた。  その視線が嬉しくて気恥ずかしくて、護と顔を見合わせて照れる。 「この二人はすーぐにイチャつくんじゃぁ。我の目の前でも気にせずチューとか」  無遠慮に枉津日神の口を塞ぐ。  小さな顔は直桜の手の中にすっぽりと納まった。 「え? ちゅぅ?」  律の目が点になっている。 「知らんのか、律。直桜と化野は恋人同士じゃよ」  何の感慨もなく、梛木がコーヒーを啜りながら普通に言った。  思わず梛木を振り返る。何でお前が知っていると問いたいが咄嗟に言葉が出てこない。   「恋人? え? そうなの? いつから?」 「えっと、つい、最近」  律の問いから逃げるように、護に視線を向ける。  護の肩がビクリと跳ねる。律に視線を向けられて、強張っている。 「そう、ですね。一月くらい、たったでしょうか、ね?」 「一月? 直桜がバイトを始めてすぐ、よね? 化野さん、そんなに早く直桜に手を出したの?」 「え? いや、あの、手を出したというか……」 「出したの?」  静かだが、どすの聞いた声に、護が背筋を伸ばした。 「出しました、すみません!」  護が律に思い切り頭を下げた。 「会ってすぐに直桜に手を……、ところ構わずちゅぅなんて……。私の直桜が、そんな目に? 集落にいた頃はノンケだったはずだわ。開発されたってこと……」  律が珍しく不穏な空気を纏ってぶつぶつと独り言を呟いている。 「律姉さん、別に無理やりとかじゃなくて、ちゃんと合意の元にお付き合いしているからね。俺もちゃんと護のこと、好きだから」 「好き……?」  直桜の言葉に、律が過剰に反応する。  じっと直桜を見詰めていた律が、俯いた。 「あの可愛かった直桜が化野さんの手で開発されて大人になっちゃったなんて。直桜が受け……よね。え、でも化野さんなら攻めも有り得る。やだ、脳の処理が追い付かない」  何やら呟いているが、声が小さすぎて聞こえない。  耳を近づけようとした瞬間、律がばっと顔を上げた。 「だだだ大丈夫よ、私も二人のこと、応援するわ。まさか直桜に恋人がいるとか、しかも相手が化野さんだと思わなくって、ちょっと尊みが凄いのとちょっとだけ切なくなって感情バグってるだけだから」  全然大丈夫じゃない顔で親指を立てられた。  あまり見たことがない律の動揺振りに、なんと声を掛けたらいいか、全くわからない。 「気にするな、直桜。失恋が確定し腐女子心で補正しようとしておるだけじゃ」 「……え? もしかして律姉さん、護のこと好きだったの?」  瀬織津姫神の言葉に、直桜が申し訳なさそうに問うた。  コーヒーを飲んでいた護と梛木が同時に吹いた。  二人の反応に只々驚く。 「全然、そういうんじゃないから! 腐女子心とか発動してないし、集落にいた頃から直桜のこと好きだったなんて、言うわけないから!」  あんぐりと口を開く。  律の優しさは同じ惟神の先輩としての親切だとばかり思っていた。  静まり返った部屋の空気に、余計に何も言えなくなっていた。  陽人に殺されるかもしれないという危惧と同時に、近いうちに穂香に律を紹介しようと心に決めた直桜だった。

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