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第43話 神様の使い道
水を打ったように静まり返った部屋の空気を一変したのは梛木だった。
「じゃ、会議を始めようかの。地図を広げるぞ」
まるで何事もなかったかのように、地図を広げ資料を配り始める。
「地図上の印が神が消えた社、社の詳細は手元の資料に記した通りじゃ」
「あ、うん、えっと。やっぱり福徳の縫井も含まれてるよね」
言葉がカクカクしてぎこちなくなる。
誰よりも律が、動きからカクカクしてぎこちないが、敢えてスルーする。
「この中では福徳稲荷が最も有名な社といえようのぅ。縫井とて弱き神ではない。易々と呪術師の手に落ちるとは考え難いが」
「反魂香が使われた可能性はあるのでしょうか。枉ちゃんの神降ろしのように」
「それに神蝋も。合わせ技なら、落ちるんじゃない? 枉ちゃんが落ちたくらいなんだから」
護と直桜の言葉を受けて、梛木が枉津日神を眺める。
嬉しそうにコーヒー牛乳を飲んでいる目の前の犬なら、確かに一溜りもなさそうだが。
「彼奴 もこう見えて、名の知れた高位の神なのじゃがな」
梛木が呆れた声を出す。
「何にせよ、神を酔わすには充分な代物じゃ。惟神を作るのと同じ手順を踏めば神降ろしは問題なかろう。問題なのは器じゃ」
直桜は梛木を見詰めた。
「槐が俺たちに枉津日神を引き渡したのは、器が用意できなくて持て余したからだと思うんだ。あのまま放っておけば、消滅するか、荒魂になっていた」
直桜の視線を受けて、梛木が納得したように頷いた。
「確かにのぅ。そうでもなければ、わざわざ降ろした神を13課に引き渡したりはせぬか」
「もしくは期待していた器が役に立たなかった、とかではないのかな。荒魂になっていたなら、反魂儀呪としてはむしろ使い勝手が良かったんじゃないかしら」
すっかり落ち着きを取り戻した律が静かに疑問を投げる。
「どちらも有り得るが、枉津日神の荒魂ともなれば、一介の術師では扱いきれぬじゃろう。だからこそ、小さき神を集めて荒魂でも作る気でおるのやもしれぬな」
「それは、それは。さぞや使い勝手が良かろうなぁ。集落の一つや二つ、容易に更にできようぞ」
梛木の唸るような声に反比例して瀬織津姫神が愉快そうに高い声で笑う。
胸がざわつく音がした。
人の命の次は神の御霊を道具にして、槐は何をしようとしているのか。考えるだけで吐き気がする。
「枉ちゃんは、何か覚えていないのですか? 神降ろしの瞬間、何があったかとか」
護の問いかけに、犬のぬいぐるみが小首を傾げる。
その姿に律が胸キュンしている。
直桜でも可愛いと思うのだから、仕方ないと思いう。
「自ら選んだ依代 ならば覚えもあるがのぅ。無理やりに引き摺られ閉じ込められた感覚しかないのぅ」
「枉ちゃんでソレなら、他の神は何が起きたかすら、わからなかっただろうね」
「攫った神を無理やりに荒魂にする方法など、あるのですか?」
護の疑問は最もだ。
神の荒魂は本来、裏の顔といえる。温厚な神が怒りを露にした姿だ。
「方法なら、ある。強いストレスをかけ続ければ良い。土着の神にとり、自分の場所から引き離されれば、それだけでストレスじゃ。だが、それでは力が弱るだけ。邪魅を使った呪詛が必要になる」
「反魂儀呪の十八番だね。神を穢れに堕とす法だ」
梛木が直桜をじっと見詰めた。
「何……?」
「杞憂なら良いのじゃがな」
ぽつりと呟いて、梛木が護に手を伸ばした。
慌てふためく護を制して、腹の神紋に触れる。
「直桜には薬も毒も効かぬ。呪詛も然り。じゃが、化野は、どうじゃ?」
「私は流石に。直桜ほど直日神の加護は受けていないと思いますが」
護の視線に直桜が頷いた。
「神紋を通じて直日を護の中に移せば、同じような加護があると思うけど。直日も嫌がらないと思うよ」
「移動はできるか? というか、直日はどうした? 一向に顔を見せぬの」
「今は寝てる。昨日、呑んでたみたいだから、しばらく起きないと思うよ」
「相変わらずの酒豪か。わざわざ顕現して呑んでおったのか」
舌打ちするが勢いで梛木が眉間に皺を寄せる。
枉津日神が可愛い前足をくいと上げた。
「我と呑んでおったのじゃ。直日と会うのも久しいからのぅ。ついつい連日酒浸りよ」
「俺の体で飲むとすぐに潰れるから、詰まらないんだってさ」
「枉ちゃんはお酒が強いですね」
膝の上に乗せた枉津日神を護が撫でる。
枉津日神が何故か照れた顔をしている。
「まぁ良い。どうせこの会話も直日なら聞いておろう。直桜、贄になれ」
「は?」
突然の命令に、無意識に全面拒否の顔になった気がする。
「攫われた神は九体。荒魂を作るには充分な数じゃ。それを何に使うか。我が八張槐なら、奪った九体を使って直桜を十体目の荒魂にするじゃろうなぁ」
息を飲む直桜以上に、護の顔が強張った。
「正確には扱いやすいところまで直日の惟神を堕とす。その為に、呪詛で操れる鬼神を利用する」
梛木の目が護に向いた。
「たとえ話をしただけで気配を尖らせる鬼ならば、罠にかけるには易い」
護が梛木から目を逸らした。
しかし気配は依然、怒りを孕んで滾ったままだ。
「直桜を贄だなんて、目的を果たさせてどうするんです。他の神を救い出すために直桜を犠牲にするおつもりですか」
焦りと怒りを含んだ護の声はいつもより低く響いた。
そんな護を律が冷静な目で眺めている。
「巫子様を引き摺りだしたいとお考えですか?」
律の言葉が、護の二の句を摘んだ。
「巫子様って、何?」
「反魂儀呪がリーダーとは別に崇める、特別な存在。槐より権限があるとさえ噂される実質のリーダーよ。本当にいるのかもわからないけれど」
律の静かな目が梛木に向く。
梛木の口角が歪に笑んだ。
「反魂儀呪の内部事情を探るには良き法と思うのだがのぅ」
「直桜を危険には晒せません。第一、直桜が荒魂に堕ちたら困るのは……13課でしょう」
語尾が弱り俯く護が不憫になったのか、律が声を掛けた。
「梛木様は直桜を見捨てるつもりなんて勿論ないですよ。我々がサポートするのが前提条件です」
「多少、危険な目には遭ってもらうがの。でなければ、リアリティがない」
律の言葉に安堵しかけた護の心が、またささくれ立った。
「救い出す前提であったとしても直桜を反魂儀呪に、槐に引き渡すなど。無謀な作戦には賛同しかねます」
鼻息荒く拒否する護の姿が、普通に嬉しい。
「俺も嫌だなぁ」
だから素直な気持ちを述べた。
護が安堵した顔をしたので、罪悪感が過った。
「嫌だけど、縫井をこのままにはしたくない。だから、やってもいいよ」
「直桜!」
咎める声は懇願に似て響く。
直桜は護の手を握った。
「そこまで無謀な提案をするからには、梛木にも考えがあるんでしょ? 俺が完全に堕ちない対応策、考えてくれているんだよね?」
梛木の口端が歪に笑んだ。
「勿論だ。化野と直桜、二人でしばらく本部に来い。何があっても完堕ちせぬように、心身ともに鍛えてやる」
歪んだ愉悦は梛木が心底楽しい悪巧みをしている時に他ならない。
嫌な予感しかしないが、恐らく今回の一件は、これくらいしないと解決しない。
「不可避の現実だよ、護」
直桜の言葉を聞いた護が腰を落とす。
納得がいかない顔で、何とか現実を受け入れようと葛藤しているようだった。
「直桜と化野さんは、怪異対策担当が全力を持って守ります。だからどうか、安心して贄になってください」
声は優しいのに内容は物騒で、護が返事をし兼ねている。
そんな二人を梛木が愉快そうに眺めていた。
「巫子様、か」
何気なく発した言葉に、直桜の中の直日神が反応したように感じた。
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