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第60話 最後の仕上げ
祭壇に立った楓が何かの呪文を唱えているように見える。
その姿を護は禍津日神と見上げていた。
「直桜が目覚め始めた。準備は良いな」
禍津日神を振り返り、頷く。
護の表情を見て取ると、手を天に向かい掲げた。
「なれば最後は派手にいこうかの。雷鳴は武御雷神 直伝の直桜の十八番じゃ」
禍津日神の掌に雷が生まれる。一直線に空に昇った雷鳴が広がる雲を刺激する。雲間に雷の筋が何本も走った。轟音と共に雷が激しくなる。
どくん、と禍津日神の体が波打った。
「荒魂が吾の中で暴れておるわ。この感覚は、久しいの。血が沸くわ」
禍津日神の目が護に向く。
右の手に力を込めて、禍津日神に向かい構えた。
洞窟の上を覆っていた雲は、あっという間に大きくなり、流れていった。
本土を優に覆い尽くすであろう巨大な重い雲から雨が降り出す。
「このままでは大雨の水害でこの国が沈もうなぁ、どうする、鬼」
「止めます。この場で、直桜と直日神を返していただきます」
「やってみよ」
同時に地面を蹴って、正面から突っ込む。
真っ直ぐに腹を狙いに行った護の右手は思い切り弾かれた。左手で禍津日神の右腕を摑まえる。強く引いても、体はピクリとも動かない。そのまま、また腹を狙うが、左手で弾かれた。
腕を解いて飛び退き、距離を取る。
まるで直桜とやり合っているような錯覚を覚えた。
(練習ですら対峙したことはないから、直桜の戦い方を知らない。素手でいかないと、意味がない。が、ここは武器を使うか)
悩む護に、禍津日神が小さく首を振った。
周囲を見回すと、囲んでいた13課の別動隊が動き出している。護と禍津日神が対峙し始めたのに合わせて、反魂儀呪の捕縛に動き出したらしい。
「ダメだ、今動いたら、槐の思う壺……」
どん、と重い何かが全身にのしかかった。
数十名の術者が起き上がれずに倒れている。
遠くで槐が両手を地面に向けて、ほくそ笑んでいた。
(槐の重圧術。霊力の弱い術者は今の圧だけで死んでしまう)
気を散らした護の真後ろに禍津日神が迫る。
「よそ見をするな。向こうは梛木にでも任せておけ」
囁かれると同時に、横に走った閃光が護の頬を掠った。
ピリッとした痛みと同時に頬から血が流れた。
視界の端を、長い髪が走り抜ける。
槐に向かって薙刀の刃が振り下ろされるのが見えた。
「水瀬さん……」
律の薙刀をひらりと避けて、槐が涼しい顔をする。
「久しぶりの挨拶にしては物騒だね、律。元気そうで何よりだけど」
「貴方に名前を呼ばれると吐き気がするわ。さっさと消えてくださらない? 槐兄さん」
「そっちも名前、呼ぶじゃないか。それにしても美人に育ったねぇ、律」
「どうも有難う。この顔、毎日拝ませて差し上げるから、素直に捕らわれてね。弟さんと一緒に!」
律が薙刀を振りかざす。
律に向かい祭壇から楓が差し向けた傀儡を、瀬織津姫神が中啓で叩き落した。
「妾の相手は坊かぇ。退屈しのぎにもならぬのぅ」
「俺は貴女と話がしてみたいな。惟神の神様って俺の人形と何が違うのか、教えてよ」
「ほぅ、生意気な坊じゃ。槐によぅ似ておるわ」
あっちはあっちで戦闘が始まってしまった。
槐の重圧術で生き残った術師を反魂儀呪の剣士二人が狩りに行っているが、それも白雪と剣人が応戦している。
いつの間にか大混戦状態になっていた。
目の前に雷の刃が迫る。
横に避けると、向きを変えて追ってくる。
逃げながら、禍津日神の姿を探す。
視界の端に、要の姿を見付けた。足下に寝転がる清人は、まだ目を覚ましていないようだ。
その隣で、梛木が天に手を掲げていた。
この空間にだけ雨が降らないように、結界を張っているようだった。
(神倉さんのこれ以上の介入は期待できないか。神様同士が本気の殴り合いをしたら、国が壊れてしまう)
理を守るのが、本来の神の役目だ。それをわかっているから、どんな場合でも梛木は必要以上の介入をしない。人の世で起きた事件は人が解決すべきだと思っている。
それでも、護が動きやすいように空間を整えてくれているのは、肌で感じとれた。
梛木の目が護に向いた。「やれ」と目配せされている気がして、護は梛木に向かって頷いた。
ちらりと振り返り、追ってくる雷の刃を確認した。
足を止め、刃を両手で掴み上げる。そのまま、思い切り引っ張った。
鬼の力で引っ張られた禍津日神が上から落ちてきた。
血が流れるのも気に留めず、雷の刃を手繰り寄せる。腕を摑まえて握ると、今度こそ引き寄せた。
「ようやっと整ったか」
禍津日神が、にっと笑む。
護は直日神から授かった神力を右手に込めて、その腹に捻じ込んだ。
「封を解く。目を覚ませ、直日神」
直日神を雁字搦めにしていた封じの鎖が溶ける。淡い光が徐々に強くなり、禍津日神の背から直日神が姿を現した。目が眩むような神々しい光が直日神から溢れ出し、洞窟の中を覆いつくした。
直桜の体から真っ黒い荒魂が大量に吹き出した。直日神の強い光に触れて、真っ黒い煤塗れだった神々が、本来の姿を取り戻した。
「さぁ、神々よ。自分の居場所に戻るといい。疲れた神は梛木の元で癒してもらえ」
直日神の言葉に従い、帰れる者は天に昇り、それ以外は梛木の元に寄った。
宙に浮いていた直桜の体が降りてくる。
直桜の腕が伸びてきて、護の顔を包み込んだ。
表情で、直桜だとすぐに分かった。
「ちゃんと殺せって言ったのに。これじゃ、枉津日神の真名が封じられないだろ」
「ごめんなさい、直桜。殺さない方法しか、最初から考えていませんでした」
直桜の体を受け止めて、強く抱き締めた。
「真名を封じねばならない悪神ではなかったでしょう。枉津日神には表も裏もない。私たちが知っている枉ちゃんでしたよ」
「うん、そうだね。俺も、そう思ったよ」
人間の性格が一側面ではないように、神様の性格も一つではない。荒魂にされて攻撃性が増していただけの、依代を欲しがる只の寂しがりやの神様だった。
「ずっと見てたよ。護は、やっぱり優しいね」
「優しく見えたのなら、直桜のお陰です。直桜が強かったから、枉津日神の中で頑張ってくれたから、私は優しくいられたんですよ」
直桜の表情はいつもより穏やかで、まるで神様のように微笑む。
「おかえりなさい、直桜」
「ただいま、護」
愛しい恋人の唇に唇を重ねる。
ほんの数時間が何日にも何年にも感じられる、久しぶりの口付けに思えた。
大好きな人が笑って戻ってきてくれた。今はそれだけで十分だった。
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