63 / 69
第61話 事後処理
洞窟の中はすっかり伽藍洞になっていた。
直日神の浄化は荒魂にされた神々に留まらず、洞窟の中一帯を清めていた。そのどさくさに紛れて、槐を始めとする反魂儀呪は撤退したようだった。
禍津日神が生み出した雨雲はすっかり消えて雨も上がっていた。レーダーで観測できない線状降水帯が発生したと一時、世間で話題になったが、それは後の話だ。
槐の重圧術で負傷した術者はいたものの、死者は出なかった。むしろ一番の大怪我を負ったのは清人だった。
禍津日神はといえば、枉津日神の姿でまだ直桜の元に留まっていた。
「まぁ、吾が怒ったら真名がでちゃう、みたいなものじゃなぁ。穢れた荒魂で無理に煽られたりせねば、そのままじゃよ」
直桜の中から現れた枉津日神は、さすが直日神と表裏というだけあって、どことなく似ている。
「無理に真名を封じる必要もないか。惟神を得れば暴走の危険はないしの。それでお主は直桜の中に留まるのか? 直桜なら二柱を降ろすことも出来ようが」
梛木の問いかけに、枉津日神はいまだ目を覚まさない清人に視線を向けた。
「吾は藤埜の人間が好きじゃ。だが、吾が降りれば負担をかけようなぁ」
枉津日神の横顔を、直桜はぼんやりと眺めていた。
惟神は、神が人を選ぶ。一つの家系を選んで代々引き継ぐのが定石だ。神がその血筋を好むのだ。
「俺はどっちでもいいよ。けど、枉津日は清人が好きだよね」
枉津日神とはまだ魂まで繋がっていない神降ろしの状態だ。それでも、枉津日神の感情は伝わってくる。
「吾のことなど知らぬくせに、刃から庇ってくれた。これからは吾が清人を守ってやりたいのぅ」
「でも、清人さんは私たちのように御稚児訓練を受けていませんし、危険じゃないでしょうか?」
律が梛木に問い掛けた。
律の懸念は尤もだ。何の準備もせずに神を降ろせば、人間の体の方が壊れかねない。
梛木は腕を組んで黙り込んでいた。
「方法を考えれば、可能かもよ。枉津日は清人の傍にいたいんだろ?」
直桜は枉津日神を見上げた。
枉津日神が深く頷く。
「直桜の元におるのが良いと、わかってはおるが。これは我儘かの」
困り顔で笑う枉津日神は、さっきまで暴れていた禍津日神とはまるで別の神に見えた。
「神様なんだから、多少の我儘言ってもいいんじゃないの」
「訳の分からん理屈じゃな、直桜。とにかくこの件は持ち帰りじゃ。結論が出るまで枉津日神は直桜に留まれ。今はこの場所から撤退するぞ」
梛木の指揮で、皆が動き出す。
直桜は、黙って皆の話を聞いていた護を振り返った。両手には包帯が巻かれている。封印と解除を短時間で行った鬼の手は、流石に負担が大きかったらしい。更には雷の刃を素手で掴んだ代償で、結構な火傷を負っていた。
「治りきらなかったんだね」
護の手を、そっと握る。
我に返った寄りにぴくりと肩を震わせて、護が直桜を振り返った。
「え? ああ、そうですね。何度か朽木室長の所に通う羽目になりそうです」
護が眉を下げて笑った。
「今、何を考えてたの?」
ストレートな問いかけに、護が言葉に詰まった。
「また逃げられてしまったな、と。あと何回、こういうことを繰り返せば、反魂儀呪との因縁は終わるんでしょうね」
「リーダーと巫子様の正体が分かっただけでも、今回は収穫なんじゃないの。槐相手に焦っても良いことないよ、きっと」
直桜にとっては初めての大捕物でも、護にとってはもう何度目かの大事件なんだろう。未玖の事件も、その前にも、もう何度もこんな目に遭っているんだと思うと、胸が痛む。
「直桜は、大丈夫ですか。巫子様の正体がわかって」
護が途中で言葉に詰まった。
気を遣ってくれているんだろう。こういう時の護は嘘も付けないし、誤魔化すような言葉を言える器用さもない。
「何となく、予感してたんだ。楓が普通の人じゃないってことはさ。さすがに反魂儀呪の巫子様とか、槐の弟だとは思わなかったけどね」
だから余計に、楓の気持ちには答えられなかったのかもしれない。けれど、大事な友達である事実は、直桜の中で今でも変わらない。
「俺、諦めてないよ。槐のことも楓のことも」
「え?」
直桜は護を振り返った。
「護が守ってくれた、許すってこと。二人がしたことは許せないけどさ。でも、結局大事なんだよね、二人とも。なんかムカつくけど」
「直桜……」
「だからさ、ありがとね。槐のこと禍津日神から守ってくれて」
笑顔を向けると、護が俯いた。
「私が守ったのは、槐じゃない。直桜の気持ちですよ。私はどうしても、八張槐が嫌いですから」
「知ってる。だから、嬉しかったんだよ」
護の槐に対する嫌悪感は隣にいれば嫌というほど伝わってくる。それでも、直桜のために体を張って槐を助けた。そういう護に申し訳なさと、それ以上の愛おしさを感じずにはいられない。
腕を伸ばして護の腰に巻き付ける。体を寄せると、血と汗のにおいが鼻についた。
「今度は俺が護の大事なものを守るからね。今日は全部、護に守ってもらったから」
「だったら自分を大事にしてください。私にとって一番大事なのは直桜ですよ」
護の腕が直桜の肩を抱く。
鬼の常態化が定着してから護は少しだけ直桜より背が高くなった。肩に頭を預けるのにちょうど良い。
優しいキスが頬に落ちる。
返そうとした口付けは唇に塞がれた。触れるだけの口付けが甘くて気持ちいい。
「すーぐにイチャイチャするのぅ。其方らは家まで待てんのか」
肩に乗った枉津日神が呆れ顔で二人を覗いた。
「ちょっと黙っててくれない、今いいところだから。てか、そういうこと言うなら早く清人のとこ行きなよ」
イラっとして枉津日神を睨みつける。
犬の姿ではない枉津日神は表情がわかり易くて余計に腹が立った。
「清人は受け入れてくれるかのぅ。吾は清人ラブなんじゃがのぅ」
「知らないよ。自分で口説いたら? つか、清人が要らないって言っても俺が押し付けるよ」
「酷いのぅ、直桜。同じ体を共有した仲ではないか」
「そういう言い方、やめてくれない。好きで共有したわけじゃないよ」
「冷たいのぅ。護、何とか言ってくれ」
「いや、あの、仲良くしましょう。しばらくは、このままですから」
大きく息を吐く直桜の手を、護が握る。
包帯の捲かれた傷だらけの手を傷めないように、優しく包み込んで、護の手を握り返した。
ともだちにシェアしよう!