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第12話 待ちに待った朝

 次の日は遠出を楽しみにする子供のように、ユーリは早く目が覚めた。とはいえ、早起きなデイルは軽い運動を済ませて、身支度済みだ。  一体、何時間睡眠なのか、ユーリの中に心配と興味が同時に湧いてくる。 「どうかしましたか?」 「デイルはいつ寝ているんだ? 僕が眠る前に寝たことも、僕より眠っていたこともない。睡眠は足りているか?」 「問題ありません。私は短時間睡眠のほうがすっきりする性質なのです」 「職業病じゃないのか」  目覚めたユーリの身繕いをするデイルに、胡乱げな眼差しを向けたら、笑みを返された。 「あれ、いつもと髪型が違うな」 「今日は編み込んでみましたが、いかがですか?」  デイルは普段、ユーリの三つ編みを胸元に垂らしていたが、今日は横髪が綺麗に編み込まれ、後ろに髪がまとめられていた。  鏡を覗いたユーリはさっぱりとした自身の装いを見て満足げに頷く。 「髪が邪魔にならなくてすごくいい。けど、なんでわざわざこんな手間を」 「今日は二人きりで出かける特別な日ですし」 「そ、そんな逢い引きしに行くみたいなっ」  急にデイルが妙なことを言い始めて、ユーリは思わず口にした自身の言葉で、顔を真っ赤に染めた。ドラゴンの祭りを見に行くのであって、逢い引きではない。  そう心の中で言い訳するけれど――  昨夜、フィンに勘違いされたばかり。動揺はなかなか収まらなかった。だというのにデイルは平然とした顔で笑っているだけだ。 「そういう、ことを、軽々しく言うものじゃない。もっと特別な」 「心配されなくとも大丈夫です。私は誰とも添い遂げるつもりはありません」 「……え?」 「さあ、参りましょう」  なにげない調子で発された一言に、ユーリが驚き戸惑っている合間、デイルは手早くブーツの紐を編み上げていた。 (誰とも――自分が元平民だから、と言っていたらしいが。そこまではっきり言うほど特別を作る気がないのか。まだ若いのだから、どんな出会いがあるかわからないのに)  二十五歳、元のユーリと同じ年齢だ。  結婚をするのに遅すぎる年齢でもない。爵位を継がない長男以下であれば、婿入りするか自分で爵位を得るか。  皇帝候補を辞退したとはいえ、デイルほどの人物であれば騎士爵を持っているはず。 「ユーリさま?」 「すまない。ぼんやりとしていた」 「最近は物思いに耽ることが増えましたね。なにか悩みや不安がありますか?」  考え込んでいたユーリは、足元で跪いたままのデイルに見つめられ、慌てて立ち上がる。  すぐさま手を差し出してくれたデイルは、とっさの動作でふらついたユーリを優しく支えてくれた。 「悩みがないわけでは、ない。僕は思ったよりもデイルを知らないなと」 「私ですか?」 「誰よりも近くにいるのに、不思議だな」  いまのユーリが彼を知らない。だけではなく、これまでのユーリも、さほどデイルについて知っているようではなかった。  彼はユーリに聞かれても一切、私的な話をしていないらしく記憶にない。  確かに主人と従者。日常生活の話題を語り合う関係ではないけれど、直属の相手について、ここまで知らないのは逆に不自然だ。  とはいえ生い立ちが複雑そうではある。踏み込めなかったという理由も考えられた。 「私などよりも、知るべき人がこれからきっと増えます」 「そう、なのだろうが……僕は」 (一番にデイルを知りたいと思うのはおかしいのだろうか)  体が丈夫になり、ユーリはこれから色々な経験をしていく。それとともに人との交流が増え、いずれは〝また〟伴侶を得る日が来るはずだ。 「僕は誰かと将来を誓うなど――したくない」  政略婚をするのは、ユーリとしてはもうごめんだった。味気ない日々を再び過ごすのかと思えば、神への信仰心が薄くとも、聖職について世間から離れたい。  などと考えてしまうくらいだ。  全員が全員、ガブリエラのような女性ではない。しかしわかっていても心が拒否をする。 (僕はたぶん、結婚などしたくなかったんだ。近くにいる、あの人のことが) 「では、今日だけは私を見ていてください」 「……デイルは、そんなキザな真似、どこで覚えてくるんだ」 「近くに女性慣れした男がいますからね」  視線が落ち、俯きがちになったユーリの右手を持ち上げ、口元まで引き寄せる――デイルの仕草に、ユーリはドキッとする。  指先に唇が触れぬまま離れていったのが、ひどく残念に思えた。 (僕のわからないこの気持ちは、親愛の情なのか。それともフィンの言うように。だとしたらおぼろげな彼の存在は?) 「あの、決して、ユーリさまを女性のように」 「わかっている。慌てなくていい」  急にまた考え込み始めたユーリに、デイルは自分の言葉を深読みして謝ろうとしてきた。  珍しく彼の冷静さを欠いた表情が見られて、ユーリは少しばかり嬉しく感じる。  女性的だなんて、母のエリーサに似ていると褒めそやされている時点で、言葉にされなくとも本人はわかっていた。  おかげでまったく気にしていなかったのだが、いまは母に似て得をした気分になった。 「そろそろ行こう。お腹が空いた」 「はい、二人もすでに食堂で待っていると思います」  デイルはユーリの催促に笑みを浮かべ、荷物を手に先へ進もうとする。  けれどふいに伸びたユーリの手が、デイルのマントを掴む。くんと若干後ろへ引っ張られた彼は、不思議そうに振り返った。 「どうかされましたか?」 「いや、ただ手持ち無沙汰になっただけだ」 「このようなことを、ほかの紳士にされてはいけませんよ」 「デイル以外にしない」 「そのような言葉は」 「デイルにしか言わない」  幼子を叱るような口調だったデイルだが、繰り返されるユーリの言葉に額を抑えてため息を吐いた。  しかしマントの端を掴んだまま、じっと見つめてくる空色の瞳に負けたのか、荷物を背負うと片手を差し出してくれる。 「まるで幼い子供の頃に戻られたようですね」 「ふふっ、童心に返りたい気分なんだ」 「……どう見ても子供ではないですけど」  独り言じみたデイルの言葉にくすりと笑い、ユーリは大きな手をぎゅっと強く握った。  手を繋いでやってきたユーリたちを見て、フィンとライは一瞬、驚きの表情を浮かべたけれど、やたらと生ぬるい眼差しを向けてきた。  幼かった時は、こうしてずっと手を繋いでいたのだとか。  しかもこれから二人で出かけることを考えれば、そうやって繋いでいるほうが虫除けにいいとまで言われる。  ユーリとデイルが祭りに出ているあいだ、二人はここに残って休養する予定だとか。  宮殿を出発してからすでに五日も過ぎたので、十分な休息は必要だ。 「向こうで泊まれそうなら一晩でも二晩でも、泊まってきたらどうですか?」 「そうですね。ライの言うとおりです。一日に何時間も移動するのは大変ですし」 「でも、祭りの最中なら宿はいっぱいじゃないか?」  大きな街の祭りではないとしても、毎年行われる催しは、年に一度を楽しみに集まる人たちが多い。  祭り自体は数日続くらしいけれど、今日は目玉の催しがあるのだとか。 「宿は着いてから当たってみましょう。早い時間に着けば、空きがあるかもしれません」 「わかった。デイルがそう言うなら」  食事をしながら今後の予定を話し合い、ひとやすみしてユーリはデイルと一緒に宿屋を出る。  厩に行くとデイルの馬が鞍をつけ、準備万端と言った表情で待っていた。  ユーリの馬はのんびりと飼い葉を食んでいる。 「一緒に、か?」 「ええ、そのほうが早く着きますし」 「……確かに僕はそれほど乗馬が上手いわけではないが」  馬を操れるようになったのもここ数ヶ月のこと。クトウに着くのに、通常より時間がかかったのはユーリに合わせたからだ。  途中、馬車での移動も提案されたけれど、やはり馬は小回りが利き、早く移動ができる。 「馬を操るのも疲れます。お嫌でしたか?」 「嫌、ではない」 「では、参りましょうか」  返事を訊くと早速と愛馬に荷物をくくりつけ、デイルは出発の準備を進めた。  そんな様子を眺めつつも、ちらりとユーリは自分の馬に目を向ける。  すると彼女は「いってらっしゃい」とばかりにゆったり尻尾を揺らした。 (彼女はのんびり屋だからな)  走るときは走るのだが、わりと少しの散歩でも満足する。  夜の散歩だけで最近は満足しているようなので、いまもそのつもりなのだろう。 「ユーリさま、どうぞ」 「あっ、うん」  愛馬と視線の会話をしていたら、準備の整ったデイルが馬上から手を差し伸ばしてくれる。  彼の手を取り、ユーリは勢いをつけて上へ移動した。 「窮屈ではありませんか?」 「ああ、問題ない。二人用の鞍を用意してくれたんだな」 「宿のほうで貸し出してくれました」 「そうか」 (体勢は問題ないけど。思ったよりもデイルが近い。……というか、想像以上に僕の体は小さいのだな)  デイルの腕の中にすっぽり収まってしまう自身に少々ユーリは驚く。  普段、常にデイルは傍にいる。  だというのにこうして、背中を預ける状態になって初めて、デイルの大きさを感じた。 「出発しますよ」 「うん」  耳元で響く柔らかな低音。息が触れそうな近さに肩が跳ね上がりかけ、とっさにユーリはぎゅっと鞍の手すりを掴んだ。  背中から笑われたような気配をかすかに感じ、ユーリの頬は徐々に赤く染まっていった。

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