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第13話 相手にされないのが寂しい
さすがに自身で早いと言っただけあって、デイルの駆る馬はとても早かった。
かといって乱暴な走りではなく、彼の愛馬は軽やかに地を蹴っている。
どんどんと通りすぎていく景色と、頬に当たる風の心地良さを感じて、ユーリは心を躍らせていた。自分ではこんなに安定した走りができない。
いまは乗せてくれる自身の愛馬に助けられている面が大きいのだ。
「ユーリさま、大丈夫ですか?」
「平気だ。僕も早くこんな風に駆けてみたいものだ」
「もう少し、筋力が増えたらにいたしましょう」
「……わかってる。この速さ、後ろにデイルがいなかったら、僕は振り落とされている」
鞍の手すりを掴み、背中を支えられているからこそ、ユーリは風圧の中で姿勢を保っていられるのだ。
きっと精一杯身を低くし、風の抵抗を弱めても、手綱を握っていられず落馬は免れない。
「いくぶん体は厚みが増したようですが、腕にすっぽり収まりますね」
「そもそも僕とデイルでは大きさが違いすぎる。……貧相なのは仕方がないだろう」
「え? 貧相などと、思っていません」
「デイル、ダンスの経験は?」
「何度か、ありますが。もしかして――女性よりほっそりしているのを、気にしているのですか? 大丈夫ですよ、これからもっと体力も筋力も」
「もういい。それより、町まではどのくらいだ」
デイルの言葉を遮るように打ち切って、ユーリは前を向き、口を尖らせた。
(僕はデイルにとって、護るべき対象で、いつまでも手のかかる子供。なのだろうな)
胸にある感情がそういったものだとしても、振り向いてもらうのは困難そうに感じた。
こんなにも近くにいて触れていても、デイルにとってはなんてことない場面なのだ。
腹に力を入れ、まっすぐとした姿勢を保っていたユーリはふて腐れると、重心をデイルへ傾ける。
急に体重をかけられて驚いたのか、デイルの体が一瞬だけ、跳ねたような気がした。
「ユーリさま? 疲れましたか?」
「疲れてはいない」
「そう、ですか」
ユーリが体勢を変えたので、デイルは少しだけ速度を落とした。
ぴったりと背中が彼の胸に触れると、馬を駆っているせいなのか、わずかに心臓の音も駆け足だった。
表情を見てみたかったが、振り向くのは体勢的に難しい。
おもむろにユーリは顎を上げてデイルを見上げた。
「ユ、ユーリさまっ?」
思ったよりも距離が近く、気づいて視線を下ろしたデイルの口元が額に触れそうだった。
それにはさすがの彼も驚いたのだろう。とっさに発した声が上擦っていた。
「口づけができそうな距離だな」
「なっ、なにを言っているんですか!」
ぽつんと呟いたユーリの言葉に、デイルは慌てた様子で手綱を引き、馬を止める。
珍しく動揺して、頬が赤くなった表情を目にしたユーリは、満足げに笑みを深くした。
「冗談だ。そんなに慌てなくていい。権力を振り回し、無理強いはしないから、安心をしろ」
「ユーリさま、冗談でもおやめください。あなたはご自身をよくわかっていないようだ」
「そこまで怒らなくても良いだろう?」
からかうのは良くないと思い、茶化して誤魔化したのに、デイルは眉間にしわを寄せ、きつく諭してくる。
気に食わずまた口を尖らせてしまったユーリだが、ふいにデイルの手が肩へ回り抱き寄せられた。
驚いて目を丸くするユーリをよそに、もう片方の手がユーリの細い顎へかけられる。
「デイル? ……え? 冗談だと」
なにも言わずに顔を近づけてきたデイルに、ユーリの体が緊張をする。思わずぎゅっと目を閉じてしまうと、唇すれすれでデイルの動きが止まった。
「ほかの男であれば、冗談で済まされませんよ」
呼気を感じるほどだけれど、触れる気配がなく、デイルはしばらくして離れていった。
そろりとユーリが目を開いたら、黒とピンクの双眸に怒りの感情がこもっている。
なにげない言葉のつもりだった。しかし小さな悪戯はデイルの逆鱗に触れたのだろうかと、ユーリは申し訳ない気分になった。
「僕はデイル以外に、あんなことは」
「私へ対してもそのような発言はおやめください」
「怖い顔をして怒らなくても、良いだろう。僕はデイルだから、触れられてもいいと、思っているのに」
きっぱりと一線を引かれ、ユーリの胸はズキズキと痛み出す。
短剣を突き刺されたときでさえ痛みを感じなかったのに、デイルに突き放されたと感じた途端、ユーリは途方もない痛みと哀しさが押し寄せてきた。
「――っ、ユーリさま?」
視界が潤み、頬に触れていたデイルの手にぽたりと、ユーリの瞳からこぼれた雫が落ちる。ポツンポツンと落ちる涙に、デイルは目を見開いて驚きをあらわにした。
彼の表情を目にしてユーリの口から出たのは、震えた懇願だった。
「僕を拒まないでほしい。デイルに拒まれると、ひどく哀しいんだ」
「…………」
(子供みたいに泣いてしまうなんて恥ずかしい。でも胸が痛くて仕方がない。デイルを困らせるだけだってわかっているのに、涙が止まらない)
はらはらと涙をこぼすユーリの姿にデイルは息を飲む。
しばし迷った様子を見せたものの、肩に回されていたデイルの手に再び力が込められる。
腕の中に閉じ込められ、ユーリはデイルの胸元へ体を寄せた。
「申し訳ありません。ですがユーリさまはご自身の美しさに疎い。邪な者があなたの無防備さにつけ込む、そんな場面もあり得るのです」
「母上に似ているからか?」
「いいえ、あなた自身の美しさです」
「よく、わからない。デイルは僕が美しいと思うのか?」
「……思います。あなたほど美しい人は、この世にいないと思うほど」
まるで告白のような言葉。ユーリは顔を上げると、目を瞬かせてデイルを見つめた。
右側の綺麗なピンク色の瞳は煌めいて見える。
しかしユーリは漆黒の瞳のほうへ心が惹き寄せられた。懐かしく、愛おしい感覚。
(僕は、デイルが黒い瞳を持っているから心惹かれているのか?)
「デイル、僕に口づけてほしい」
「それはご命令ですか?」
「そうじゃないとしてくれない、と言う意味か?」
「私はあなたの騎士、臣下です」
「僕に嫌悪を覚えないのなら、口づけを」
ユーリが思いとどまると思っていたのだろう。しかし予想が外れ、デイルが目を見張る。
戸惑うような眼差しにユーリの胸がキシキシと痛む。
これは無理強いだ――そう思い、諦めて視線を落とすユーリだったけれど。
ふいにデイルの指がおとがいに添えられ、俯いた顔を持ち上げられる。驚いてユーリが大きく瞬いた時にはもう、デイルの唇が自身の唇に重なっていた。
「ふっ、ん……」
一瞬の口づけで終わるかと思っていたのに、食むように唇を合わせられ、ユーリは鼻にかかった甘い声を漏らす。
さらにすがるようにデイルの腕をきつく掴めば、なおも深く口づけを与えられる。
まるで焦がれたものを欲し、食い尽くそうとするかのような口づけは、ユーリの唇から唾液がこぼれでるまで続けられた。
「はあ、デイ、ル」
ようやく深い息を吸い込んだユーリは、激しくも甘やかな口づけでぼんやりとしていた。
顎を伝う唾液を唇で拭われ、ピクンとユーリの肩が跳ねる。
「お望みは叶いましたか?」
「ん、口づけが気持ちいいなんて――初めてだった」
(デイルとの口づけ、全然嫌じゃなかった。それどころかすごく心が満たされた)
「……ユーリさま、そういうところですよ」
「え? なにがだ?」
無自覚に赤く色づいた唇に触れながら、ユーリは小さく首を傾げる。
「私が理性の強い男であることに感謝をしてください。さあ、行きますよ」
大仰なため息を吐き出すデイルは額に手を当てたが、すぐに馬の手綱を引く。
言葉の意味もわからぬまま片腕に抱き込まれてしまい、ユーリは走り出した馬から落ちぬよう、とっさにデイルの腕にしがみついた。
(口づけが気持ちいいと思ったのは本当に初めてなのにな)
これまでユーリが口づけた相手は元伴侶のガブリエラだけだ。
婚姻の口づけや閨で口づけを交わした経験はあったが、いつも一方的で義務的だった。
体が弱いので子はできないだろうと言われていたのに、決められた日にやって来ては、ユーリの上にのし掛かってきた彼女。
(……もしかして、叔父上とも関係があったのか。あの人との子ができたらと考えて)
嫌な考えがよぎってしまい、ユーリは気分を変えるため、デイルにもたれかかる。
とくんとくんと聞こえる音に安心して、いつしかまぶたが重くなっていった。
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