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第11話 銀竜草と光る池
天然パーマのあいつ。髪の毛だけはふわふわと自由だが、お堅い製薬会社に勤める社会人で、いつもきちんとスーツを着込んでいる。おまけにアメリカからの帰国子女と聞いている。不良上がりの落語家風情とは不釣り合いに過ぎる。
たまたま製薬会社が主催する落語会に呼ばれて行ってみればアテンド役が奴だったのだ。
積極的に近づいて来たのは向こうである。音丸の勉強会に顔を出して手伝ったり、打ち上げにも参加するから、その流れで部屋に泊りに行っただけである。
「だけ、とはどういう意味ですの?」
この際まるで関係ないのに百合絵の言葉を思い出してしまう。
持ち帰ったとか食ったとか言い方が下品なら、落語にはいろいろな表現がある。
烏カアで夜が明けて……〝嬉しい仲になりました〟だの〝わりない仲になりました〟だの。
奴は甘えると言葉を三度重ねる癖があり、
「ねえねえねえ」
と言われると、何故か目尻が下がってしまう音丸である。
落語の言葉で言うならば〝とんと来てる〟のである。
いや、単なるセフレではあるけれど。
写真に続けて文章も送ることにする。LINEではなくやはりメールである。
この旅の最後は、また長野に戻って落語会である。遠征して来れば昼間は観光でもして夕方の落語会を聞いてもらい、共に都内に帰ることも出来る。
メールを入力しているうちに思い出した。これは既に提案している。
「でも、その日から研修なんだ。三泊四日の初日だよ。全社挙げての行事だから、よほどの理由がないと休めないよ」
と断られた案件である。
では、何をメールしよう? まずあの時のことを謝るべきでは? と頭を過ったが、一人で首を横に振る。
落語家としてはあの場合の行動に謝罪が必要とは思えない。それこそ消防士が、いくら非番でも大火災発生と言われて恋人とぬくぬくとベッドに留まるわけには行かないのと同じ理屈である。
もし仮に今後もつきあいを続けるなら尚更謝るわけには行かない。この先も起き得る事態なのだから。
……などと頭を悩ませているうちに、あまり人には言えないことを始めてしまう。誰を思い描いていたかなど言うまでもない。そして深い眠りに落ちるのだった。
結局、奴には唐突に写真を送り付けただけに終わった。
そしてそれに対する返信は何一つなかった。
三弦からはLINEメッセージがあった。
また長野に来るなら部屋に泊らないかとの誘いだった。その後の様子を見に行くのもいいかも知れない。即座にOKの返信をする。
天然パーマのあいつでなければ、連絡はこんなに簡単なのに。
県境の山で音丸に再会してから、三弦の人生はにわかに変化を迎えていた。あれから一週間もたっていないのに。
柾目家逸馬や咲也と別れて、駅前からバスに乗り一人暮らしの部屋に戻ってみれば、浮かれていた気分はたちまち沈み込んだ。そもそも山に比べて地上の街は蒸し暑い。肌にまとわりつく湿気が一時忘れた憂鬱な気分を呼び戻した。
住まいは古色蒼然たる老朽家屋である。築何年か知れない木造二階建てのアパートは新建材が使われた周囲の建物の中でも薄暗く沈み込んでいる。
だが三弦自ら選んだ住まいなのだ。
入学が決まってから部屋探しについて来た母は、
「嫌だわ。こんな時代のついたアパートなんて」
と眉をひそめたものである。〝時代がついた〟とは古臭いという意味である。
けれど三弦は殆ど即決していた。何より継子としての遠慮があった。そうそう義父に負担はかけられない。とはいえ義父もまた継子に対して遠慮があるのか、こんな部屋なら何室でも借りられるような法外な仕送りをしてくれるのだった。
部屋のドアを開けると籠った空気が押し寄せる。入るなり一口のガス台が乗るだけの小さな台所があり、向かい側はトイレである。何はなくともトイレだけは自室にある物件を選んだ。風呂はない。
とりあえず勉強机の奥にある窓を開け放つ。室内にぽつんとある食卓代わりの小さな折り畳みテーブルに菓子の手提げ袋を置くと、押し入れから風呂道具を出してまた外に出た。窓は開けっぱなしだが盗難に遭ったことなどない。
徒歩五分の月の湯は唐破風屋根の昔ながらの銭湯である。男湯と女湯の入り口は別で、中に入ると脱衣場を向いて番台がある。
三弦が男湯の戸を開けると、先程部屋に置いて来た菓子と同じ物を、
「よかったら、皆さんで食べてください」
と番台に差し出ている男がいた。入って来た三弦が注目しているのに気づいて、
「さっきの落語会の前座さんでしょう?」
「いえ。僕は前座じゃないです。ただの学生です」
と番台で湯銭を払って中に入る。
「ひょっとしてうちの学生かな?」
隣で服を脱ぎながら男が尋ねた。頷くより早く文学部で国文学を教えている加瀬 教授と自己紹介された。言われてみればこの男が白衣をまとって学内をせかせか歩いている姿に覚えがあった。商学部の三弦は講義を受けたことはないが。
何となく肩を並べて風呂場に入り、共に湯船につかって話すのだった。
あの製菓会社の社長は落語マニアで毎夏一族を集めて落語会を開いているという。加瀬教授は社長と落語友だちなのでいつもあの会に招かれているという。
「君は何であそこで働いていたの? 落研じゃないよね」
と尋ねる加瀬教授は落語研究会の顧問だそうである。
三弦も大学に落研があることは知っていたが、意識の外に追い出していた。自分が落語家の家庭に育ったことは秘密なのだから。なのに湯気越しに教授の顔を眺めて、
「祖父が落語家なんです。逸馬師匠は祖父の友だちだから僕も小さい頃から可愛がっていただいて……」
長年隠していたことを何の抵抗もなくカミングアウトをしているのだった。
「お祖父さんは何て落語家さん?」
「柏家仁平 です」
「えっ! 柏家仁平のお孫さん⁉」
教授は改めて三弦の顔をまじまじと見るのだった。そして、
「あ、いや。柏家仁平師匠」
と言い直す。
三弦は少しばかり安堵する。社交辞令で落語家の名前を尋ねる人にどう答えるかは難しい問題である。
そもそも落語家の名前など人口に膾炙していないのだ。せいぜいテレビ番組〝笑点〟の出演者が知られている程度である。それ以外は「誰それ?」の世界である。教授に恥をかかせる結果になりはしないか案じていたが、さすがに落研顧問だった。
ほっとしたせいか、
「君、あれ言える? ユージョ、コージョ、ソージョ三作のミトコロモン」
などという唐突な質問にもすんなり答えていた。
「ああ。〝金明竹 〟の言い立てですね。わて中橋の加賀屋佐吉から参じました。先途、仲買の弥市が取り次ぎました道具七品のうち……ってやつ?」
「おお! 言えるじゃないか。今度、プロの落語家の前座をやらないかい?」
「はい?」
「いや、実は落語の出来る学生が大学を辞めちゃって困ってるんだ。今度、大学祭の落語会に柏家徳丸 師匠を呼んでるんだけど前座がいなくて……」
と、そこまで言って教授は三弦の顔を二度見した。
「柏家徳丸って仁平師匠の一番弟子だけど。知ってる?」
もちろん知っている。頷きながら、下駄のように四角い顔を思い出していた。一般的な落語家のイメージ通り、明るくお喋りなのが柏家徳丸だった。
前座名は、こっぱだった(今はこの前座名を四番弟子が名乗っているらしい)。
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